不戦の誓い、判断・叫び | ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

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   不戦の誓い
 
五十年後、百年後に
何を残すべきかを考える前に
何を残してはならないか
ということも考えてみたい。
 
日本が「戦争の出来る国」に
なってはならないから、
前例となって、準備となりうる
憲法改正には反対です。
 
「やられても、やり返さない国」
「報復戦争をしない国」
「集団的自衛権を行使しない国」
「国連軍にも軍隊を出さない国」
すなわち日本は
「戦争をしない国・日本」を
世界に向かって宣言すべきなのです。
 
と、ここまで言ってしまうと
大量殺戮兵器による攻撃、例えば
核ミサイル攻撃を受けたときには、
攻撃をせず自衛に徹するなら、
迎撃ミサイルをもってしても
完全に防げるものではないだろう。
最悪の場合、
日本民族も日本という国も
滅びてしまうかもしれない。
 
それでもよいと、
それによって滅びた
「不戦の国・日本」の評価は
後の歴史家にでも任せて
死を覚悟した上での
戦争反対の平和運動には賛成します。
 
「不戦の誓い」をもって
「戦争をしない国」が
先んじて現れないことには
世界の平和も、どこからも
現れて来ない気がします。
 
めぐりめぐって、つまるところ
絶滅危惧種は人類なのですから。
 
(それにしても
 「平和、平和」「戦争反対」は
 何の覚悟もなく、当たり前のように、
 あまりに軽く叫ばれてはいないか)
 
「不戦の誓い」は
戦争に劣らないほどの
覚悟が必要なのです。
 
(2007年08月08日)
 
 
  判断・叫び
 
誰もが哲学者や思想家に
なれるわけではないでしょう
 
体験や見聞などからシンプルに
「平和」「反戦」「核廃絶」を
叫び続けることで
辛うじて保たれているものも
辛うじて抑えられているものも
あるはずです
 
叫び続けなければなりません
 
しかしもし国の将来と
行く末を考える立場に
立つことを目指そうとするならば
当然より深い思索が求められます
そして「平和」が少なくとも
戦争をすること以上の
強い覚悟と勇気を
要求することを知るはずです
 
五十年後~百年後の平和を
保証することは誰にも出来ません
しかし五十年後~百年後さらに
それ以上先のことを考えて
今何を保つべきか
今何を抑えるべきかを
判断することは
まさに今生きている人々の
責任であり義務に他ならないのです
 
(2008年12月06日)