想うところに神はいない
「神様」と呼び祈るとき
「神は」と考えるとき
そこに神はいない
まるで不確定性原理のようではないか!
神に神をぶつけて
神がいなくなるわけではない
また
神の存在を確率的に示すことも出来ない
聖書の神が本当の神だ!
残念ながら聖書を解釈するのは人だ
数多くの教派がある
また信仰者によって意見が食い違う
百人のキリスト者がいれば
百通りの信仰がある
千でも万でも同じである
一人が正しければ
他の人々はすべて間違っているか
状況証拠である
人が思う通りの神は存在しないのだ!
想うところに神がいない
ということは
神がどこにも存在しない
ということを意味しない
想うところに神はいないが
人は想像し誤解するが
それでも
信じているのだから
信仰者にとって
「神は存在しない」は存在しない
考える人は幼子には戻れないが
素直に胸に落ちることは
なお常に可能である
それは多く疲れ果てた絶望において
人の想いも人知も超えたところから
神は絶望に希望を与え
闇に光を与える
「おいおい、どこを向いて祈っているんだい」
と暖かい眼差しで
人を見て聞いておられるかもしれない
神は人を創造している
人は神を想像している
人が神を知るのではない
神が人を知っているのであり
神が人に知らせるのである
神は人の想像も誤解も承知の上である
想うところに神はいない
そこで人の信仰は
恐れを抱いて震えながら
慎みを持って畏まり
感謝の実をそっと捧げる
想うところに神はいない
多くの信仰者はそこまで考えないだろうか
神について考えることは罪なのだろうか
人には知るべき真実がある
また人は慙愧し暫定することになろう
(2010年12月11日)
そこで人の信仰は
恐れを抱いて震えながら
慎みを持って畏まり
感謝の実をそっと捧げる
想うところに神はいない
多くの信仰者はそこまで考えないだろうか
神について考えることは罪なのだろうか
人には知るべき真実がある
また人は慙愧し暫定することになろう
(2010年12月11日)
(2019年03月19日、一部修正)