20世紀からの宿題
仮定の話になるが、
明治の近代化を国内で成し遂げた時点で、
道を誤らず、外に出ようとしなければ、
日本は、
アジアのすべての国から尊敬される国になっていたであろう。
明治の近代化を国内で成し遂げた時点で、
道を誤らず、外に出ようとしなければ、
日本は、
アジアのすべての国から尊敬される国になっていたであろう。
モンゴル帝国による元寇を例外とすれば、
中国も韓国も日本を侵略・支配したことはない。
そこが侵略したりされたりの
ヨーロッパの隣国関係との大きな違いであろう。
中国も韓国も日本を侵略・支配したことはない。
そこが侵略したりされたりの
ヨーロッパの隣国関係との大きな違いであろう。
日本を侵略・支配したことのない隣国を
逆に日本が侵略・支配したことが
いかに大きな禍根を残すか、
今に至るまで、日本は学習したはずであり、
学習していなければならないはずである。
逆に日本が侵略・支配したことが
いかに大きな禍根を残すか、
今に至るまで、日本は学習したはずであり、
学習していなければならないはずである。
「20世紀の宿題」には、戦前、戦中、戦後も含まれる。
反省を促す明確な問題意識を持ち続けるべき所以である。
その意識を「持つ」と「持たない」とでは、
国の先行きを考える上で天と地ほどの違いがある。
反省を促す明確な問題意識を持ち続けるべき所以である。
その意識を「持つ」と「持たない」とでは、
国の先行きを考える上で天と地ほどの違いがある。
「20世紀の宿題」を上のような意識で持たないことは、
戦争の正当化→「今度は負けない国づくりをしよう」にしかならず、
その勢いで進めば、結局のところ核武装に向かう危惧を抱かざるを得ない。
戦争の正当化→「今度は負けない国づくりをしよう」にしかならず、
その勢いで進めば、結局のところ核武装に向かう危惧を抱かざるを得ない。
明治の急速な近代化と戦後の急速な復興には
大きな歴史的意義がある。
しかし、一方で、戦前・戦中・戦後を含めて、
大きな流血と犠牲という
「二度と繰り返してはならない悲劇」
という側面を忘れてはならない。
それが今も続く、あまりにも大きな
「20世紀の宿題」である。
大きな歴史的意義がある。
しかし、一方で、戦前・戦中・戦後を含めて、
大きな流血と犠牲という
「二度と繰り返してはならない悲劇」
という側面を忘れてはならない。
それが今も続く、あまりにも大きな
「20世紀の宿題」である。
(後に書いた記事
参照)
(2013年09月08日、上記ブログ内リンク追加)