完結・イギリス遠征2024…
地下鉄に乗って目的地に向かうのだが、その前にチョッと腹ごしらえ。
キャメロン師範に案内されるままに歩いて行くと…
イタリア料理店の前で止まった。
おぉ〜 ロンドンでイタ飯とは、これまたミスマッチでイイかも
支部長は看板に書かれたフレッシュパスタ🍝を注文する事にしたのだが、その出て来たパスタがコレ
いや、こんなんパスタとちゃうやん
形は、まんまチーズあられやし…
でもこのチーズあられのようなパスタが
美味しかった…
(…いや、どないやねん…)
空腹を満たしたあと、再びロンドンの街を練り歩く一行
🥋大会が終了し、プレッシャーから解放されて気が楽になったのか?すばるもお土産をたくさん買って楽しそうだ。
すばるよ、イギリスまで来てホンマに良かったなぁ〜師範はイギリスの人がこんなに良い人だったとは正直、夢にも思わなかったぞ
イギリスの印象が
どんどんロンドンよくなるよな!
(…そんなんいらんねん…)
そして我々が、たどり着いた場所が
セントポール大聖堂
ココでイングランド🏴支部の方々と記念撮影📷
そしてこの大聖堂の中に一歩足を踏み入れると…
わぁ〜 外も中も壮大という言葉がピッタリと来るような文字通りの大聖堂だったのである。
やっぱりイギリスは凄いわ👏
お手洗いも実に幻想的だった…
小1時間ほどセントポール大聖堂を見学したあと、再び電車に乗ってバージェスヒルに戻って来た。
ホテルに帰る前にスーパーマーケットに立ち寄ったのだが、どれもこれもやはりビッグサイズだ。
このスーパーマーケットで夜食を購入し、あくる朝には日本へ帰らなければならない。
滞在3日目の夜は、スーツケースを整理しながらイギリスについて自分の考えも整理する事にした支部長。
支部長がイギリス人に感じた事を独断と偏見を交えながらココに羅列したいと思う。
・日本人が思っているほど、イギリス人は紅茶を飲まない=というか滞在中、誰一人として紅茶を飲まずにコーヒーを飲んでいた。
・イギリス人はフランス人の事をあまり良くは思っていない=ルイス城の資料館に入ったとき、イギリスの師範がフランスを語る時、ずっと眉間にシワを寄せながら話していたのでそう思った。
・イギリス人は親しい間柄でもハイタッチやハグをしたりはしない=滞在中にそんな光景を見る事はなく、握手🤝も両手でする事は決してなく必ず片手でしていた。
・イギリスはアメリカほどチップの習慣はなく、ホテルのベッドメイキングの際もチップは必要無かった。
・イギリスは鉄道が結構いい加減で、プラットホームいる駅員を1度も見かけなかった。
・イギリスの高速道路は無料だが、その分税金がべら棒に高い事を、イングランド支部の師範がぼやいていた。
さて、イギリス滞在4日目の朝、我々はチャーターされたバス🚌でヒースロー空港に向かった。
イングランド🏴支部の方々が出国審査ゲートのギリギリのところまで来て、我々にまたあの歌を歌ってくれたのである。
訳詞
🎵彼は陽気なとてもいいやつだ
🎵彼は陽気でとてもいいやつだ
🎵彼は陽気でとてもいいやつだ
🎵誰もがそう思うんだ
するとどうだろう、空港職員の方々まで一緒に歌い出したではないかぁ
もうこちらはウルウル来て言葉にならない…
おおきに、ホンマにおおきに!
警察官に銀行マンにシェフに映像ディレクター、いろんな人材が集まった🏴🥋イングランド支部の皆さんには感謝してもし尽くせない
今回の遠征は生涯忘れる事の無い4日間になったのである。10年前のブログでイギリスにはもう2度と来る事は無いと綴った自分を大変恥ずかしく思う。
本当に楽しかった
そして食べ物も美味しかった
帰りは日本の航空会社だったのでホッとした反面、行きのように
お人形さんのような
CAさんは見当たらなかった。
(…いらん事いわんでえぇねん…)
ただ、離陸後すぐに驚愕したのは窓が見るみるうちに凍っていくではないかぁ
それぐらい上空は寒いのである。
ありがとうイギリス
ありがとうイングランド🏴支部の皆さん
機内食は久しぶりに食べるご飯🍚だ。
機内で観た映画は
もちろんイギリス🇬🇧映画の007
帰りはユーラシア大陸(中国上空)を通ってジェット気流に乗ったおかげなのか?行きより1時間も早く日本に戻って来る事が出来た。
羽田空港から再び飛行機に乗り、伊丹空港で降りて支部長が「いの一番」に食したものは…
インディアンカレー🍛でも王将の餃子🥟でもなく、なぜか?吉野家の牛丼だったのである。
なぜ牛丼だったのかは自分でも分からない
それから、羽田空港でポンドから円に両替するとき、32年前と同じように紙幣を1枚だけ記念に残したのである。
32年前の10ポンドと
今回の20ポンド
そしてこれは書くべきかどうか?最後の最後まで悩んだのだが、記録と記憶として残さなければならないという結論に至ったので、ここに明記しようと思う。
実は渡英する当日に、すばるのクラスメイトだった男子が高熱を出して急逝し、明くる日のイギリスに到着したその日に、今度は支部長の叔母が亡くなっていたのである。
気丈な叔母だったので、私たち甥や姪には闘病している事を知らせずに従姉妹から叔母が逝去したのを知らされたのは、日本に帰国してから1週間が経った頃だった。
仮に亡くなった日に連絡が来ていたとしても叔母の亡骸には対面出来なかった事を思うと、言葉にはいい表せないほどの焦燥感に苛まれたのである。
今から36年前に親父が亡くなってからというもの、大変お世話になっていた叔母の死だっただけに訃報を聞かされた時には膝から崩れ落ちそうになった。
小さい頃からあれだけ可愛がってもらったのに、最後のお別れも出来なかっただなんて…
まだ若いというには違和感のある10歳と
人生100年時代の78歳…
どうして「最高」の出来事の裏で、こういった「悲劇」が起きてしまうのだろう?
一昨年のアカデミー賞授賞式で、デンゼル・ワシントンがウィル・スミスにかけた言葉ではないが
最高の瞬間の時こそ気をつけろ、悪魔はそういう時にやって来る。
ブログであまりスピリチュアルな話をしたくはないのだが、洋の東西を問わず、本当にそういう事が起こる流れがあるのかとさえ思ってしまう。
すばるのクラスメイトだった「ときてる」くんのご冥福と、支部長の叔母「テリ子」の冥福を祈って、このイギリス遠征2024を〆たいと思う。
6回に渡ってお送りした
イギリス遠征2024
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。今後とも支部長のショートメッセージを宜しくお願いいたします。
本日の支部長の一言
エコノミークラスで10時間以上飛行機に乗る時は、ゲル状の座布団を持って行く事を決して忘れるべからず!
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