拳士通信
WBC
日本 対 台湾 支部長がTVをつけた瞬間に能見投手が崩れだし、俺のせいなんかなぁ… と、かなり凹んでしまった支部長です。こんにちは!
さて、本日は支部長が道場を開設してから書き続けている拳士通信をご紹介します。
今から13年前の2000年5月、まだ嫁と仲が良かった支部長は、当時住んでいたマンションのすぐ前にある小学校の体育館で
道場を開設することになりました。
その頃はパソコンの普及率も低く、もちろん我が家にPCなどあるはずもなく、日夜空手の修行に明け暮れていたのです。
最初は3人しかいなかった道場生も一年後には20名近くになり、同時に我が家にもパソコンなる物を置く事になったのだ。
そう、PCをインターネットに繋ぐ時に、
ピィ~ガぁ~
っと鳴っていたあの時代です。
このパソコン
を使って何か空手に役立つものを作れないだろうか?
それから書店でHP作成の本や、Wordの使い方等の本を購入し、寝る間を惜しんでパソコンに関するノウハウを学びました。
そしてついに、自分の教え子たちに読んでもらう
「拳士通信」が完成したのです。
2001年4月、第一回目の紅白戦が行われたあとに作った拳士通信。
その後、昇級審査や大会等がある度に拳士通信を作り続け、この12年間のあいだに63号を数えるまでになった。
毎回の内容は、審査の合格者、大会の入賞者、お知らせ、そして黒帯に成るための「黒帯への道」
今回の「黒帯への道」は丹田について書いてみた。
この拳士通信は自分が指導者に成ってからの歴史であり、13年間の想い出が詰まった自分自身の教科書
でもある。
数年に一度、読み返して見る事もあるのだが、冒頭の第一号の写真に写る拳士たち、もうみんな成人しているはずなのだが、
元気にしているのだろうか?
残念ながら消息が分かるのはごく一部の拳士たちで、中には大手自動車メーカーの製造工場で、多くの部下を持つ元拳士や、
今では自衛官となり日々訓練に明け暮れる元拳士もいる。
若い頃は超がつくほどいい加減で調子乗りだった自分が、結婚して30の半ばを過ぎてから先生と呼ばれる立場になり、
言葉だけではなく、教え子たちに何かを書き残そうと思って始めたこの拳士通信。
少しは彼ら彼女らの役に立っているのだろうか…
開祖宗家が残された言葉、
40、50は鼻垂れ小僧、30はその影もなし!
まだまだ鼻垂れ小僧の支部長は、コレからも拳士通信を書き続けて行きます。
ちなみに、この拳士通信の中ではダジャレ、前フリ、
オチなどは一切ございません。
あくまでも支部長の熱い思いだけを綴ったお手紙となっております。ええ。
その熱い思いを綴った拳士通信を、たまに道場の隅に忘れて帰る教え子がいたりして、
その時は泣きそうになるくらい
凹んでしまうけどね…
本日の支部長の一言
文字には言葉以上の力がある
コレ支部長の持論なり!




