さっきのレポートの続きです。
もし良かったらレポート1から読んで下さい。
東北ボランティア2日目は、朝7時50分ごろ、Kさんと一緒にホテルを出ました。
コンビニによって昼の弁当を買い、気仙沼ボランティアセンターに8時過ぎにつきました。
また8時半に受付をすませ、チーム分けを待ちました。
2日目は、知り合いが大勢出来ていたので、楽しく話などしていました。
1班2班と決まっていきましたが私たちはまた大勢頼まれる現場にいこうということで
まっていました。30人の募集のチームがあったのでそこに手を上げて応募しました。
道具を準備して、いざ出発というとこでしたが、朝からしとしと降っていた雨が本降りに
なってきて、ちょっと待ってくれと待ちになりました。
11時まで待ったのですが、結局雨天中止でトホホでした。
今日1日だけボランティアに来た人はかわいそうだねってみんなで話ましたが、そもそも
ボランティアというのは、こちらの都合じゃなく被災者、被災地を都合でやるもんだと
誰かが言ってくれました。なるほどその通りだと思いました。
これでおしまいでは、さみしいからと特に仲良くなった5人で昼飯を食べて帰ろうという
ことになり、気仙沼の巴寿司という店に入りました。
5人の内訳は、群馬から私、東京のKさん、深谷のSさん、名古屋のGさん、千葉から
高校2年生のA君。高校生の彼は、一人できてテントで1週間寝泊りしてボランティア
するそうで、みんなで感心しました。
巴寿司さんでは、刺身の盛り合わせ、上握り3人前、穴子丼2人前をみんなでわけて
食べました。成人男性4人は、これでビール飲めたらねぇなんて冗談いいながら、
食事を楽しみました。サービスもとても良くお茶をまめについでくれたり、上がりで
そばやスイカまで出したいただき、みんな大満足でした。高校生の分は、成人4人で
割って勘定を払って、少し話を聞きました。
地元の魚ですかという問いには、ノーで、ほとんどが北海道産だそうです。今は、唯一
カツオがあがるらしいのですが、その日は、まだ水揚げされてなかったそうです。
あとまだ精神的に地元の魚を出すことには、抵抗があるようです。なぜですかという
問いに、原発の影響はあまりないけどタコなどさばくとハラワタから指輪や髪の毛が
出てくることがあるそうです。なのでとても食べる気にはなれないと言われていました。
地元の人達は、これに限らずいろいろな苦悩を背負っていて、それでも前向きに
生きているんだと思います。私たちも少しでも手助けできるように、またボランティアに
きたいと思いました。とりあえず、5人で1月の再開を約束しました。
それから店をでて各自帰りました。KさんとA君は、居残りでテントで泊まるそうです。
Sさんは一関まで一緒に帰り、別れました。Gさんは群馬の高崎に実家があり、バスできて
いたので、高崎まで私の車で一緒に帰りました。彼は、名古屋の某メーカー勤務で、
27才でとても好青年でした。道すがらいろいろ話して、居眠り運転せずに済みました。
高崎駅に送り届け、私は、倉渕周りで帰りました。栃木県内でかなり渋滞したため、
家についたら夜10時でした。両親も、まだ起きていて、少し話をして、チュウハイを
1杯飲んで、風呂に入って寝ました。
今回の活動は、活動自体は正味3時間半くらいでしたが、いろいろ得るものはありました。
特に、被災者、被災地には、まだまだ支援の手が必要だと思いました。
一人のちからは大したことはありませんが大勢集まればすごい力になりますし、
どんどん善意の和が広がれば良いと思います。
あとボランティアが大勢行けば、地元で飲み食いや宿泊など少なからずお金をおとして
いくので地元の経済復旧にも貢献できるかななんて思います。
がんばれ!!東北 がんばれ!!日本
では。