前回の続きです。教会に導かれ、イエス・キリストを信じて変わったことについてです。
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第一志望として受けた大学に合格し、始まったキャンパス生活。サークルはバンドサークルに入った。ロックと出会ってから願っていた「バンドをやりたい」という思いを叶えることができました。
高校の時通ってた予備校の校舎長から、「今までの経験を生かして欲しい」と声をかけられ、進路指導の先生として始めたアルバイト。密かに「わたしもこんな風に人を教えられたらいいな」と生徒の頃から憧れていた仕事だったので、スカウトされた時は本当に嬉しかった。
順風満帆の学生生活。自分のやりたかった勉強やサークル、憧れていたバイトもできて。今までの暗い過去から抜け出して、自分は変わるんだ、と期待感に溢れていました。
教会に導かれたのは、そんなキャンパス生活が始まったばかりの1年生の4月。キャンパスを歩いていた時、「ゴスペルのライブに来てみませんか」と声をかけられたのが、きっかけでした。
誘ってくれた人はとても親切で、その時、わたしがまだお昼食べてなかったので、学食で一緒にご飯も食べながら話もしてくれて、最初は警戒してたわたしも、心が開かれていった。
大学もミッション系だったし、家の目の前が教会(聖公会だけど)で、教会やキリスト教に対するイメージはそんなに悪くなかったし。
その次の日曜日に、初めて教会に行きました。たくさんの人がいたし、ゴスペルはバンドで演奏してるし、今までの教会のイメージが覆されました。静かで厳かな、どちらかというとカトリックのイメージを日本人は抱いているので、わたしもそれに近いものがあったけど、にぎやかで、楽しい場所でした。
教会の人たちが、わたしに声をかけてくれて、関心を持ってくれたことが、とても嬉しかったのを今でも覚えています。
小学校から高校の時、一人でいる私のことを気にかけてくれる同級生はいたけど、わたしが上手く会話するができなくて、その関係も薄れていった。
だから、わたしが何もしゃべらなくても、話しかけてくれて、相手にとって何も利益にならないのに、関心を持ってくれるのは、どうしてなのだろう?と疑問に思うようになった。礼拝のメッセージや聖書を教えてもらう中で、それが神様の愛から出でくるものなのだと知るようになった。それから私も、聖書を学べば、これまでの暗い自分ではなく、新しく変われるのではないかと思うようになっていきました。
聖書を続けて学んでいくうちに、ぶつかった壁。聖書には、人は生まれもって罪人であること、イエス・キリストが復活したことが書かれてある。その事実が信じられず、かたくなに拒んでいました。サークルやバイト、学生生活が忙しくなってきて、教会に毎週日曜日行くことに負担を感じるようになりました。当時の私は、主なる神様を求めるよりも、自分の力を握りしめ、優先順位に置いていたのは、サークル、バイト、勉強。
それでも、神様は私を見捨てることはしませんでした。その頃、バイト先で、生徒とコミュニケーションが上手く取れないことに対して、社員の先輩から幾度も叱責されるようになりました。私には価値がないのではないのか、なぜ他の人みたいに人と話すことが上手くできないのか、という昔から抱き続けていたコンプレックスに襲われ、傷が露わにされました。
また、サークルの人間関係もどこか希薄で、飲み会や合宿もその場は楽しいけれど後には何も残らないさみしい気持ちに襲われ、疲れてしまいました。その時、神様が私の心に触れて、私の痛み、辛さを受け止めてくれました。わたしは足りなくて弱いけれど、ありのまま愛されている存在なのだと、神様の無条件の愛を体験することができました。頑固で高慢で、人に無関心で愛のないことが私の罪だったのだと、気付くことができました。必死になって求めていた真理、自分の存在意義、満たされない心に対する答えが見つかりました。聖書に真理が書かれてあること、自分のことをありのまま受け入れてくれる場所と人が教会、イエス様だったということです。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造されたものなのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」Ⅱコリント5:17
私が聖書を教えてもらった時、一番心に響いたのがこの御言葉でした。
それから、私は変わりました。人と接するのが苦ではなくなりました。自分から人に話しかけることが普通にできるなんて、昔の自分ではありえなかったのに。自分では気づかなかったけれど、教会のみんなから、表情が柔らかくなったねと言われました。
私は自分の力では変われなかったけれど、神様と出会って変わることができました。
今までは、自分のことがとても嫌いで、なんで私は他の人みたいに上手くしゃべれないのか、自分の力で頑張っても変われなくて、ずっと感じていた苦痛と弱さ。
その私の「弱さ」は誰にも理解してもらえないし、一人でいる事が強いのだと、いつしか独りよがりになっていた。壁を作り、その中で生きてきた。誰にも傷つけられないように。自分の信念を曲げない、元々の頑固な性格もあって、人に合わせる事を嫌った。集団、群れる事で大義名分を守るよりも、自分の世界を守るために 私は一人でいることを選びました。
それは、孤独と寂しさがいつも伴うことを意味しました。友達を作れない、人と話すのが苦手。周囲にも、また自分自身でもそのレッテルでコテコテに貼りまくられ、身動きが取れなくなっていて。そんな自分を変えようにも、自分の力では変えられませんでした。その勇気も、努力も、私にはありませんでした。
神様を心から受け入れた後の変化に、神様の存在を認めるしか、ありませんでした。イエス・キリストが真理でした。私はようやく、求めていた真理に出会うことができました。
「神様を信じるなんて、弱いやつだな。私は自分の力を信じているよ」と、人によっては言うかもしれない。
でも、私は違うと断言したい。神様は、私の弱さを通して出会ってくださった。私のこれまでの辛い経験や痛みを用いて、今度は私が、神様の愛を伝えていくように、強く用いてくださるように導いてくれてる。
自分の救われた証によって、神様の愛を伝えていきたいと願い、今ビジョンを祈りつつ、ミニストリーをやってます。
後々、このブログても、ミニストリーについて書けたらなと思ってます!
長くなりましたが最後まで読んでくださってありがとうございます。
では、次の更新まで。
god bless you♪