厳島神社舊址之碑と元帥公爵山縣有朋誕生地/山口県萩市川島 | 沸点36℃

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2018年7月15日散策/厳島神社舊址之碑と元帥公爵山縣有朋誕生地

2018年夏に散策した時の記事です

萩城下町を歩いている時に、あハッここの土地は三角州なのねっ❗て、今さら気付いたんだけど、その三角州を形成する川のひとつの橋本川沿いを初めて歩いてみました


水辺には遊歩道があって素敵キラキラ

橋本川は二級河川阿武川の分流になるんだね
そうして萩城がある日本海へ流れていくんだ~

私、山も川も海も近くにはなかった所で育っているから、土地の形を気にしたこともなかったし、それだから勿論、気付くこともなく生きてたよ(笑)


そういやここって、春になると桜が綺麗って噂

明治時代に、この町の阿武松之助って人の呼びかけで、町にゆかりある山縣伊三郎(山縣有朋の養子)や桂太郎、杉民治など560名の有志から苗木2150本も寄贈されて、明治30年から植えはじめて30年かけて桜の名所にされたんだとか

私、阿武松之助って聞いて、毛利斉熙のお抱え力士の阿武松緑之助だと勘違いしてたよ
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
相撲の見過ぎ


橋本橋のある方向へ歩いていると、あ、なんか鳥居がある


厳島大明神…?


狛犬と石碑が建ってるだけで、祠も何もない
でも草もなく、手入れが行き届いていたよ


かつて厳島神社があったのかしらね


ああ、やっぱりそうだ厳島神社
え、山縣有朋さんの書だわ


明治四十二年って刻まれているから、その頃どこかへ移されたのかな
漢文読めないから、オッパに読んで説明してもらったんだけど、


『厳島神社と産土神社が萩城川島の地区にありました
椿村の山から流れる阿武川の南にありました
私(山縣さん)は神社の西側に住んでいて、幼い頃ここで遊んでいました
自分がここを去って50余年経ち、既にここの神社が移ってしまったことを聞きました
堀内の春日社に合祀されたと聞いて、ここに跡を残すべく石碑を建てて公園にし、後世に残す…』

って、そんな事が書かれてあるんじゃないかってオッパが言ってたわ
さすが拍手オッパ

まだ行けてないけど、その春日神社に摂、末神社を合祀した阿武神社ってあるの?
ちょうど地域の神社整理の際に、明治43年にそんなことがあったみたいだよ
その中に川島厳島神社があるのかしらね


その厳島神社跡の直ぐ近くに、山縣有朋さんの誕生地があったよ

はぁぁ(*゚∀゚)=3立派な石碑だなぁ


文は山縣さんの養子の伊三郎さんが撰してるね
書は工藤壮平…誰だろう、官僚かな

説明板に天保9年に生まれて大正11年に亡くなった…って書いてあってびっくりΣ(・ω・ノ)ノだよ


これ、枯れちゃったの?

切り株の説明板に
『山縣有朋の別荘であった東京目白の椿山荘は、大正時代に藤田家の所有となり、現在は藤田伝三郎を始祖とする弊社の管理・経営のもと、都心のオアシスとして親しまれています
椿山荘のヤブ椿を山縣誕生地に植栽し、末永く萩市との絆とします』
って書かれてあったよ

ブログを書きながら、その説明板の文章を改めて読んだり、さっきの厳島神社跡の石碑に書かれてる漢文の意味を知って、


ああ、きっと山縣さんって故郷が恋しくて、好きで好きでたまんなかったんじゃあないかしら

ブログを書きながら、同時進行で徳富蘇峰の「公爵山縣有朋伝」と、これは庭園学の会報誌なんだけど「日本庭園学会誌」を読んでたんだ

見て聞いて読んでたら、

山縣さんってマイナスイメージ的な印象を持たれてるみたいだけど、結構、人間的な部分が垣間見れた気がしたよ


因みに、徳富蘇峰の「公爵山縣有朋伝」には、幼き頃の山縣さんのこの川島での生活が書かれてあったよ

徳富蘇峰って知らないけど、なんだ?途中からインチキ右翼みたいになっちゃったんだってね

ゲローゲローゲロー

ま、いっか


萩に行くと、江向の中央公園へほぼ必ず行って「来たよ~」って山縣さんの騎馬像にご挨拶するんだ

この山縣さんのお顔が、うちのじいさんにソックリなんだ
ブ━.;:;:(゚ε;:(´゚;:.3.;:゚`);:з゚);:;:.━ッ!!



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