2018年夏に散策した時の記事です
萩城下町を歩いている時に、あ
ここの土地は三角州なのねっ❗て、今さら気付いたんだけど、その三角州を形成する川のひとつの橋本川沿いを初めて歩いてみました
![ハッ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/104.png)
水辺には遊歩道があって素敵![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
橋本川は二級河川阿武川の分流になるんだね
そうして萩城がある日本海へ流れていくんだ~
私、山も川も海も近くにはなかった所で育っているから、土地の形を気にしたこともなかったし、それだから勿論、気付くこともなく生きてたよ(笑)
そういやここって、春になると桜が綺麗って噂
明治時代に、この町の阿武松之助って人の呼びかけで、町にゆかりある山縣伊三郎(山縣有朋の養子)や桂太郎、杉民治など560名の有志から苗木2150本も寄贈されて、明治30年から植えはじめて30年かけて桜の名所にされたんだとか
私、阿武松之助って聞いて、毛利斉熙のお抱え力士の阿武松緑之助だと勘違いしてたよ
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
相撲の見過ぎ
橋本橋のある方向へ歩いていると、あ、なんか鳥居がある
厳島大明神…?
かつて厳島神社があったのかしらね
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20191116/00/st0323st0323/a9/8a/p/o0607108014640799861.png?caw=800)
ああ、やっぱりそうだ厳島神社
え、山縣有朋さんの書だわ
明治四十二年って刻まれているから、その頃どこかへ移されたのかな
漢文読めないから、オッパに読んで説明してもらったんだけど、
『厳島神社と産土神社が萩城川島の地区にありました
椿村の山から流れる阿武川の南にありました
私(山縣さん)は神社の西側に住んでいて、幼い頃ここで遊んでいました
自分がここを去って50余年経ち、既にここの神社が移ってしまったことを聞きました
堀内の春日社に合祀されたと聞いて、ここに跡を残すべく石碑を建てて公園にし、後世に残す…』
って、そんな事が書かれてあるんじゃないかってオッパが言ってたわ
さすが
オッパ
![拍手](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/130.png)
まだ行けてないけど、その春日神社に摂、末神社を合祀した阿武神社ってあるの?
ちょうど地域の神社整理の際に、明治43年にそんなことがあったみたいだよ
その中に川島厳島神社があるのかしらね
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20191116/00/st0323st0323/22/8d/p/o0607108014640800203.png?caw=800)
その厳島神社跡の直ぐ近くに、山縣有朋さんの誕生地があったよ
はぁぁ(*゚∀゚)=3立派な石碑だなぁ
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20191116/00/st0323st0323/a6/5e/p/o0607108014640800316.png?caw=800)
文は山縣さんの養子の伊三郎さんが撰してるね
書は工藤壮平…誰だろう、官僚かな
説明板に天保9年に生まれて大正11年に亡くなった…って書いてあってびっくりΣ(・ω・ノ)ノだよ
これ、枯れちゃったの?
切り株の説明板に
『山縣有朋の別荘であった東京目白の椿山荘は、大正時代に藤田家の所有となり、現在は藤田伝三郎を始祖とする弊社の管理・経営のもと、都心のオアシスとして親しまれています
椿山荘のヤブ椿を山縣誕生地に植栽し、末永く萩市との絆とします』
って書かれてあったよ
ブログを書きながら、その説明板の文章を改めて読んだり、さっきの厳島神社跡の石碑に書かれてる漢文の意味を知って、
ああ、きっと山縣さんって故郷が恋しくて、好きで好きでたまんなかったんじゃあないかしら
この山縣さんのお顔が、うちのじいさんにソックリなんだ
ブ━.;:;:(゚ε;:(´゚;:.3.;:゚`);:з゚);:;:.━ッ!!