権現堂橋/山口県山口市小郡 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

2017年12月3日散策/権現堂橋


陶からの帰り道車ダッシュダッシュダッシュ
お買い物のため、ここどこ~?仁保津?を通ったの
椹野川を渡ったところで、何だか気になったものを発見したから、車を停めて歩いてみたよ


川に山の姿が写っていて素敵きら
この山ってなんだろう…伽藍山?

もしかして、天然記念物のナギの木がある山?


なんかね、この橋を真っ直ぐ行くと突き当たりに熊野神社?熊野権現神社?があるらしいの

今回は行ってないんだけど、神社なのに権現?えっと、お寺なの?神社なの?って感じだけどブッ

そうゆうことも、いつか行った時のお楽しみってことで


そういえば、権現様はナギの葉っぱに乗ってやってきたの?だから権現神社にはナギが植えられていたりするみたいだよ


冒頭で気になったもの、ってこれ
車窓から見えたんだ

え、なんで鐘?って


橋の上を歩くと、鐘のモザイク
「権現堂橋」だって
そういや、この辺りは東大寺の荘園だったらしいわ
東大寺建立の鐘楼の撞木に用いるのに、この辺りのフシの大木を採取されたみたい

へぇぇ

あっ( ̄□ ̄;)!!ここは椹野川
フシ…椹…フシの川…


わ、なんか神楽っぽい画
その熊野神社、天正10年(1582)に社殿が焼失しちゃって、文禄元年(1592)の再建を祝う時に岩戸神楽が奉納されてて、

以来、延々と現在も毎年秋に奉納され続けているんですって


岩戸神楽…って?

もしかして、天照大神の岩戸隠れのお話かなぁ
なんか~天照大神って太陽の神様なのに、隠れちゃって世界が真っ暗になっちゃった…っていうお話だよね?
前にオッパに教えてもらったんだけど、やっぱ神話は苦手だ、やっぱり

なかなか覚えられん


熊野権現神社って、

今は廃寺になってしまったようだけど、むかしはこの辺りに天台宗の東陽寺ってお寺があったようで、その鎮守として紀伊の熊野本宮から勧請したらしいのよ

あっあっっそっか、そっか
奈良時代の時って神=仏っていう考え方だったんだ
だから、熊野神社なのに権現?神社なのにお寺なの?って疑問だったんだ汗


権現堂橋って昭和15年(1940)に作られたのね
その前は、どのようにして橋が架けられていたのかしら

もしかしたら、ここは熊野権現神社の参道の一部だったんじゃないのかなぁ

なんて、思ったり


あ、そういや、地名に仁保津ってあるけど、もしかしてここって港があったりしたの?
港というか船着き場、みたいなやつ

「津」って、そうゆう意味もあったりするからさ~なんとなく


ぺこぺこり


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  マキ科・常緑高木。大きいものは幹周4.71m(1.50m径)、高さ25mに達する。雌雄別株。台湾から琉球、九州、四国に自然分布する。葉は他の裸子植物と違って卵形~楕円状披針形で幅1.5‐2cmあり、脈は多数の平行脈になる
由緒ほか
  権現様はナギの葉に乗って来られたという伝説は全国的に聞かれ、熊野権現系の神社によく植栽されている。近くの山麓に熊野神社が現存するところから、植栽された可能性がある。藩政時代ナギが相当多くあったとされ、後に伐採されたものという。現在は上記のもののほかは小さいものが数本見られる程度である。
  指定地付近には大きい岩塊の中に祠、地蔵7体があり(山上社)これには里丁が彫られており、ここに上がる道そばに置かれていたものであろう。文化十酉…の石灯籠も見える。(風土注進案では麓に廃寺東陽寺(天台宗)の名が見えこの奥の院との説もある)