玉泉山光巖寺/山口県山口市大内御堀 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

2017年11月26日散策/玉泉山光巌寺


行くところ、行くところ、紅葉がとっても綺麗イチョウイチョウイチョウ

駅前通りの銀杏の葉も色づいて、うっとり
黄色の絨毯の上を歩いてるかのよう


久し振りに光巌寺へ行ってみた

浄土宗玉泉山光巌寺
本尊は阿弥陀如来


ここは寛永年間に益田孫左衛門就固が創建した、当初は光勝院と呼ばれていたお寺

明治3年(1870)に、平川の冷巌寺と合わせて「光巌寺」にしたそうよ

開山は仏誉上人


山門出前には、えんこう地蔵

えんこう伝説のお地蔵さまを土手から移されてきたのね


ここのお寺が持っている市指定文化財の梵鐘ってこれのことかなぁ、違うのかなぁ

応永2年(1395)兵庫頭源朝臣が大檀那になった時に、石見国吉賀郡木部八幡宮に寄進されたってやつ


それがね、大内の多聞寺(廃寺)に移って、さらにここに移されてきたってやつよ

ただね、時期詳細不明らしいの


梵鐘に銘文が刻まれていて、それを見れば解るようなんだけど、古すぎて銘文も消えてるんだもの


そういや、大内義隆の継室だけど正室になった?おさいの方様

義隆さんの2番目の奥様ね汗

もとは最初の正室の万里小路貞子に仕えていたんだけど、義隆さんの子を身籠ってしまったのね
生まれた子は義尊


大寧寺の変の時に法泉寺へ逃れたんだけど、おさいの方様はのちに妙喜寺(常栄寺)に逃れていて助かっているの

おさいの方様の父親は小槻伊治って人だけど、父親はまぁ、真っ先に殺されてますがねがびょーん

それで山口の光厳寺で出家されたそうだけど…
う~ん…そんなのここのお寺の説明板には載ってないんだけど、どこの情報なんだろうか

大寧寺の変は、天文20年、1551年だよ
光巌寺の創建は寛永年間、1624年から1645年

でも、山口の「光厳寺」ってことだから、きっとここ???なんだよなぁ~でも数字だけみたら有り得ないんだけど


ところでね、おさいの方様のお墓ってどこにあるんだろう

なんか、萩市片俣の方に義隆とその正室とその側室の供養塔があるみたいだね
って、ことは…万里小路貞子とおさいの方様と義隆公が並んでるのか
あっ❗おさいの方様と他の側室???
側室、いっぱいいるよ?
あっ❗おさいの方様は正室ではなく、あくまでも継室

なんでも側室の子が逃げ延びて、え?片俣御舟子に養雲院ってあるの?そこの住職になったんだそうよ
それで供養のために石塔を建てたんだそう

義隆の娘に珠光がいたけど、大寧寺で自死しちゃったし、おさいの方様との子で義尊は捕らわれて斬首されてるよね
歓寿丸もそう…

問田亀鶴丸…大内義教か、それか義胤?
どっちか、でしょ?どっちかが生き延びて義隆と正室、そして側室だった母親の供養塔を建てたってことだろうから

つうか、誰が生き延びて誰の供養塔を建ててるんだーーーーー
気になるじゃんか


ぺこぺこり


一番思い出に残っている写真は?

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