瑞雲山龍福寺の紅葉/山口県山口市大殿大路 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

2017年11月23日散策/瑞雲山龍福寺の紅葉


この日はお天気がとってもよくて、龍福寺の参道の紅葉を見に行ったよカップルダッシュ

昨年は微妙だったんだけど、今年はとっても色が映えて素晴らしかった🍁🍁🍁


この参道、そんなに長くないしもみじの木も沢山あるわけじゃないんだけど、赤、緑、黄色…色んな色を楽しめたよ


夕方になったら、夕陽を浴びて、また違う印象になるんだろうね


ついこの間、大内義隆の終焉の地でもある長門市湯本の大寧寺へ行ってきたんだけど、あそこはもう紅葉のピークは過ぎちゃったみたいだけど、綺麗だった

こっちは内陸だから、少し時期がズレるのかな


もともと龍福寺は、建永元年(1206)大内満盛が創建した臨済宗のお寺で、白石地区にあった宝珠山瑞雲寺だったのよ

延元元年(1336)大内弘直(同年、石見国益田大山で上野頼兼と戦い戦死)が再建して菩提寺としたの

享徳3年(1454)には、大内教弘が雪心和尚を迎えて中興開山として曹洞宗になって、寺号も瑞雲山龍福寺と改めたの


その後、大内義隆が後奈良天皇に奏請して勅願寺として官符を請うて重建したんだけど、

天文20年(1551)の乱で、兵火にかかり焼失してしまったの

あの大寧寺の変ね


大内義隆らは大内氏館・築山館を出て、山麓の法泉寺へと退いてしまったの

その後、山口の地を放棄して長門へ逃亡することになるんだけど、空になった大内氏館やその家臣の邸宅は火にかけられてしまったのね


因みに、

大内義隆の2番目の正室のおさいの方は(継室だけど義隆公…1人目の奥様と失敗してるねん💦)最初は法泉寺に逃げたんだけど、のちに宮野の妙喜寺(現在の常栄寺)→御堀の光厳寺で出家されている

義尊のお母さまね


その後、弘治3年(1557)毛利元就の長男毛利隆元が、この大内館跡に大内義隆の菩提寺として、後奈良天皇の綸旨を受けて、龍福寺を再興したんだそうよ


ところが、明治14年にまた火災に遭ってしまって、禅堂と山門を残して焼失しちゃったみたい(´゚ω゚):;*.':;ブッ


それで明治16年(1883)再建に際し、大内氏の氏寺だった御堀の天台宗興隆寺から釈迦堂を移築、本堂に改造したんだって

因みに、興隆寺の釈迦堂は文明11年(1479)に建立されたものらしい


ここの本堂の、前の姿を知らないんだけど汗

平成17年から23年に修理保存工事が行われて、当初の室町時代の姿に戻された、って記録があるよ?


境内には、大寧寺にある大内義隆の宝篋印塔を原寸大に複製したものと、義隆に従って戦死した冷泉隆豊など家臣や公卿の諸聖霊を供養するための十三重塔などがある


大内義隆の辞世の句碑のところには、いつも寒桜が咲いている

そういや、境内のからすうりを見るの忘れた


ここは、大内弘世の時代、大内御堀から山口に移り、館を定めた場所

以降、大内氏は代を替えながら約200年に渡ってここで政務を取っていたんだね


ここ龍福寺の場所は、大内氏館跡と云われているけれど、境内の他に池泉庭園などもあるし、別邸の築山館と合わせたら相当な広さを誇るよね汗

未だに山口の町には大内氏の栄華をしのばせる跡が色濃く残ってはいるけれど、

人生って栄えたり衰えたり、無常だね


ぺこぺこり


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