5月3日散策/陸軍大将子爵児玉源太郎卿遺髪塔
徳山動物園からひたすら歩いてるんだけど、何処へ向かっているかというと、なんかね、近くに児玉源太郎さんの遺髪墓があるらしいからさどうしても行きたいじゃん
でも住所も地図もわからないの
オッパは出掛ける前に、前日にちゃんと検索して調べておくんだけど、遺髪墓は急遽行きたいってなったものだから、はっきりとした場所はわからないみたいなの
仕方ないから警察署で教えてもらったんだけど、
GW中にいい大人が墓場を探してるって、普通に怪しさ満載なのに快く、しかも聞いてもいない知らなかった情報まで親切に教えてくれて、マジ感謝だよ
若い職員達は「え?児玉神社じゃなくて?」と、だ~れも知らないみたいで、見かねて初老(失礼)の職員の方が「若い者は誰も知らんのか」バリに喜んで教えてくれたんだって
ありがとうございました(*´∀`*)ノ
お巡りさんが教えてくれたとおり、ちゃんと辿り着けたよ
わたし達のクルマは軽自動車じゃなく、7人乗りのわりと大きな自動車だから、散策するときはなるべく徒歩なの
だからいつも、結構な距離を歩いたりするんだけど、この日もまだ5月に入ったばかりなのに、最高に散策日和でね
数日前に下関を歩いた疲れもまだ残っていたから、ちょっとダラダラ
でも着いちゃうと、一気に疲れも吹っ飛ぶのね
中央が児玉家累世墓、右側が義兄次郎彦(幕末の政争で没)と姉久子夫婦の墓、左側が児玉源太郎の遺髪墓
何だか心がビシッと…緊張する
明治39年7月24日に死去、同7月28日に東京青山に葬られ、同9月8日この地に遺髪が納められている
現在墓所は、東京都府中市の多磨霊園にあるとのこと
児玉さんは、日露戦争の勝利のために心血を注ぎ込んだともいわれ、戦争終結8ヶ月後に参謀総長在任のまま、そして南満州鉄道創立委員長に就任し、その10日後、就寝中に享年55歳で脳溢血で急逝した…と、云われている
児玉家累世墓
義兄の次郎彦と姉の久子夫婦の墓
次郎彦の戒名は「一休院義岳了忠居士」
なんかもう、胸がいっぱいになったよ
ヘタな説明は不要な気がするわ
墓所に連れてってくれたオッパに、感謝感謝
因みに墓所は、興元寺の墓地である通称隠居山墓地の一角の児玉家墓所にある
児玉さんは突然亡くなられている為、辞世の句とかは無いらしいんだけど、晩年にしたためた句がある
■長すぎて 僕の体に 秋の風
そういや、今、思い出したわ
わたしの地元には明治36年(1903)に開設した日本初の本格的ワイン醸造所があって、
その日本ワイン製造先駆者は諸名士と交流があって、政治家では勝海舟、山岡鉄舟、榎本武揚、曾禰荒助、板垣退助、土方久元、軍人では大山巌、児玉源太郎、西郷従道…Σ(・ω・ノ)ノマジか
と親交があって、シャトーを訪れているんだそうよ
明治38年(1905)前列右から4人目のマント姿が日露戦争終結直後の児玉源太郎
わぁ(・∀・)♡
帰省したら行ってみよう
こんにゃく、好き?
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