河村写真館(旧小野写真館)/山口県山口市上竪小路 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

3月12日散策/河村写真館(旧小野写真館)


龍福寺の帰り、八坂神社の方へ歩いていくと、この竪小路という地区は室町時代に大内氏が京都に見立てて整備した古くからの町並みが残されていて、この辺りも観光スポットになっているの



萩往還としても江戸時代には機能されていて、きっと参勤交代などでも使われていたんだろうね



八坂神社の通りには、今八幡宮や豊榮神社、野田神社、山口ふるさと伝承総合センター、和菓子のお店風月堂などがあって、菜香亭、先を行くと雲谷庵などがあるのよ



町屋づくりの建物が建ち並ぶ竪小路

そこの傍らには、朱色の大鳥居が印象的な八坂神社



この八坂神社は、24代大内弘世が応安2年(1369)に京都祇園社から勧請したものが始まりで、本殿は永正16年(1519)30代大内義興が建てたものが現存していて、国の重要文化財の指定も受けているの



その八坂神社の境内には、明治8年建造と云われている洋風建築の写真館があるの

屋根の上の尖塔が特徴的で、山口県下でも最も古い歴史を持つ木造二階建ての擬洋風建築で、県指定の文化財でもあるみたいね

ところが建物の経緯には2通りの説があるらしいの
幕末に長崎留学中に写真の技術を習得していた長州藩砲術指南役小野為八が維新後の明治8年(1875)年に県内最初の写真館として建てたという説と、

明治20年(1887)に長州藩士松原繁が建てたという説

NPO法人の調べによると、旧士族の松原繁さんが写真館として建築した、との説の方が有力らしいわ

わたしは「この写真館は奇兵隊の人がやってた」と聞いていたから、あれがびょーんそうなんだって、ちょっとがっかりブッブッブッ



でもね

「小野写真館」から松原、防長、河村…と所有者が代わっていること(平成になってからも営業をされてたみたいだけど現在は廃業)

明治初期に山口伊勢小路のかつての大神宮鳥居近傍で写真館を開いたとされる小野為八さんとの関係など、今後解明すべき多くの謎が残されているよね

因みに、松原繁さんの息子精一さんも写真師で、明治末期には八坂神社境内地に隣接された京都丸山公園で写真館を開業されていたそうよ



ここは写真館として使われ続けた国内でも稀少な建物で、 正面の3連アーチやバルコニーなどの洋風の外観に対して、内部は和風で居室は畳敷き、建具は襖が入っていたとされていて、地方の鹿鳴館の雰囲気が漂っているよね

屋上の塔屋ではお月見をしていたんですってにこっ

それから、山口で最初の西洋料理を供したとされる菜香亭に隣接して建てられているから、伊藤博文や山縣有朋など帰郷のたびにこの写真館に必ず立ち寄り、撮影をされていた、とか



話は変わってコメダ珈琲店でおやつ♪



コメダ特製小倉ノワール
季節限定で来月9日まで

北海道産小豆を挟み、甘酸っぱいイチゴソースをかけた和のシロノワール

わたしは和の甘さが苦手だから、ミニサイズを汗
でも半分食べてギブ☆
やっぱ、ダメだなぁアンコ…
イチゴソ-スすら食べれなかった

ソフトクリームの甘さは全然大丈夫なのにな



これは本日のおやつ
かしわ餅と道明寺餅

やっぱりアンコ、ダメだ~
道明寺餅は半分残しちゃったもん

てか、途中気持ち悪くなってしばらくベッドで横になったよがっかりドーン・・・

小豆がダメなのかなぁ…
自然と拒否るのは、もしかしたらアレルギーでもあるのかなぁ



最近のお気に入り、ロ-ズヒップティ-
こうしたハ-ブティ-が飲めるようになって、わたしも大人になったな´艸`アハハ


ぺこぺこり


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