山口県立山口博物館/山口県山口市春日町 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

9月11日散策/山口県立山口博物館


山口市にある総合博物館
昭和25年(1950)創立で、前身は明治45年(1912)開設の防長教育博物館

隣接されてる赤煉瓦造りの平屋建ては、大正6年(1917)の建立の旧維新記念堂

旧県立教育博物館に併設され、維新記念資料が陳列されていたそうだけど、現在は使われていない



実はこの博物館
ある事情で最近まで閉鎖されていたらしいの

あれ?そうだったんだ~汗

2014年7月に雨漏りの状態を確認したら、2~3階展示室の天井部分に国の基準を大幅に上回るアスベストが吹き付けられていたらしくがびょーんあ、なるほど

約1億3000万円をかけて撤去工事をされたそうよ

ほほぅ

えΣ(・ω・ノ)ノ2年振りの再オ-プンなんですって



館内は、入ってすぐの理工展示室に、世界文化遺産に登録された萩市の萩反射炉の説明模型が展示されていたり、地学展示室、植物・動物展示室、考古・歴史展示室、天文展示室、天体観測室…などなどあって、



来場者が触ることができる恐竜アパトサウルスとエドモントサウルスの大腿骨があったり、わたし、毎年必ず一回は、東京にある博物館や科学技術館など行ってたからね

懐かしいなぁ~

小さい頃は美術館が大好きで、絵心は全く無いんだけど、大きくなってからも度々足を運んだわ



見たかったところは、ここ歴史展示室の特集展示「長州藩幕末維新関係資料」

来る明治維新150年に向けて、再オ-プンの際に、常設展示内容を一部見直しているみたいなのね

そういやNHK大河ドラマ2018も西郷どんに決まったみたいだね~楽しみだなぁ
チェストォォォヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ `Д´)ノ

正面のお着物は周布さんのもの

他には、明治時代に描かれたE・キヨッソ-ネ筆の毛利元徳像があったり、歴代毛利氏の画(元就から隆元・輝元・秀就・綱広・吉就・吉広・吉元・宗広・重就・治親・斎房・斎熙・斎元・斎広・敬親まで)、同じく明治時代に描かれた洋装の木戸孝允像、これは作者不詳だけど、英国の画家の作品らしく、木戸家伝来品とのこと
明治5年(1872)、木戸さんが岩倉使節団としてロンドン滞在中に撮影した写真をもとにした作品みたい

因みに、毛利元徳は徳山藩主毛利広鎮の10男で、安政元年(1854)に毛利敬親の世子となっているの
明治2年(1869)に家督相続後は、山口藩知事、貴族院議員を務めていて、お墓は山口香山墓所(国史跡旧萩藩主毛利家墓所)

館内は撮影可能なものと、そうじゃないものがあるから気をつけてパー



毛利敬親像/明治時代 原田直次郎筆

毛利敬親は長州藩13代藩主
この画は、慶応2年(1866)12月、三田尻停泊中の英国艦上で撮影した写真をモデルに描いたもの



毛利敬親一行書/格非心

毛利敬親公は「そうせい公」とも呼ばれていたよね



まさか来嶋さんのがあるとは思わなかったよ~
この掛け軸欲しいなぁ…

来嶋又兵衛像/元治元年(1864)冬 宮本金載筆

来嶋又兵衛は長門国厚狭郡西高泊村(山陽小野田市)に無給通の喜多村政倫の次男に生まれ、のち大組来嶋家を継いでいる

馬関総奉行手元役など藩の要職を歴任
高杉晋作の奇兵隊結成に呼応して、遊撃隊を組織し総督となっている

8月18日の政変後、長州藩の失地回復を目指し、出兵を激烈に主張
禁門の変(蛤御門の変)で激戦を繰り広げたが、敗れて自刃している

その息子が森清蔵で、奥様は井上馨さんの妹さんなんだよね!

山口小郡地区の豪農や下士族を中心に、慶応元年に結成された鴻城隊という諸隊があるんだけど、当時の中心人物は吉富藤兵衛、桜井慎平らで総督は井上馨

高杉晋作の俗論党討伐には奇兵隊と同様に、途中から参戦して藩正規軍と戦って打ち破り、三田尻→小郡→長府→山口へと進んでいるんだけど、

その時の総督は又兵衛さんの息子・森清蔵さんだったのよ

のちにオッパのおじいさまが清蔵さんの書生さんとなって、美祢から東京で過ごされているの
そうした流れで、オッパんちは、この長州閥の恩恵を受けて現在に至っているんだ~



周布政之助像

周布政之助は長州藩大組士
村田清風の薫陶を受けて藩政改革に取り組み、保守派と政争を繰り広げたのちに実権を握っている

松陰先生や高杉晋作ほか門下生のよき理解者で、伊藤博文らの密航留学(長州ファイブ)にも尽力

激動の時局に対応する中、文久3年(1863)8月18日の政変、元治元年(1864)禁門の変(蛤御門の変)、第一次長州出兵と相次ぐ情勢悪化によって追い込まれ、寓居先の山口・吉富家で自刃



周布さん所用のガラス杯
これも周布家伝来品

わぁキラキラ



木戸孝允の扇子と書簡

扇面和歌/敷嶋のやまとごころの花をしも すてて戎しの世にならへとは

写真下部は野村素介宛の書簡

明治元年(慶応4年)2月3日、木戸さんは新政府の三条実美と岩倉具視に版籍奉還を建言したけれど、時期尚早として取り上げられることはなかったんだよね

そこで藩主毛利敬親公に建言すると、敬親公は薩摩の大久保利通と図って秘密裏に事を進めるよう指示

その準備中、木戸さんは10月15日、山口藩の野村素介に宛て、自己の図家構想を図示した書簡を書いて、一体一力を以て日本を維持することの重要性を強調しているの

木戸さんの政治目的が、長州藩の強化ではなく、近代国家の建設であったことが書面には記されている



それから、この歴史コーナーには、昨年東京都などで開かれた大河ドラマ「花燃ゆ」の特別展で使われた松下村塾のセットが移築されていて、たぶん、それは、再オープンの目玉のひとつなんじゃないかしら

もしかして、江戸東京博物館かな

でね、そこにはつい先日、明治大学商学部教授の熊澤喜章さんから県に対して吉田松陰自賛肖像(中谷本)など、長州藩幕末維新関係の貴重な資料の寄贈があってそれらが展示されていたわ

コレクターだった先代熊澤善三郎さんから託されたそうよ



吉田松陰自賛肖像(中谷本)/安政6年5月24日

松浦松洞筆

「中谷本」とは、松陰先生と旧知の中谷正亮さんに与えられた一幅のことね
中谷正亮さんから、甥の桂太郎の手に渡り、次いで柴田家門

え、桂太郎さんって内閣総理大臣やられた? 井上馨とは義理の親子でもあるんだよねぇ~

柴田さんというのは萩出身で、第2次山縣内閣の内務省地方局長を務めたり、第1次~2次桂内閣の内閣書記官長に就任されていたりするわ
第3次桂内閣の時には文部大臣

で、めぐり巡って、熊澤善三郎さんが入手したのね

複製版はよく見るけれど、それこそお土産屋さんで売られているしね汗

でも、ホンモノを見るのは初めてだわ



吉田松陰詩書 贈福川犀之助
/安政6年5月24日

安政6年(1859)5月24日、江戸護送
を翌日に控えた松陰先生は、野山獄の司獄・福川犀之助の独断で出獄を許され、杉家の家族達と決別することが出来ている

これは、松陰先生が福川さんの厚遇に感謝して贈った詩幅

福川さんは松陰先生より4歳年下ではあるけれど、松陰先生という人物を崇拝していて、外部と書信を交わすことを黙認していたのね

因みに松陰先生は、別れに際して福川さんへ肖像の自賛を贈られているんだけど(吉田松陰自賛/福川本・萩博物館)、松陰先生が家族や門下生以外に自賛を書き与えた人物は、福川さんただひとりとなっているわ



佐久間象山書簡/2巻

佐久間象山のも初めて見るわヾ(o´∀`o)ノ
わたし、今回、これが一番感激したかも

他には、幕長戦争(四境戦争)の戦闘状況を伝える版画4枚など展示されていたけれど、撮影NGだった為、掲載は不可能ダッシュ
その版画は、幕府側の視点から描いた版画で江戸で製版されたものだったよ~



帰りにお外のテラスで休憩
この日は暑くてね、30℃くらい気温があったんじゃないかしら

宇治金時

食べきれると思ったんだけど、やっぱ小豆の甘さはわたしは苦手なんだがっかり
たま~にあんこ系を食べたくなるんだけど、やっぱダメだった~~~~~和ものは苦手だ○| ̄|_どーん

しかも抹茶のシロップすら甘~~~~~い感涙ウゥ


ぺこぺこり


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