東光寺/山口県萩市椿東 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

1月1日散策/東光寺


急遽、萩の街を散策することになった元旦(´・ω・`)

元旦早々、こうした史跡巡りもどうかなとは思うんだけど

おまけに今日は結婚記念日花束
元旦に入籍して1年経ちました



吉田家墓地からの帰り道に突如現れた、

なんですかこれはΣ(・ω・ノ)ノ



総門国指定の重要文化財、東光寺の総門

東光寺を開山した慧極禅師は、このお寺が創建された翌年の元禄5年に晋山、この総門はその頃竣工したものと推定されているらしく、総門正面には慧極筆の「護国山」の額が掲げてあるんだけれど、でもそこには「元禄癸酉六年孟春吉日(西暦1693年)」って年期が記されているんだよね…

三間二戸八脚門(正面柱間が三間、側面柱間が二間、左柱間に扉、右柱間に板壁、八つの控え柱)、一重切妻造段違本瓦葺きで、棟の端にはシャチ(鯱)の代わりに摩伽羅が飾られてあって、中央持ち上げの棟式屋根は黄檗風の様式

材料はクサマキ・マツ等の用材の表面全体にベンガラが塗ってあるの

てかね、総門だけでも一見の価値有りキラキラ



総門右横の石柱を禁牌石といって「葷酒山門に入るを許さず」

これは「葷(にんにくや韮など匂いの強い物)を食べたり、お酒に酔った者の入山を禁止する」という意味らしいわ



ここ東光寺は、1691年(元禄4)3代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として建てた、黄檗宗のお寺なんだって

宇治市の本山黄檗万福寺をお手本に建築して、吉就の亡くなった後はここへ墓所を造って菩提寺としたみたいね

いつもは拝観料を払って中に入れるみたいだけど、お正月だからかな
無料で中へ入らせていただけたの(*'∀`*)vおんぷ



総門をくぐると、これもまた国指定・重要文化財の山門があるの

この門は東光寺が創建されて121年後の文化9年(1812年)に竣工
藩主毛利斉熙が寄進したもので、「文化八年辛未七月念有八日始斧」「同九歳次壬申九月十有九日竣工」っていう棟札があったわ

規模は地方寺院のものとしては有数らしく、桁行11.6メートル、梁間6.7メートルの三間三戸(柱間が三つ、戸口が三つ)の二階二重門



入母屋造り本瓦葺き、棟の両端は鯱付き鬼瓦備え、中央は露盤宝珠備えで、ケヤキの素木造りねポイント




はぁぁぁ(ウットリ

左右に山廊があって、ここから上層部への階段が通じていて、二階には周囲に通し縁があって、内部には十八羅漢等が安置されているんですってキラキラ
全体の構造形式は純粋な唐様で、組物は上層軒内唐様二手先詰組



「解脱門」の額は即非禅師によるもので



「最勝閣」とこの「布金祇園」の額は十五世大愚衍操禅師によるものなんですって



本堂まで、これまた長くてね

途中には



これも国指定・重要文化財の鐘楼があるの

黄檗宗特有の一重もこし付きの素木造二層式の建物で、用材はヒバとマツが使われていて、

屋根は入母屋造りで上層部は本瓦葺き、下層部は桟瓦葺き
上層には刎高欄を据えた縁が周囲に廻してあって、主屋組物は絵様刳形付き大斗肘の間斗束構出組納

上層内部には、毛利家四代藩主吉広公が当事の藩における鋳物師の名工郡司喜兵衛・源太夫父子に命じて鋳造させ、寄進された大鐘があるんだけど~見えないね汗

その大鐘の銘は開山の慧極禅師の撰によるもので、それには「元禄七年(1694年)五月十五日」って毛利家三代藩主吉就の葬儀が行われた翌日の日付が入っているんだって

第二次世界大戦中は供出から除外され、今日まで残り伝えられたのね(*´ー`*)
由緒正しきものだからかしら

この鐘楼は鐘の完成と同じに建てられたもので、

鐘楼の上層には大鐘の外に大太鼓もあって、鼓楼も兼ねているそうよ
その大太鼓にも「元禄七年四月吉日」の墨書銘があるんだそう



やっと本堂にたどり着いた~大雄宝殿という名の本堂で、こちらも国指定・重要文化財

って、みんなやん( ´艸`)

元禄11年(1698年)の竣工
一重裳階付き、入母屋造、本瓦葺きで、用材はクサマキ
組物は三ツ斗出組構えで、前面一間通りは吹放しになっていて、左右と背面の入側は化粧屋根裏、中央は格子天井組など複雑な建築技術を駆使した唐様式の仏殿

須彌壇上には本尊として、長寿院夫人(開基毛利吉就公夫人)の寄付にかかる釈迦如来、脇士迦葉尊者、阿難尊者の三尊仏を安置



黄檗宗では本堂を大雄宝殿と呼ぶらしいんだけど「お釈迦様のいらっしゃる所」っていう意味らしいの
中国や韓国でも同じように呼んでいるのよねほのぼの

堂内は土間叩仕上げで、中国明時代の法要の法式を継承する黄檗宗の読経は現在でも立ったまま行うそうよ

鬼瓦もスゴいのよ(*´∀`*)ノ



大雄宝殿前には、行事や法要の時など堂内に入りきれない人々の為に月台という広場が設けられていて、その中央の大きな石を梵壇石といって、戒律を破った僧が懺悔のため坐らされたといわれているみたい

中国風建築物だから、障子の桟が日本と逆に外側にあって、屋根の中央にあげた火焔付き二重宝珠が黄檗風で、正面中央の半扉には桃(中国における魔除けの果物)の画が彫られていて桃戸って言うんだって



本堂から総門に向かって庭園を見ると、ほらね( ´艸`)

山門も総門も先が見えないくらいに広いの

この本堂裏には元治甲子殉難烈士墓所や毛利家の墓所もあるみたい

もう夕方になっちゃったし、閑散としているんだけど

行ってみようかな…どうしよっか


ぺこぺこり