松田屋・庭園/山口県山口市湯田温泉 | 沸点36℃

沸点36℃

他愛のない日常と歴史散策、主観

11月25日散策/松田屋・庭園


松田屋さんの江戸時代中期に作庭された庭園にも、明治維新の史跡が現存されていて、見せてくれるということで、遠慮なくほのぼの音符拝見させていただきました

ホテルの方々の丁寧なおもてなしに、ただただ恐縮してしまいま…したにま~涙

いつか絶対、オッパとお泊まりに来るからね!!(……歩いて苦笑



毛利さんの提灯が置かれてる下駄箱から、サンダルをお借りして♪



なんじゃ、これはΣ(・ω・ノ)ノ

とにかく松がスゴいっ!

こうゆうお庭を「池泉回遊式庭園」って云うんですって

なんでもここの松は、七卿の一人三条実美の手植えの松らしく、司馬遼太郎さんの「街道をゆく長州路」に登場する松なんですってーーー

あれ?わたし、司馬さん読んだことないけれど、この人は…長州嫌いじゃあなかったのσ(^_^)?



わぁ(*´ω`pq゛ハート②きらきら(赤)

お庭にあるこの本館は、大正時代のもので木造2階建ての数寄屋風造りになってるの

この本館客室には源泉掛け流し温泉が設備されてるわ

なんて情緒深い佇まいなの



神社もあるのΣ(・ω・ノ)ノ

てか、なんで鳥居に石を置くんだろうね
おまじないかな…

天照大神さま、地神さま、神功皇后さま、厄除地蔵もあったわ



わぁハート足湯絵文字



枯山水から現在の庭園の形になったのが、大正初期で、明治の元勲山縣有朋公のお力添えで、山縣公の別荘「無鄰菴」や平安神宮「神苑」の庭造りをした7代目小川治兵衛の指導のもとだということよ

その前は素朴なお庭だったんですって

山縣公も小川治兵衛もよく松田屋に訪れていたのね



常に庭師の方々がいらっしゃるそうで、雑草のひとつひとつを、手で手入れなさっているんですってあっっ

実際にこの時も4人くらい作業なさってたわ



あ、大内菱…



1864年(元治元年)には、三条実美が松田屋へ手植えの松を贈っているのよね

とにかく、黒松やら赤松やら、スゴいのよ(*'∀`*)vおんぷ



滝っぽかんビックリ

知らなかったわ
いつも松田屋さん傍の歩道を歩いてると、松田屋さんから水の流れる音が聞こえていたものね

ザァーーーって

この滝は「三段の滝」って云うらしいわ
湯気がもくもくの滝



ああ、これが1864年に三条実美が松田屋へ手植えの松と一緒に贈られた遺墨碑ねポイント

八・一八政変で、長州藩士らが京都を追われ、三条実美ら7人が長州に落ち(七卿落)、

実美は朝倉八幡宮に詣でた際に、持ち帰った松を手植えし和歌を詠んでいるんだけど、

それが、これ

■「時しあらば よにあひおひの ひめ小松 君にひかるる こともありなむ」

わぁいγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞわぁい
やっとわかったわ(*'∀`*)vおんぷ
なんて彫られているのか、全然わかんなくて汗

あれから151年も経つのねぇ……

因みに本館「姫松」のお部屋は実美に因んだ名前の客室で、「寧壽」と書かれた実美の揮毫額が掛けられているみたい



こ、これは…Σ(・ω・ノ)ノ

「南洲亭」ね!!

薩摩藩士の西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀らと長州藩士の木戸孝允・伊藤博文・広沢真臣が薩長同盟の確認と薩長連合軍による倒幕出陣の具体的な協議の場所となった会見所

ですってあっっあっっあっっ

今は移築されてるけど、瑠璃光寺の五重塔がある香山公園の「枕流亭」もそうだし、井上馨の生家跡の井上公園内にある「何遠亭」にもみな、滞在していたりするんだけど、ここ松田屋さんもそうなのね

へぇーーーへぇーーー


 
長州の高杉晋作・木戸孝允・伊藤博文・大村益次郎・山県有朋・井上馨、

薩摩の西郷隆盛・大久保利通、

土佐の坂本竜馬ら勤皇の志士や

七卿落の公卿三条実美らが、

この周辺で会合し、密議を重ねていたのよね

スゴ~~いぽかんきらきら(赤)



松田屋さんの裏には、「瓦屋」があってね

幕末から明治にかけて木戸孝允らが利用した旅館があったのよ(庭園で作業していたおじさんに聞いたの)
 
今は「瓦屋跡」という石碑が残っているだけだけど、因みに吉田松陰の門下生で、初代司法大臣を務めた山田顕義の奥さんは、その瓦屋さんちの娘だったんですって笑顔そうなんだ~



あ、そうそう

瓦屋さん跡の斜め向かいにはね、茶屋臨野堂跡の石碑があるんだけどね、そこでも桂小五郎(木戸)や高杉晋作らが密議の場所として利用していたみたいなのよ


いやぁ…
歴史って面白いねほのぼの音符

史跡巡りをしていると、まるでジグソーパズルのように、ピタッとハマるんだよね


ぺこぺこり