一時的なものだが、とてもいい音を出すことができた。
よく言われることだが、ヴァイオリンが身体の一部になったような感覚でスゴく気持ちいい。
実際自分の中でも、過不足なく弾くために必要な筋肉や骨のみを使っている感覚がある。
ここ1年ほどで、筋肉や骨や神経といった身体の構造を意識するようになったのだが、多分モノと一体になる感覚というのは、このことだろうと思う。
いつも、歩くという単純な行動ですら「無駄な動きをなくす」ことを考えて動いているのだが、コレがもっとも「基本的なこと」であると同時に「極み」なのではなかろうか?
以前、何かで「どうすれば上達するかを考えて練習すれば、たとえ30分であっても効果がある。逆に、何も考えずに時間だけを費やしても、それは時間の無駄遣いでサボることと変わらない」という言葉を見たことがある。
「ただ繰り返すだけでも、それなりに得るものはあると思うのだが・・・」と、そのときは思っていたのだが、いま思い返すとたしかにその通りだ。
何も考えずに練習しても、確かに「できる」レベルに達することはできるのだが、それ以上先に進むのは難しい。
その先の「極み」に向かうには、たとえ身体で憶えるものであっても「考える」ことが必要だろう。
たかが27年しか生きていない私が言うのもおこがましいのだが、この「どうすればいいのか」を考えてやれば、だれでも「極める」レベルには達することができる。
そして、その先のいわゆる「神」「本物」というレベルを目指すときに、初めて「才能」が必要なのだと思う。