4年生ブログ No.54 横井海斗「俺にできること」 | 立教大学体育会サッカー部日記

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立教大学体育会サッカー部のマネージャー日記です☆
2013.3~

No.54 横井 海斗(GK/初芝橋本高校)

 

 

 

 

 

プロフィール

学部学科: ​観光学部交流文化学科

出身チーム: 初芝橋本高校

ポジション: GK

背番号:1、100

 

 

他己紹介

 

ある日、主将からこんなLINEが届いた。

「おい、おれの紹介文書け」

さすがに口調が怖すぎる。まるで暴君だ。
リアルでは超良いヤツなのに、文面ではなぜこうも尖っているのだろう。ギャップ萌えとか狙っているのだろうか。

しかし、大親友からのお願いを断れるはずがない。というか、こんな最高のキャプテンの紹介文を書けるなんて光栄でしかない。

サッカー中はどんな状況でも人一倍声を張り上げ、ピッチ外では誰かとは違う優しい目をした笑顔と愛嬌でみんなから好かれている。

仮に海斗が嫌いなのだとしたら、それは多分、海斗ではなく彼が嫌いなあなたがひねくれている。そのくらい良いヤツ。


ただ、「友情」とか「チーム愛」とかに全振りしているせいで、それ以外の部分は意外とポンコツだということを自分は知っている。

人の家で酔っ払い、床に寝転がりながら「帰りたくな〜い!」と駄々をこね、呆れた彼女に足で踏みつけられながら「はよ帰るぞ!」と怒られているくらいにはポンコツである。あのとき俺は何を見せつけられていたのだろう。

そして、ブログを書くための文章力。ここも疑問が残る。
以前、急に私の家を訪れて「ここでES書くわ!」とか言いながら居座り続け、3時間後に「帰るわ!」と言ったのでパソコンを見たら、70文字くらいしか進んでいなかった。何しに俺の家に来たんだっけ。

でも問題ない。

どんな文章を書こうとも、間違いなく最高のキャプテンだって、関わった人はみんな知っている。
少なくとも自分は、彼の同期になり、彼の親友となり、そして彼が率いるチームでサッカー人生を終えられることを本当に嬉しく思っている。

それでは、適度な褒めとイジり、さらには文章が苦手な彼のブログの期待値を良い感じに下げるという最高のアシストをかましたところで、、、

立教サッカー部4年生ブログ最後の一人、お待ちかねの主将のブログをどうぞ!!!


髙木一史(4年/JFAアカデミー福島)
 


 

 

「俺にできること」

 

 

平素より大変お世話になっております。
今年度、主将を務めさせていただきました、横井海斗です。

100周年という記念すべき年に主将を務めることができたこと、非常に誇らしく思います。

一史、紹介ありがとう。なんだかんだこの4年間で一番長い日々を過ごしたな。そんな一史しか知らない恥ずかしいことをさらされてしまったけど、そんなことどうでもいいくらいにいいことを書いてくれました。本当にありがとう。これからも一生よろしく。

さて、本題の引退ブログに入ります。長いです。「拙い」って何て読むかわからずコピペで使うくらいの奴のブログですが、最後まで付き合ってくれると幸いです。


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昨年の11月末、去年の4年生が必死になってチームを支えてくれたおかげで、過去に41年かかった関東リーグ昇格を1年で成し遂げることができた。

その祝賀会では、喜びと安堵と寂しさといろんな感情が混ざり合っていた。

祝賀会も後半に差し掛かり、一人ひとりがマイクを持ち、4年生への感謝とこれからの抱負のようなものを言っていく流れになった。

そこで自分はこう宣言する。

「来年の主将に立候補しようと思ってます。」

その瞬間は大いに盛り上がったが、内心「え?」と思っている人たちもいたのではないだろうか。

なぜなら、私はそのシーズンでほとんど試合にも出ていないし、万年ベンチだったから。

そんな自分がなぜ主将に立候補したのか。

2年の頃から試合に出てチームを引っ張り続けた、たか(4年/國學院大學久我山高校)やレオ(4年副将/桐光学園高校)、久保庭(4年/ジェフユナイテッド千葉U-18)、一史(4年/JFAアカデミー福島)、奨(4年/千葉県立八千代高校)にはサッカーの「プレー」では敵わないと思った。(GKという変わったポジションをしている自分と比べるのもおかしな話ではあるが)

じゃあ「俺にできることはなんだ」と自分に問いかけた。


その問いの答えが、チームをまとめて強くすること。チームを声で、言葉で引っ張り続けること。そこで1番を目指そうと思った。

そして、主将に立候補する訳だが、葛藤もあった。昨シーズンの1年間、ほとんど試合に出ていないことや、サッカーにおいて圧倒的な実力がないため試合に出続けられるかわからないということ。下手くそな自分が発言した言葉が部員の心に響くのかということ。

多くの不安はあったが、自分が上で書いた人たちと勝負できるところはそれしかないと思い、今まで経験したことのない主将という役割への挑戦を決意した。

立候補したのは自分だけだった。
同期のみんなは自分が主将になることを了承してくれて、「主将は海斗っしょ」「お前以外いない」と言ってくれた。

それだけでも、立教サッカー部のために「全てを捧げる」、そう意気込むには充分すぎる理由だった。

そして考えた。理想の主将像とはどのようなものだろうかと。

主将にはいろんなタイプがいる。

孤高でストイックに自分自身を追い込むような、どちらかと言えば言葉ではなく背中で引っ張るタイプ、苦しい状況であろうと圧倒的なプレーで引っ張るタイプなど様々で、そのいくつかのタイプを持ち合わせているようなとんでもない主将も存在する。

主将を務めたことのない私にとって、参考にするのは過去に主将を務めてくれた人たちだった。

高校の時の同期の主将は、多くは語らず、FWとして誰よりも走り、点を決めてチームを救ってくれるようなやつだった。

去年の主将の堀ちゃん(23卒)は、プレーにおいては、技術が飛び抜けている訳ではなかったが、彼が抜かれているところは3年間見てきた中でほとんどみないくらいに球際は強かったし、誰よりも走り、誰よりも戦うことでチームを引っ張ってくれていた。ピッチ外では、本当に真面目でどうすればチームが良くなるか考えまくるような人間で、みんなに対しての接し方は常に温かかった。

じゃあ、自分はどのような存在を目指すか。

GKというポジションは、誰よりも走るとか、誰よりも戦うとか、チームが苦しい時に点を取るとかっていう、いわゆる背中で(プレーで)引っ張るというのがなかなか難しいポジションだと思う。

そもそも、GKというのは、1番後ろに位置するため、仲間に背中を見せることがほとんどないのだ。

GKは誰もが期待する歓喜の瞬間を全力で阻止するのが最大のミッションである。また、試合中に息が上がることがほとんどないことに加え、フィールドを俯瞰して見ることができるからこそ、常にでかい声を出し続けて、指示することができる、鼓舞することができる。


プレーで見せる、背中で語ることができなくても、みんなの背中を支え、そして、背中を押してやることができる。

だから自分は、みんなが苦しい時、折れそうな時、後ろ向きに倒れてしまいそうな時に声で、言葉で、プレーで、日々の取り組む姿勢で支えになる、あと一歩を踏み出せない人がいたらその一歩を押してあげられる、そんな主将になろうと決意した。

そして、天皇杯の予選から新チームがスタートした。

チームとしては調子が良く、現在関東一部に所属する大学と同等以上の戦いをして勝ち残った。

クリスマスイブに行われた中央大学戦では、2-2という白熱した展開の末、PK戦で勝利した。自分がPKを2本止めてチームに貢献できたことが嬉しかった。

1年間ほとんど試合に出ることができなかったけど、なんとか食らいついて、万年ベンチだろうが愚直に頑張り、声を出し続けたことが少し報われた気がした。

 

飛さん曰く、天皇杯予選に勝ってシーズンを締め括ったのは、数十年ぶりだったらしい。

そんな最高なシーズンの締めくくりができ、来シーズンへの期待も高まった。


新シーズン初めの全体ミーティングで、主将である自分がみんなの前に立ち、今シーズンのチーム方針を話した。

今シーズンの目標は「全カテゴリー全リーグ制覇、総理大臣杯出場」とした。

ここ数年は関東昇格が大きな目標だったが、B1もB2も、今年はアイリーグ1部というレベルの高いリーグに所属できる。だからこそ、関東昇格だけじゃなく、全カテゴリーで、立教サッカー部全体で、タイトルを取りに行こう。その想いから全カテゴリー全リーグ制覇という目標を定めた。

総理大臣杯出場という目標もこれまでにはなかったものだ。これは自分たちが出場できる唯一の全国大会である。

立教のレベルは関東ではまだまだだが、確実に一歩ずつ一歩ずつ上がっている。

だからこそ、全国に出て自分たちの置かれている位置を確認したかったし、全国を目指せるくらいの立ち位置まで来ているということを示したかった。

こうして、この目標と「がっつけ」というなんとも自分たちの代らしいスローガンの元、チームとして高みを目指そうとみんなの前で誓った。

そして、始まった新シーズン。

初日の練習で、たかが心肺停止で倒れた。その現場にいることはできなかったけど、グラウンドに入った時のあの雰囲気は今でも覚えている。

そして、なにもできないとわかっていながらもじっとしていられなくて、たかが運ばれた病院に向かった。もちろんその日はたかの顔を見ることすらできなかった。

次の日、全体で集まったミーティングで、主将としてみんなに声をかけなければいけなかった。頭が真っ白で打開策なんてなにも浮かばない中、「俺たちにできることはなんだ?たかが戻ってくるって本気で祈り願うこと。そしてあいつが戻ってきた時にチームとして最高の状態を迎えていること。俺たちにできることはサッカーしかないんだ。」なんとかそう強気に伝えた。

チームのトップで牽引しようとしている自分が落ち込んでいる姿を見せるわけにはいかいないと思い、できる限りの強気の姿勢を示した。

しかし、その後の部長やコーチ陣、学生幹部含めたミーティングでは涙が止まらなかった。不安で仕方なかった。

1人になるといろんなことを考えてしまうからこそ、はやく練習を再開してみんなと会う機会を作るべきだと上の方々に申し付けた。

たかの意識が戻った。

後遺症があるかもしれず、サッカーができるかはまだわからないと言われた。たかには少し申し訳ないが、命があってくれるだけで、俺はそれだけで本当によかった。

そして、もうやることは明確。たかが戻ってくることができる可能性は低いかもしれないが、その可能性を信じて最高の状態でたかを迎え入れる準備をすること。目標達成に向け、邁進すること。それに尽きた。


しかし、なかなか自分たちが思い描いていたシーズンの入りはできなかった。

天皇杯の予選では明治に敗れ、関東リーグの初戦も早稲田に3点決められて負けた。

迎えた第2節では、ホームでなんとか勝ち星を上げることができた。

しかし、りょうか(4年/富山第一高校)が怪我をしてしまった。前十字靭帯断裂。
もう引退までに復帰は間に合わないと聞かされた。

たかがなんとか復帰できるかもしれないという朗報を聞いていただけに、ショックは大きかった。

りょうかは抜け出しが上手くて、シュートもめちゃくちゃ上手い。よく練習後にシュート練習に付き合ってもらったがほとんど決められていた。
志木組では久保庭とりょうかとよく集まり、共にサッカー以外の時間も過ごした。

そんな彼を失うのはチームとして大きな痛手だったし、個人としてもとても辛かった。

なんて声をかければ良いのかわからなかった。

だから、サッカーを必死に頑張って良い結果を出すことがりょうかの活力になるのではないかということを信じ、チームにもそのことを伝えた上で頑張った。

この大学4年間は、日々こうしてサッカーができていることは当たり前じゃないんだと思わされる出来事が多かった。

新型コロナウイルスや、たかのこと、りょうかのこと。これらの出来事が自分自身に日々サッカーができていることに感謝を忘れるなと言っているように思えた。


それからの日々は、試合に出たり出なかったりする日々が続いた。

チームが負ければGKのスタメンが変わる。勝てばそのまま。

そんなことが決まり事かのようにスタメンは変わっていった。

これは、スタメン争いをする選手同士の差がほとんどないことを示していた。

自分には圧倒的実力がなかった。

でも、試合に負けたらGKだけスタメンが変わり、フィールドは全く変わらないなんてことがあった時には、失点したことが全てGKのせいにされているような気がして正直腹立たしい気持ちにもなった。

それでも、ぶれちゃいけないと自分に言い聞かせ、自分が決意した主将像に立ち返るようにしていた。

サブに回っても、悔しい気持ちを押し殺してみんなに声をかけ続けたし、練習でも誰よりも全力でやってやろうと意気込んで取り組んだ。練習後の自分のウィークポイントを補うための自主練習や練習後の有酸素、何が正解かわからないけど、愚直に取り組み続けた。

だけど、試合に出られないことが多々あった。

練習後や試合後は必ず主将の自分が締めの言葉を話す。自分がサブの時でも話すことになっている。負けた時も勝った時も「チームに対してプラスに働くことはなんだ。」って足りない頭で考え発言していたが、サブで試合にも出ていない自分の言葉がみんなに響くのか?プラスになるのか?と思うような時もあった。

試合にも出ていない、サッカーも下手くそな自分の言葉をみんなの心に届けるためには、プレーだけでなく、日々の姿勢や行動で示すしかなかった。

だから、当たり前のことだが、日々の練習で手を抜くことは絶対になかったし、誰よりも声を出してチームを鼓舞し続けた。他カテゴリーの試合にもできる限り駆けつけ、声を枯らして応援し続けた。


目標にしていた総理大臣杯の予選は2回戦で敗退してしまい、なかなか良い結果を出せないまま、関東リーグも後半に差し掛かってきた。

15節の山学戦、16節の立正戦、自分が試合に出て無失点に抑えることができた。
このまま勝ち進めば、昇格できる可能性が大いにあった。


そして迎えた17節青山学院大学戦。
自分のミスで負けた。
簡単な処理を誤り、失点してしまった。
この試合に勝てば、目標にしていた関東一部昇格の可能性を繋ぐことができた。そんな大事な試合を自分はぶち壊してしまった。

試合が終わった後に、ヴァレコーチは「サッカーは1人のミスで負けるなんてこと絶対にない。」と言ってくれたが、自分の締めの言葉では「俺のせいで負けた。申し訳ない。みんながやっていることは絶対に間違ってないからこれからもやり続けていこう。」のようなことを言った気がする。

その後、落ち込んでいた自分に対し、浅井コーチは「海斗はこれまで何回もチームを救っている。だから気にするな。」と声をかけてくれた。

みんなの前で泣いたり、負の表情を見せたりすることはチームのトップに立つ人間として控えようと自分でルールを決めていた。トップに立つ人間が明るくないとチームが明るくなるわけがないと思っていたから。だから、メンバーに外れて悔しい時も、チームが良くない状況の時も、なるべくみんなの前では明るく振る舞い、常に強気の姿勢を見せようと決めていた。

しかし、その時は涙を堪えることができなかった。チームに対して申し訳ない気持ちや、主将である自分がチームを支えるどころか、チームに迷惑をかけているじゃないかという情けない気持ちから、本当に自分が主将でよかったのかという考えで頭の中がいっぱいになり、堪えられなかった。

みんなの輪から離れて泣いていた自分に1番はじめに駆けつけてくれたのが、共に切磋琢磨してきた、槙吾(4年/GK/新潟明訓高校)とマキ(4年/GK/昌平高校)だった。この2人は、「これだからキーパーは面白いんだろ」「大丈夫だ」と慰めの言葉、そして、「お前が折れたらこのチーム終わるぞ」って愛のある厳しい言葉をかけてくれた。その後にたかが来てくれて、「お前なら絶対まだ試合に出れるから」って慰めてくれた。

折れかけた自分を、周りの人たちの言葉でなんとか持ち堪えさせることができた。自分がチームを救うどころか、自分が仲間に救われていた。

翌週のはじめの練習からは、一切このミスを引きずらずにプレーしようと決め、必死に取り組んだ。

しかし、週中の紅白戦では、サブの立ち位置どころか序列は1番下になっていた。

それでもやることは変わらなかった。自分にできることをやるだけだった。その紅白戦のプレーは悪くなかった。サブ組に入った自分は、みんなを煽るかのように声をかけ続けることで士気を高め、スタメン組から点をとった。自分の声がみんなに伝わっているような気がして嬉しかった。

紅白戦で良いプレーをしたからと言って、先週のミスを取り返せるわけではないが、青学戦を迎えるまでは、2試合連続無失点で試合に貢献できたという感覚があったからこそ、もしかしたら次の試合でも自分を使ってくれるのではないかという淡い期待を抱いていた。

そして迎えた試合前日。この日は、練習前にCチームのサタデーリーグのトーナメント初戦があった。
もちろんグラウンドに駆けつけた。本気で勝って欲しかったし、別に喉が枯れてもいいやって思って必死に声を出し続けた。

そのハーフタイムのときにガミさんから電話があったことに気づき、折り返すと、「今週はメンバー外にしようと思っている。」そう伝えられた。

試合前日の練習はシュート練習をするという流れがあり、GKにとって絶好のアピールの場だった。だからそこで最後のアピールをして、少しの可能性を繋げようと意気込みながらサタデーの応援をしていた。

ガミさんには、主将としてみんなの前で話さなくてはならないから先に伝えておくと言われたが、メンバー外になるかもしれないということは覚悟していたし、せめて最後の練習も見て決めて欲しかった。

こうして、サタデーの後半が始まったが、その感情をみんなに悟られないように、普段通りでかい声を出して応援した。

しかし、PKで負けてしまった。しかも、10人蹴っても決まらず、最後に羽響(2年/GK/立教新座高校)が外して負けてしまった。

一つのミスで地獄まで落ちてしまうGKというポジションは本当に残酷だなと改めて思った。

試合が終わり、どういうモチベーションで挑めば良いかわからない練習が始まった。

練習後、全体の前で伝えられた今年初のメンバー外。

悔しかったし、情けなかった。

でも、折れるわけにはいかなかった。自分が目指す姿のためにもみんなの為にも。

そして迎えた今季初のメンバー外での試合。わたなべゆー(4年/立教新座高校)には、冗談混じりに「キャプテンがここで応援してんの、なんか気まず」って言われた。自分は笑いながら「アホか」って言ったけど、部員のみんなは主将がメンバー外にいることを不安視していたのではないだろうか。

メンバー外の自分にできることなんて、持ち前のでかい声で応援することぐらいしかない。みんなで応援歌を歌う時は声を枯らして歌う。歌わない時も良いプレーをしたら声をかけ続けた。

でもその試合は勝てなかった。その結果、自分たちは目標を昇格から残留に切り替えるしかなかった。

そして、次の週の練習が始まった。
自分自身もスタメンで出ることをもちろん諦めていなかったし、今週もアピールし続けるとともに、チームにとって良い声をかけ続けようと意識して取り組んだ。

週中の練習前、もう一度チームとしてまとまらないといけないという想いから、選手だけのミーティングを実施した。

そこでみんなの意見をぶつけあい、チームとして徹底する決まり事を話し合った。

その決まり事を実行するサッカーは自分たちが求めているサッカー像ではなかったかもしれないが、そのミーティングが功を奏し、週末には順天堂大学に勝つことができた。

だが、自分はまたベンチ外。
それでも、声を枯らして応援してくれる部員みんなを巻き込んで、必死に応援した。これまでにないくらいの最高の応援だったと思う。

試合後に行われた練習試合では、ガスガス声しか出なかったが、それでも必死に声を出し、ピンチを幾度となく止めて、勝利に貢献することができた。

そうしてもがき続け何とか試合に出られるよう頑張ったが、先に限界を迎えたのは、自分の心ではなく、6月から抱え続けた腰の怪我だった。

正直、関東リーグの後期が再開する当たりから、状態は良くなかった。

接骨院に通い、練習前後には多聞(4年/トレーナー/立教池袋高校)にケアをしてもらいながら、痛み止めを飲みなんとかやってきたが、順天堂戦の次の週にはもう、グラウンドに落ちたレガースを拾うことさえ苦痛という状態までになってしまった。(ヤギ鍼灸に行かなかったのはチームのみんなに知られたくなかったからです。)

ただ、あとたったの3試合。期間でいうとあと2週間ちょっと。我慢をすればなんとかなると自分に言い聞かせた。でも、本気でプレーをすれば20分ぐらいで腰の痛みが限界になり、それに加えて足がビリビリと痺れていた。薬の効果がきれると腰に激痛が走るし、朝は起き上がるのも苦痛で、サッカー外の日常生活もままならない状態だった。

でも、腰がこれほど痛いというのは多聞にしか言っていなかった。そして、多聞にはこの状態はガミさんには言わないでくれと伝えていた。

たぶん、みんなにもばれていなかったと思う。多聞にケアしてもらっている時に「大丈夫?」と仲間から聞かれても、「全然余裕やで」って返していたし、プレーも死ぬ気で歯食いしばって、できるだけ顔に出さず、腰を気にしているそぶりも一切見せなかったから。

そのまま、最後まで誰にも言わずにやり通そうと思ったが、もし試合に出られたとしても90分間やり遂げる自信がなかった。ましてや、自分はGKという一つのミスも許されない、試合中アクシデントがない限りほとんど交代しないようなポジションを務めている。残留するために負けられない試合が続く中で、こんな状態の自分が試合に出てチームに迷惑をかけてはならないと思い、この状態をガミさんに伝えようと決意した。

でも、これを伝えるということは自分がもう試合に出られないということを意味する。

葛藤した。

チームの勝利が最優先だと自分に言い聞かせた。そう言い聞かせないと自分が試合に出たいというエゴが出てきてしまうから。

亜細亜大学戦の前日、ガミさんに腰が限界であることを伝えた。ガミさんは驚いていたし、自分のことをメンバーに入れるか本気で迷っていたとも言ってくれた。このまま練習を続けるかどうかは少し考えさせてほしいという旨を伝え、そこでの話は終わった。

そして、一人になった帰り道。涙が止まらなかった。

一番チームが苦しい時期に結局お前はなにもできないじゃないか、という自分への怒りの涙。サッカー人生最後に本気でサッカーができない悔しさの涙。いろんな感情があふれ出し、自転車をこいでいられなくなって、立ち止まってひたすら泣いた。


だけど、家について落ち着いてから頭にあったのは、そんな俺にできることは何だということ。考えるまでもなかった。それは変わらず声を出し続けること、チームにプラスの言葉をかけ続けること、これに尽きた。

腰が痛かろうが、本気でサッカーができなかろうが、声は出すことができる。

亜細亜戦は応援歌を歌うことは禁止されていたが、選手への声かけは良かったため、ピッチで戦う選手たちにポジティブな声をかけ続けた。なかなか点は入らなかったが、最後の最後に決めて、勝つことができた。

試合後の練習試合の30分はみんなに悟られないように何とか無理をして試合に出たが、自分のプレーはひどかった。

 

次の日ガミさんに電話して、「まだ自分が練習から出てサポートに徹するのか、無理をして練習し続けるのか決めかねています。」と伝えた。全力でプレーできない自分が少し手を抜きながらでも、練習に参加し続けることがチームにとってプラスになるのか、はたまた、自分がサポートに回るということがチームにとってプラスになるのか、正直わからなかった。

ガミさんは、「海斗の選んだ方を尊重する」、「海斗は2年の頃から試合に出て今シーズンは主将としてチームを引っ張ってくれたし、チームにとって大きなものを生み出してくれた。だから、自分のことを責めるんじゃないぞ。あと同期にも相談してみろ。そのための仲間だろ」という言葉をかけてくれた。自然と涙がこぼれていた。この言葉を聞いて、自分が少しでもチームに貢献できていたのだと実感でき、嬉しかったからだと思う。

そのまま、副将であるよはん(4年/鹿島Y)に電話して、この迷いを話した。
よはんからは、「それは弱気すぎる」という厳しい言葉とともに、「お前がチームの練習にいてくれた方がいいに決まってるし、最後まで一緒に戦い抜きたい。だから、負荷を落としてでも最後まで練習に参加し続けてほしい。」という言葉をかけてもらった。

そこまで言ってもらえて、練習に参加し続ける以外の選択肢はなかった。ただ、腰が限界なのも変えられない現実だった。

そして、腰の状況と、負荷を落としてもらって練習に参加し続けるということをガミさん、副将のよはん、レオ(4年/桐光学園高校)、GKの槙吾、マキ、そして古杉(4年/学生GKコーチ)にだけ伝えた。

変に気を使わせたくない、ギリギリの戦いを続けている選手たちに不安を与えたくないという想いから、言わない方がチームにとってマイナスに働かないという判断を下し、皆には話さないと決めた。

幸いGKはフィールドとは別で練習することが多いため、皆に悟られずに負荷調整できた。

腰は痛くても、声は出すことができる。自分が出る番じゃなくてもチームに声をかけ続けた。締めの言葉にもこだわって、自分なりの言葉で伝え続けた。

試合の時も一番声を出してチームに声をかけ続けた。声とか言葉とかそんなワードばかりしか出ていないが、自分の取り柄はこれしかなかった。でも、この声で助かっていると言ってくれる人が多少なりともいる、それだけで自分が声を出し続ける理由になる。

そうして迎える明日、最終節の日体大戦。
勝てば残留が決まる。

試合には出られない。メンバーにも入らない。こんな時にピッチで支えられない主将で申し訳ない。去年の堀ちゃんのように俺が勝たせるって言いたかったけど、それはできない。

だけど、声を出すことができる。共に戦うことができる。

富士見の地で、150人の大応援団を率いて圧倒的ホームを作り出すことは約束する。

だから、ピッチで戦うみんなは、この状況を楽しみながら、全力で悔いなく戦ってほしい。

明日、立教のために、仲間のために、自分のできるすべてを捧げる。

勝って終わろう。笑って終わろう。

立教サッカー部が、皆の笑顔が大好きだから。


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同期へ

常に面白さを追求するポジティブ外国人。みんなの先生的存在なやつ。一回ウケたらそれを何回も擦る静岡のおもんないやつ。ご飯食べたら常に口の周りになんかついてる浪人のやつ。プロになるけど口開いたら女の子の話ばかりしてるやつ。フィールドよりシュート上手いもじゃもじゃなやつ。話長いし、練習メニュー理解すんの遅いやつ。元一匹狼でマイペースなやつ。試合前サワーペーパー食うやつ。日本人顔やのにメンディーなやつ。彼女と乗馬するけど、目の奥笑ってないやつ。心臓止まっても性格を変えることはできなかったやつ。思想強いやつ。日夜に命かけてるブラジルなやつ。めっちゃズバズバゆうタイプのくせに俺のこと怖がってるやつ。「はい頑張ってーー」なやつ。立教新座愛強いやつら。意味わからん応援歌量産するやつ。おもんないぼけばっかりするやつ。志木のお母さん的存在なやつ。性格きついけど、めっちゃ応援してくれる神戸サポなやつ。エナメルバッグなやつ。25歳なやつ。

50人以上おって、あげ出したらキリないからこれくらいにしとくけど、これ見るだけでもだいぶ濃いメンツやったなぁ。(出しきれへんかったやつごめん。後で文句ゆうてきて。)

ほんまに変なやつ多いし、言うこと聞かんし、大変なことはあったけど、実はみんな根真面目でサッカーになったら目の色変えてやるところ、ほんまに好きやで。

あと、多聞。俺の怪我を黙っててくれて、練習前後に長い時間ケアに費やしてくれて、本当にありがとう。多聞のおかげで最後まで何とか持ちこたえることができた。

あと、レオ。レオには自分がピッチにいないことが多かったから、いろんな重圧を背負わせてしまったな。ごめん。それでも、チームを鼓舞し続けて、安定したプレーを常に見せてくれて本当に助かった。ありがとう。最後も頼む。

よはんは、紹介文で書いたからいいよな。ほんまおおきに。

毎日頑張ったサッカーも、練習終わりにみんなとふざけて笑い合ったのも、いろんなカテゴリーの応援に声枯らしたのも、日夜の飲み会も、俺にとってかけがえのないの時間やった。

これからも長い付き合いなると思うけど、よろしくな。


あ、そういや卓球台壊すようなやつもおったようなおらんかったような。

両親へ

俺がサッカーをはじめて、1番はじめにくれたアドバイスが、「あんたは誰よりも声を出しなさい」やったなぁ。そのアドバイスが15年経った今も活きてるし、それがあったからここまでサッカーやってこれてる部分はあると思う。

小中高とみんなに下の名前を覚えられるくらい、毎週のように試合を見に来てくれたこと、一人暮らしを許してくれて、関東の舞台への挑戦を応援してくれたこと、7時間かけて運転して、和歌山から東京まで試合を見に来てくれたこと、あげだしたらキリがないくらいに感謝したいことはいっぱいある。

よう酔ったら、「お前のサッカーにはほんまに楽しませてもろたわー」なんて言ってるけど、何気ないその言葉が本当に嬉しくて、実は支えになってたで。

ほんまにありがとう。

最後の最後にかっこいい姿を見せることはできひんけど、教えられた通り死ぬ気で声出すわ。

社会人なったら、旅行とかご飯とか連れて行くから楽しみに待っててやぁ。



15年間のサッカー人生に幕を閉じます。関わってくれたすべての人に感謝します。
本当に、本当にありがとうございました。

以上、横井海斗でした。
あしたほんまにみんなで死ぬ気で勝とな。

 

 

 

〈お気に入りのプライベート写真〉

みんな大好き(下の真ん中らへん)
 

Aチーム同期で遊んだ日(真ん中)

 

 

 

54日間に渡り掲載してきた4年生の引退ブログは本日にて終了となります。

どの方のブログもとても素敵な内容なので、まだ読んでいないブログがありましたらぜひご一読ください!

 

個性豊かで、でもサッカーには本気で向き合う4年生のみなさん、今まで大変お世話になりました。4年生の先輩方の想いを胸に、後輩一同立教サッカー部の発展に精進してまいります!

 

明日の関東最終節、勝って笑顔で終わりましょう!