No.32 橋村 凜(DF/神戸国際大学附属高校)
プロフィール
学部学科: コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科
出身チーム: 神戸国際大学附属高等学校
ポジション: DF
背番号: 68
他己紹介
やればできるけど、やる気スイッチが反応しにくい橋村くん。 彼はとにかくグラウンド滞在時間が短い。 いつもグラウンドに来るのは最後の方。 (一回5分前に来たことなかったっけ?)練習後はすぐに帰宅する。2年次に自分で書いたブログ「アップとストレッチ」を忘れてしまったようだ。
また、自転車は立教1壊れてる。 彼の自転車はとても遅い。 彼の自転車の漕ぐスピードではなく自転車が遅い。
その理由はおそらく次の3点だ。
1,無理やりちぎり取られた自転車のカゴ
2,全く引き伸ばされていないサドル
3,自転車のペダルについているぶっ壊れリング。からんからん♪
しかし、試合中の彼は本当に頼もしい存在だった。 彼のプレーは見る者を魅了する。 動きはしなやか。冷め切ったポテトのようにしなしなしている。 ラインのアイコンがロナウジーニョなだけにプレースタイルは相手を華麗に抜き去るドリブルだ。あ、あとヘディングもか。あと賢い。 普通にダブルタッチで相手を抜き、1人でビルドアップしてくる。 彼は超省エネ人間のため、熱い思いを普段は聞けていないが、今回のブログでは多分語ってくれるはず。 めんどくさがってリアペみたいな量で終わらせないでね。 彼がどんな文章を書いてくれるのか非常に楽しみです。
新橋尚悟(4年/桐蔭学園高校)
「何書こう」
彼とは約2年間一緒に帰った仲になる。ちなみに彼も自分と一緒に帰るので滞在時間が短い。
2年時にはアップとストレッチについて書いたが、あれは自分のためではなく他の人に同じ道を歩んでほしくないために書いたので自分は適応外です。
自転車に関してはどうしてああなったのかが不明。がく(4年/しゃばい/石神井高校)がいつも「橋村うるさい」って言ってました。誰か壊しましたか?
ドリブルは上手くなるためにロナウジーニョの動画を100回以上見て、動画のドリブルを50時間ぐらい練習した。自主練はドリブル練習しかしたことがない。ロナウジーニョ大好き。
ちなみに冷め切ったポテトはただの悪口やろ。
しんば紹介ありがとう。
引退してから1日が経ち、現在10月22日。
正直、実感はなく、来週も富士見に行く毎日がくるんじゃないかと疑っている。
1日にチェーンが5回外れる騒音雑魚チャリを漕ぎながら練習が始まる10分前に到着し、ヴァレ君(7年/ボス)からの「お前もっと早く来い」という注意を受けてから練習が始まる日々は無くなる(何回も言わせてすいませんでした)。
朝送られてくる安部(2年/去年彼女に振られた/暁星国際高校)の「コンディションお願いします」にも対応しなくていい。
今井(1年/ちょけ①/流通経済大学附属柏高校)や薬師寺(1年/ちょけ②/横浜FC・Y)と清兵衛回しもできない。これは悲しい。
色んな思い出に浸る中、何を書こうかなーと考えた結果、感想文書きます。
このブログはただの感想文なので面白くありません。ご理解のほどお願い申し上げます。
結論ファーストで話すと、自分のサッカー人生には本当に満足している。
マジお腹いっぱい。
そんな12年間のサッカー人生を振り返っていこうと思う。
小学時代
サッカーに出会ったきっかけは弟だった。
9歳の頃、弟がサッカーをしたいということで地元のサッカークラブの練習に付き添っていたが、自分はやる気がなかったので見学していた。ただ、待っている時間暇だなと思ったのでサッカーをやってみた。やってみると、ばかおもろかった。何が面白かったかはわからないが、ハマった。そこから、自身のサッカー人生が始まった。
自分の所属していたチームは弱小で、しげる(4年/国際で1番アホ/神戸国際大学附属高校)やはししゅう(4年/臭い/神戸国際大学附属高校)のチームと対戦すると0-10ぐらいで負けるチームだった。
弱く、学年混合のチームで人材不足のチームだったため、小学6年生では自分に最も似合わないキャプテンという役職を担った。
特に、他人に自慢できるような話もなく、中学へと進む。
中学時代
中学では、地元のクラブチームに所属した。
そして、はししゅう(4年/顔でかい/神戸国際大学附属高校)とも初めて出会った。彼はこの頃から顔がチキンナゲットみたいな形をしており、何より気まずかった。
話は逸れたが、クラブに入団した同期の中では圧倒的に1番下手くそだった。ただ、1年生の時から試合に使っていただき、選手として成長できたと思う、多分。そして、ドリブルを得意とする現在のプレースタイルも中学時代の経験から形成されている。しかし、この頃はドリブルが楽しすぎたため、最終ラインでシザースをしたり、自陣のゴールラインから2,3人抜いてハーフエーラインでボールをロストし、カウンターを食って失点というシーンもたくさんあった(同期にはたくさん迷惑をかけた、ごめん)。中でも、コーチに怒られて首を掴まれたのは1番の思い出だ。
中3の時、1番コスパよく良い大学に行くためにはどこに行けばいいだろうかと考えていたが、神戸国際からスポ薦を頂き、立教に指定校で行けるということで神戸国際に進学した。
高校時代
高校では、2年の夏から試合に絡めていたが、それまでがひどかった。
1年の夏には、練習試合で相手選手を後ろからわざと足をかけてこかしたことで怒られて監督に蹴り2発を食らい、試合開始10分で家に帰宅した。(この頃からパキッてたわ、小堀(4年/ぼっちゃり系男子/立教新座高校))。
1年の冬には、遠征先のランメニューで手を抜いたことがバレて怒鳴り散らかされ、そこから半年間Bチームに転勤した。
他にも挙げたらきりがないが、こんな問題児を試合に使っていただいたことには感謝している。
ただ、1番きつかった時期は3年の時。この時は本当にしげる(4年/仲悪い/神戸国際大学附属高校)に迷惑をかけた。文章で表すと長くなるから省略するが、自身が不甲斐ないせいで全責任を押し付けてしまったこと、本当に申し訳ない。
しげるのブログにも書かれていたが、彼は本当に自己犠牲をしてチームのために行動してくれていたと思う。ありがとう。
でも、1つだけ言いたいことがある。
覚えていないだろうが、1年の時に笑顔でイヤホンを踏みつけてきたことは許せない。1発顔面殴らせろ。
あと、はししゅう(4年/気まずい/神戸国際大学附属高校)の弁当箱は本当に臭かった。ごみ処理場みたいな匂いだった。練習終わりの彼も臭かった。
安藤(4年/ソファーゲロ/神戸国際大学附属高校)に関しては、街ランでショートカットしていた。
そんなこんなで高校時代はなにも成し遂げられずに幕を閉じた。
大学時代
色々あったが、大学サッカーが人生の中で1番楽しかったし、最高だった。
1年目D
2年目D、C
3年目B、A
4年目A、B
カテゴリーを簡単に表すとこんな感じ。
1年目は、サタデーに出させていただいて勝って終わる楽しさを知ることができた。特に悩みなどもなく、のびのびとプレーをできたが、これは間違いなく周りの環境のおかげ。
特に、当時の4年生は印象的だった。4年生がスタートで出ることはなかったが、雰囲気作りだったり、応援してくれたことが何よりも力になったし、頑張ろうと思えた。
2年目はあまり試合に絡めなかったし、4年間の中でも1番試合に出れなかった。1月に第五中足骨を骨折して、7月に復帰。1年目はうまくいっていたから悔しかった思いはあった。復帰してからすぐCに上げてもらったが、自分が出た試合は2敗1分と結果で表すことができなかった。信頼してもらって上げてもらったのに、結果を出すことができなかったことに関して飛さんには本当に申し訳なかった。
3年目は、1番上手くいったシーズンだった。後期からスタメンで出せていただき、立正戦では1ゴール1アシストとこれ以上にない上出来の試合をした。10月ぐらいにはAに上げていただき、アップサポではあるが関東復帰の瞬間も見させてもらった。
Aに上がって感じたことがある。それは、4年生のチームへの想いがすごいということ。短い期間ではあったが、練習や試合で見せるプレーはどれもすごかった。球際、競り合い、要求全てにおいて気持ちが入っており、絶対昇格するという想いがプレーから伝わってきた。
プレー1つでこんなに想いがわかるもんなんだと学んだ。
4年目は、1番中途半端なシーズンだった。特に、2月は4年間の中で1番辛かった。
なぜサッカーをしているのか。
この問いが常に頭の中に合った。サッカー選手目指すわけじゃないし、就職するなら他のことした方がいいんじゃないか。無駄なんじゃないかって。
1か月ぐらい考えた。
でも、辞めなかった。
なんで辞めなかったんだろうか。考えた結果、理由は1つしかなかった。
サッカーおもろい。
結果、Bに下がったものの、この半年間はすごく楽しかったし、辞めないで良かった。
ただ、シーズンの出来としては悪かった。リーグ6位(ぎり残留)。
中でも、連戦だった国士館戦と帝京戦は忘れられない。どちらも先発出場していたが、どちらも0-2で負けた。
国士館戦では、大学で初めて完封負けというものを味わった。最大限の準備はしたつもりだったが、試合では自身の力が通用せず、安定したビルドアップや守備をチームにもたらすことは出来なかった。
帝京戦では、2失点に絡んだ。ビルドアップは良かったが、守備の面では足を引っ張ってしかいなかった。
この2試合には本当にひどかったと思う。その後はスタートも外され、代わりに田中(1年/足首動かない/三菱養和SC・Y)が出場した。悔しいというよりも情けないという気持ちが大きかった。
ただ、チームが頑張ってくれてギリギリ残留できた。
本当によく戦ってくれたと思う。B1ありがとう。ばも。
このように、大学では色々なことがあった。ただ、後悔は全くない。本当に楽しかった。
ここまで楽しかったのは、周りの環境が良かったからだと思う。これまで自分に関わってくれたみんなに感謝したい。ありがとうございました。
そろそろ締めていきます。
同期へ
まずはB1の同期ありがとう。小堀としげるは常にうるさいし、がく(4年/しゃばい/石神井高校)は黒いし、新橋(4年/馬/桐蔭学園高校)は面白くないのに笑いだすし、ゆうせい(4年/しつぅ/川崎フロンターレ・Y)はすぐ怒るし、翼(4年/股抜き/立教新座高校)はドリブルしだすし。
特に、ゆうせいは試合で隣にいることが多かったが、自分のミスでキレているときが1番対応に困った。
それから、遠藤(4年/ツンデレ/利府高校)にはお世話になった。旅行いこーね。
安藤、高校の時は一緒にショートカットしたね。君は俺よりサボるけど怒られなかったのせこい。
はししゅうは、、、、いいや。
他にもいっぱいコメントしたいが、多いのでやめておく。
ヴァレ君へ
2年の時から気にかけてくださりありがとうございました。
特に、3年の時には自分を信頼して使っていただけたからこそ、成長することができました。
そして、今年1年、信頼してくれていたのにも関わらず、最後裏切るような形でなって申し訳ないです。最後、胴上げできなかったんですけど、最高のボスでした。
両親へ
22年間お世話になりました。どうにか社会人になれそうです。
そして、12年間応援してくれてありがとう。
2人がいたからこそ、最高の環境でサッカーをすることができました。
中学や高校では、朝早くからお弁当を作ってくれてありがとう。
遠くまで応援しに来てくれてありがとう。
言い出したらきりがない。
本当に感謝しています。ありがとう。
これからもよろしくお願いします。
最後に
サッカーありがとう!
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清兵衛回し(こけてるやつ)
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No.33橋本修斗(MF/神戸国際大学附属高校)