4年生引退企画
〜4年生の想い〜
4年生引退ブログ、ラストを飾るのは我らが主将、栗山聖です。
練習前後の自主練を欠かさず、その滞在時間から“富士見の番人”と呼ばれる彼はSNSでも持ち前の笑いのセンスで独自のスタイルを確立してきました。
誰よりも熱く、誰よりも真っ直ぐにサッカーと向き合い続けた聖を先頭に今年1年、チームは闘ってきました。
きっと長くなるに違いない最後の想いとは…
Vol.42 栗山 聖
『 下書き 』
毎回上がり続けるハードル
その最後を主将が任されるというのはなるほどこれもひとつの責任か、と思います。
主将という立場の人間だからこそ
他とは違う何かを期待されているかもしれないし、それに応えたいとも思います。
なのに自分はまだブログを書けずにいます。
書けそうなことはあるのに、いざ言葉を綴ろうとすると手が止まる。なんで。
書いては消しまた書き直し、ボツになった下書きだけが溜まっています。
卒業ブログの執筆はその人の大学サッカーの縮図のようなものです。
同期が、サッカーと自分の将来、その両方と向き合い、最後卒業ブログに綴ったものは大学サッカーを終えて出た、なぜ大学サッカーをしてきたかというその人なりの答えだと思います。
それはきっとサッカーを通して自分と向き合い続けることで生まれる。それこそが、社会に出る直前までサッカーに打ち込む上で大切にしなければならないことだと私は思っています。
なんとなくサッカーをするなら部活動である必要はないのです。
この1年間、主将を任せてもらい
自分が主将であることの意味を示したくて、
模索し続けてきました。
チームを愛すること
学生スポーツの可能性への挑戦
サッカーとの向き合い方
これらを貫きチームを勝利へ導くことに
主将としての存在意義、なぜ大学サッカーをするのかという問いの答えを求めました。
引退を目前に控えた今、
これらは形になっているでしょうか?
最後の最後までわからない状況が
自分の目の前にあります。
いつでもその時なりに全力を尽くそうとしていたと思いますが、頑張りが足りなかったり、頑張り方を間違えたと感じることはあります。
もっと出来たなという後悔はふつふつと沸いてきます。
試合に出れなかった時、チームが上手くいかない時、自分は主将にふさわしかったかという問いがいつも湧いていました。
これが書けそうで書けない理由であると気がつきました。
自分の主将としての存在意義、それは自信を持って書くことの出来ない状態で明日に委ねられているのです。
自分が試合に出始めてからも厳しい戦いは続いているし、今もチームは残留争いをしています。
理想に対して自分の努力は足りなかった。
それを受け止めた上で、
自分が主将をやって良かったと思いたい。
それはもはや後悔抜きには語れないけれど、自分一人で得られるものではなく、残留という結果を掴んで大好きな部員たちと全員で喜びを分かち合えた時に得られるものだと思います。
このブログは明日の下書きです。
全ての答えは明日の喜びの先にあります。
最後のピッチに立つチャンスが自分にあるのはどんなときもサッカーとチームへの向き合い方がブレなかったからです。
そのことに誇りを持って最後の最後まで
立教サッカー部を背負って戦います。
みんな、勝とう、笑って終わろう。
11/23(土)
関東大学サッカーリーグ最終節
vs東京国際大学
11:30K.O.@龍ヶ崎市陸上競技場たつのこフィールド
*有料会場のため、チケットの購入が必要です。