4年生引退企画
〜4年生の想い〜
本日の担当は岩村友騎です。
“がんちゃん”と呼ばれみんなから愛される彼は誰もが認める努力家。
献身的なプレーで関東リーグのピッチまで駆け上がった姿には誰もが胸を打たれたことでしょう。
そんな彼の普段語られない胸の内とは…
Vol.39 岩村 友騎
『 理想と現実 』
平素より大変お世話になっております。本日の引退ブログを担当します、立教大学体育会サッカー部副将の岩村友騎です。
とうとう自分の番が回ってきてしまいました。そして、それと同時に、立教サッカー部を引退する日がすぐそこまできてしまいました。
最近、練習後の帰りの電車の中で、毎日更新される引退ブログを音楽を聴きながら読むのが日課となっているのですが、同期のブログを読みながら、同期と一緒にサッカーできるのもあと少しだと考えると、本当に泣きそうになります。それくらい私は立教サッカー部が、同期のみんなが大好きです。
そんな大好きなサッカー部で、大好きな同期のみんなと過ごした4年間ですが、振り返ると、辛いことの方が圧倒的に多かったなと感じます。
とくに副将という役職を任せてもらったこの1年間は、もっとできたんじゃないかって後悔していることがたくさんあります。
大雅(4年/神奈川県立光陵)やさとし(4年/東久留米総合)のように目に見える結果でチームに貢献できなかったこと。
怪我人が続出した8月の3連戦のとき、自分も怪我で、苦しむチームを支えられなかったこと。
怪我から復帰して以降、調子が上がらないのをどこかで怪我のせいにしてしまっていること。
挙げだしたらきりがありません。
ただ、そんななかでも、自分の人生の中で大きな財産となるであろう貴重な経験をすることができたので、このブログではそのことについて綴ってみようと思います。
長く拙い文章ではありますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
『理想と現実』
2019年4月14日、関東リーグ第2節、産業能率大学戦。あの日私は関東リーグデビューを果たした。
これから先、あの試合のこと、ピッチに立ったあの瞬間を忘れることはないだろう。
4-0でリードしているなか出場し、出場時間はわずか5分、ボールタッチわずか2回、ファール1回。本当に何もしていない。
それでも、
トビさんに名前を呼ばれた時の期待と不安
同期のみんなが「がんちゃーん」って叫ぶ声
4-0のまま終わってホッとしたこと、、、など
あの試合のことは今でも鮮明に覚えている。あの日の夜は興奮で眠れなかったし、就活なんてどうでもいいやとも思った。
それくらい、私にとって関東リーグに出場できたこと、あの舞台に立てたことは大きなことだった。
なぜなら、17年間サッカーを続けてきて初めて、自分の思い描く「理想」が「現実」になった瞬間だったから。
5歳の頃にサッカーを始め、小学生の頃はチームの中心選手として、絶対的な存在として、なにも考えなくても試合に出ることができていた。
しかし、中学の頃から試合に出れないことが多くなり、いつしか「トップチームで試合に出ること」が自分の理想になってしまった。結局、中3の頃はほとんど試合に出れず、最後の公式戦は1分も出れずに終わった。
高校でも、1、2年の頃は全くトップチームに関われず、3年になってトップチームに上がったけれど、最高でもベンチ入り。
最後の選手権では、直前合宿に帯同しながらメンバーに入れず、直前まで一緒に練習してきたチームメートが、次々に強豪校を倒していく快進撃を、あの埼スタで5万人の観客を魅了する姿を、スタンドから眺めることしかできなかった。
録画していた試合で、観客席に映る自分を見たときは本当に恥ずかしかったし、情けなかった。もうこんな思いはしたくないと思った。
そして、「今度こそは」と意気込んで入部した立教サッカー部。
現実は甘くなかった。
まず苦しんだのはスタイルの違い。「美しく勝つ」ことをスローガンに掲げるチームから「粘り強く闘う」ことを大切にするチームへ。
求められるものは全然違い、自分にはその何もかもが足りなかった。球際は負けるし、セカンドは拾えないし、1対1は簡単に抜かれるし、体力はないし、、、。
また試合に出れずに終わっちゃうんじゃないかって本気で思った。そんな悪い予感は現実となり、3年間はトップチームどころかBチームにも入れず、Cチームで大半を過ごした。
それでも、冒頭でも述べたとおり、私は関東リーグの舞台に立つことができた。高校で1分も試合に出れなかった私が、大学でも3年間Cチームにいた私が、あの舞台に立つことができた。
正直なにが要因なのか、明確にはわからない。何か特別なトレーニングをして、サッカーが急激に上手くなったわけでもないし、めちゃくちゃ筋トレをして、フィジカルモンスターになったわけでもない。運もあっただろうし、支えてくれた人たちのおかげでもあるだろう。
自分のなかで、唯一これは頑張ってきたぞと自信を持っていえることを挙げるなら、それは、
1日1日の練習を全力で取り組んできたことくらいだ。
しかし今では、もしかしたら、その1日1日の積み重ねが自分でも気づかないようなどこかで、大きな力となって自分に返ってきてくれたのではないか、そういう風に考えている。
日々の練習に全力で取り組むこと。
トップチームにいる選手はそんなの当たり前だと思うかもしれないけど、下のカテゴリーにいて、結果が出ないなかで高いモチベーションを保ち続けるのはけっこう難しい。
時には、うまくいかないことを監督やコーチ、チームメートのせいにしたくなる時もあった。でも、そんな時でも常に自分に矢印を向け、日々の練習に取り組むという、当たり前のようで実は難しいことを自分が継続できたのは、「今まで大切にしてきた価値観」と「ライバルの存在」のおかげだと思っている。
「今まで大切にしてきた価値観」
私は、「継続は力なり」とか「塵も積もれば山となる」とか「努力に勝る天才なし」とか、そういった類の言葉を本気で信じてる。
これらの言葉は「地道な努力を続けていけば、いずれ必ず成果は出るものだ」といった意味の格言だが、これらの格言を信じるようになったのには、中学2年の時のある経験が影響している。
当時、試合に出ることができていなかった私に対して、コーチが「頑張ってればいつか報われるから、頑張れよ」と声を掛けてくれた。
頑張るってすごく抽象的だけど、当時の私は、
頑張る=与えられたメニューを全力で取り組むという風に解釈し、実践した。コーチの言葉を信じ、練習前のストレッチ、練習の1つ1つのメニュー、走りのメニュー、練習後のダウン、どれも全力で高い質で行った。
そしたら、本当にチャンスがやってきて、その年の末に行われた関東参入戦にスタメンで出場することができた。ナイターのしんよこフットボールパークで、先輩や後輩の応援を背に、強豪FC東京むさしに勝利することができたあの試合は今でも忘れられない。応援の前でのプレーは本当に興奮したし、得点が入った後の歓声には鳥肌が立った。
「頑張ってればこんなご褒美が待っているのか」
「頑張ってればこんな感覚を味わえるのか」
そんな風に感じた試合だった。
それ以降、高校、大学となかなか結果が出ないなかでも、「頑張ってればいつか報われる」と信じて、日々の練習に全力で取り組むことができたのは、間違いなくこの経験が影響していると思う。
「ライバルの存在」
頑張ってればいつか報われるって信じてはいたけど、長い期間結果が出ないと、モチベーションを保つのが大変な時もあった。
とくに、Bチームにも入れず、Cチームで多くの時間を過ごした大学時代は本当にきつかったし、心が折れそうになったこともある。でも、幸いにも私には、そんな自分を奮い立たせてくれる2人のライバルがいた。
彼らとは入部してから3年間ほとんど一緒のカテゴリーでプレーした。カテゴリーが上がる時も下がる時もほとんど一緒だった。練習前一緒に筋トレして、練習後も一緒に自主練して、ジョグして、お風呂入って、チャリで志木まで帰った。
そんなふうに長い時間一緒に過ごすなかで「こいつらだけには負けたくない」と思うようになった。だから、2人が紅白戦で上のチームにいたらめちゃくちゃ悔しかったし、練習のミニゲームでさえ、2人には負けたくなかった。
その「悔しい」という思いや「負けたくない」という思いが、1日1日の練習で全力を出し切れる原動力になっていたんだと思う。2人の存在無くして、私はあの舞台に立つことはできなかった。
みき(4年/静岡学園)、まさや(4年/浦和市立)、本当にありがとう。
関東リーグの舞台に立てたことで、自分が今まで大切にしてきた価値観は間違ってなかったと再確認することができたし、仲間の大切さにも気づくことができた。
しかし、こんなふうに貴重な経験をして、切磋琢磨しあえるライバルと出会うことができた立教サッカー部での生活もあと4日で終わってしまう。
アマチュアに引退はないけれど、これだけサッカーのことで喜怒哀楽を感じるサッカー中心の生活から離れてしまうのは事実であるし、そのことを考えると本当に寂しい。
来年の4月からは社会人になる。今まで以上に多くの困難が待っているだろうし、理想と現実のギャップに苦しむこともあると思う。
でも、そんな時でも下を向かず、サッカー人生を通して得た大切な価値観を信じて、今まで出会った仲間、そして、これから出会うであろう仲間と共に切磋琢磨しながら、理想を理想で終わらせず、理想を現実にできるように、日々頑張っていきたい。
最後になりますが、17年のサッカー人生を通して出会った沢山の仲間、指導者の皆さん、トレーナー、マネージャーの皆さんにはとても感謝しています。本当にありがとうございました。
そして、これまで何不自由なくサッカーを続けさせてくれた両親には感謝してもしきれません。本当にありがとう。なかなか試合に出てる姿を見せることができなかったけど、最後の年に大舞台に立つ姿を見せることができて良かったです。これからも迷惑をかけることがあると思うけど、よろしくお願いします。
NEXT… Taiga Sato