まず、訂正。瑠璃じゃなくて、瑠寧です。
言いたいことはもう一つ。竹中君(4年竹中俊介)のブログにありました、「部費要員」という言葉。そんなことマジなテンションで言わないので。しかも、しゅんすけとは仲良いので。(笑)
冒頭で博多華丸のネタ入れてくるあたり、さすが三原(4年三原佑太)。知的かつユーモアある三原のネクストバッターサークルでヒヤヒヤしていた、副将の井上瑠寧です。
想いを思うがままに綴りました。このブログも残すところ3人です。だいぶ長いですが、三原の思惑通り何度も校閲したので、読んでいただければ光栄です。
「桃李物言わざれども下自ずから蹊をなす」
これは僕が大好きな言葉。
そして、目指す姿だ。
桃や李(すもも)は当たり前だが、喋らない。しかし、綺麗な花を咲かせ、美しい実をなす。それを慕って人々はそこに集まり、下には自然と道ができる。
桃や李には人から慕われ、道を作る程の魅力がある。
まぁこんな意味かな。
僕はこの諺を、弁舌を用いずとも、その人の立ち姿、立ち振る舞いで人の心は動かせる。そして慕われる。
そう解釈してる。
これは僕のプレースタイルにも影響している。
みんな知っての通りプレースタイルはパッション。気合い。こんなところ。浅見君(4年浅見貫太)と一緒。
サッカーはやるかやられるか。勝負の世界は白か黒か。単純だ。こんな風に考えてた。古〜い武士みたいで馬鹿ですね(笑)
勝つためなら手段は問わなかった。
だから最後に笑って生き残るためなら試合中に追う傷は怖くなかった。足踏まれるだろうなって分かる球際も、足の裏見せてくる相手も。ギリギリのところで戦い続けた。時には汚い事もした。勝つために。
負けることは悔しいが、それ以上に怖いことはボロボロになる自分を露わにすること。だから弱い部分はなるべく見せたくなかった。立ち振る舞いにも気を張り続けた。
ピッチに立ったら気合いスイッチオン。そのスタイルは昔から。
1年生の頃とかは今より気合い増し増しだった。今の立教の後輩とは違って、先輩関係なく、サッカーで気に食わないこと、思い通りに動いてくれないことがあったら、怒鳴り散らした。何と言われようと気にせず、嫌われるとか気にせず、しかも何度も何度も。先輩の顔色伺うような後輩とは違ってクソほど生意気だった。自分のチームが勝つためなら叫び続けた。
こんな事もある。入部当初Bチームだったころ、ミーティングで所信表明演説的なことをし、その時「ぬるま湯に浸かってるAの奴らを引きずり下ろします」と意気込みを語った。まだホヤホヤの1年坊が。ホント可愛げのない後輩だった。
2年の頃には当時の主将に、「主将やめた方が良いっすよ」ってミーティングで言ったこともある。ホント怖いもの知らずの後輩だった。
ただ、そのくらい気合いを入れてサッカーと向き合った。
1年から試合に出たかったし、活躍したかったから。
マリノス、桐光では今とは真逆で試合に出られない時間を多く過ごした。順風満帆ではなく、泥水を飲むような経験を何度もした。何度悔しくて涙したことか。サッカーで負けるのが他の何で負けるより1番悔しかった。
色々な感情を押し殺して応援する悔しさは良く知っていた。だからこそ、人一倍試合に出たい欲は強かった。それを表現した結果、可愛くない後輩が誕生したのだ。
僕の最大の武器、「気合い」のおかげで長期の怪我から復帰した1年の後期から現在までちから(4年戸澤千空)と同じピッチに立ち続けている。(ちからの通算公式戦出場時間記録を超したいとひそかに思ってたが、叶わず、、笑)
4年間応援される立場だ。応援されるありがたみを誰よりも感じた。これまでのサッカー人生での悔しさ、苦しさ、耐え難い経験が報われたように感じた。
自分自身、応援の悔しさは良く知っている。なんであいつなんだよ、納得いかない、そんな感情になる事も知っている。
だから、気迫を前面に出すプレーで、そんな感情の中から1%でも「あいつら馬鹿みたいに頑張ってんじゃん」っていう感情が生まれ、そして、チームを素直に応援する選手が1人でも増えて欲しいと願い続けた。
その一心で4年間戦い続けた。なおや(3年吉田直矢)みたいに応援、観客を魅了する巧みなプレー、さとし(3年井浦智史)みたいに驚異の身体能力でその場にいる人を圧倒させるプレーは僕には出来ない。
だけど、気合いがある。それを武器に、一心不乱にボールを追った。無理かも知れないけど足を伸ばした。追いつくか分からないけど追い続けスライディングをしてきた。そして、うるさいくらいに試合中叫び続けてきた。
色んな人の悔しい思いの上で僕は試合に出れているから。
そして、その悔しい思いの中に、素直な応援を生み出したかったから。
自身のプレーで人の心を動かしたかった。
これが最大の目標であった。
僕のプレーを見て、俺も頑張ろ、とか、あいつのプレーなら応援しよーぜ、とかそういう心の動きを生み出したかった。
その結果を僕自身把握する方法はない。
人の心の動きだから。
ただ4年間、熱い応援を背負って戦った時間、参入戦の時のような一体感はホントに宝物。サッカー人生で1番。
何度も言うが、馬鹿みたいにサッカーに気合いを注いだ。誰よりも。
だから、リーグ中の何もかかってない公式戦で自分が不甲斐なさすぎて泣いたこともある。2年前、関東参入戦でロスタイムでやられた時はヤクルト3本分は泣いた。去年、関東参入戦で勝った時は4本分くらい泣いた。気合いを注いだ分、涙として出てきた。
デブ(じゅんぺー=4年原純平)もサッカー好きな分だけ泣いてたでしょ。人間の体は嘘はつかない。自然の理だ。
こんだけ熱いものを注いだ人生、振り返ってみても最高だった。
ありがとう、サッカー。(涙)
僕は、今週末の試合でサッカー人生を終える。これからの人生では、サッカー人生で手に入れたプレースタイルをライフスタイルへと変貌させる。
今までサッカー界という広いようで、狭い世間の中で生きてきた。だから生き様であったり、考え方であったり、似たような人が多かった。でもこれからは違う。
あんまり好きな言葉ではないが使う。
社会に出たら「価値観」が全く違う人と歩みを共にし、同じ方向を向かなければならない瞬間がある。と思う。
多分これからみんなにもそんな状況が出てくる。チーム作りにおいても、人生においても。
そんな時、みんなには「あの人とは反りがあわないわ」とか「なんでおれの考えわかってくんねーんだよ」とか、ネガテイブ的で焦点を自らにフォーカス出来ない人にはなって欲しくない。要因を周囲の責任にする人にはなって欲しくない。
サッカー選手としても人間としても。
なぜか。答えは簡単。そんな人間は信頼されないから。応援されないから。辛い時、寄り添ってくれる人がいなくなるから。
責任転嫁を続けていると、今まで愚痴友達だったやつらも負のオーラを感じ取り、いつか自分から離れていく。自分自身が本気で何かをやろうとしてる人の弊害だから。
人としてこんなに辛いことはない。
だからこそどんな環境、状況下においても逆風の中では自分が率先してもがき苦しんで欲しい。暗闇の中、手探りしながらでも良いから、一歩を踏み出す勇気を持って欲しい。
人事を尽くさないやつに天命も何もない。
目の前のことに必死に、ひた向きに、そして気合いを入れてぶつかっていって欲しい。いつだって自らの持っている全てを出し、体を張って欲しい。
そんな人間は美しい。そんな人間はカッコいい。と僕は思う。
そんな人間こそ、価値観とかバックグラウンドとか、そう言うものを越えて人の心を打つことが出来る、人の心を動かすことが出来る。そこで始めて自己が認められる。始めて同じ方向を向ける。
そして、必死になるからこそ、自分でも気づかないうちに自分を応援してくれる人が増えている。
無我夢中に生きてれば、行き詰まった時に助けてくれる人が必ずいる。真剣に生きていれば生き様を見てくれている人が必ずいる。そう思う。
僕はこんな人間になりたいし、みんなにもこんな人間になって欲しい。
これからの人生は先輩から言われ続けたこの言葉を目指し。
ー男としてカッコよくあれー
次はサッカー部の心臓、主務 堀川慎仁(MF/桐光学園高校)。
僕自身含め、みんなが思っている10倍くらいの仕事をし、チームのために尽くしてきたのだろう。
サッカーではみんなが思っている1/2倍の確率でシザースを成功させる。いつからかクリロナのプレースタイルを目指し始めた彼のブログは7年間一緒にいた僕が1番読みたい。期待してる。