【4年生の想い】変化 齊木優斗 | 立教大学体育会サッカー部日記

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立教大学体育会サッカー部のマネージャー日記です☆
2013.3~



☆4年生引退企画☆

選手日記11人目は、グラウンドにくると誰よりも自分に厳しく、試合やミーティングの際には熱い言葉で人の心を動かす齊木優斗(横浜FCユース)です。





平素は大変お世話になっております。
立教大学4年、斉木優斗です。
ここでは普段の私からは微塵も感じることができないくらいの真面目さを前面に出して書いていこうと思っています。


それでは本文に移ります。





「大学ではなにが何でも結果を残す」
 
 



これは入部当初、私が強く抱いていた想いです。

 
その想いの根源となっていたのは高校でかつてない挫折を経験したことによるものでした。
 
 
高校で所属していた横浜FCユースでは最高学年になった時に10番を付けさせてもらいました。しかし、自分への奢り、プレーが上手くいかなければファールをしてでも仲間のボールを奪いに行くなどのプレーヤーとしてあるまじき態度を取り、私はサッカーをしていませんでした。人間として未熟でした。
そんな私の態度を監督は見逃す訳もなく、プリンスリーグ開幕5戦目からはメンバーにすら入れず、ベンチ外の日々を過ごしました。
 
高校1年生チームに私1人だけが混じり、練習試合でも最後の10分しか出場することができない日々が続き、恥ずかしさやかつてない大きな屈辱を味わいました。
 
 
夏には皆がサッカー推薦で進路を決める中、私1人だけが大学の練習参加すらさせてもらえない状況にありました。
 
 
 
いつしか私の中にはこのままサッカーを続けたら、高校を終えた時にはサッカーに注いできた情熱が燃え尽きてしまうのではないか。大学でサッカーをする環境が掴めないのではないのかという不安が生まれると同時に「大学でもサッカーがしたい」「試合に出て、活躍したい」という強い想いが私の中に存在していることに気付きました。
 
 
悩み抜いた末、前期リーグ戦を終えた直後からサッカーができる環境、また出場機会を求め、人生初の一般受験に挑戦し、立教大学でサッカーをする権利を手にしました。
 
 
 
高校で不完全燃焼に終わった私だからこそ冒頭での「なにが何でも結果を残す」という想いを強く抱いて入部しました。
 
 
 
しかし、入部したものの私が思い描いていた程、現実は甘くなく、1年間のリハビリを要する腰椎骨折、復帰してからも度重なる怪我、Bチームでプレーする期間が長く、何1つ思い通りにいくことはありませんでした。

ただ、そういった苦しい想いをしているからこそ高校の環境では見えなかったものが大学では見えてくるようになりました。
それは
サッカーが出来る環境が当たり前ではないこと。
私と同じように試合に出場できない悔しい想いをしている選手達が大勢いること。
毎試合大きな声で声援を送り続ける仲間がいること。
太鼓を叩いてくれる仲間がいること。
積極的に応援のチャントを始める選手がいること。
監督不在の中、試合を闘っているチームがあり、選手がいること。
次の対戦チームのスカウティングに行く選手がいること。
リハビリの選手が率先して審判をしていること。
公式戦のビデオを撮ってくれている仲間がいること。
選手の出欠管理から大会の運営など多岐に渡ってチームをサポートしてくれているマネージャーがいること。
1日中、休むことなく150人もの選手を指導するコーチ、監督がいるということ。
様々な形でチームをサポートしてくれてる人がいて、当たり前に思っていることが当たり前でないという現状が見えてきました。
 
 
そういった私の周りにいる人達の存在があったからこそ、どんなに苦しい状況にいた私をも突き動かし、共に走り続けることができました。
 
 

そして、出場機会を掴んだ現在も「なにが何でも結果を残す」という入部当初の想いは変わることはありません。
 
 
 
しかし、私の中で変化がありました。
これまで気付くことができなかった多くのことに気付いたことで入部当初の「なにが何でも結果を残す」という想いの主体が「自分」の為ではなく、「仲間」の為へと形を変え、そしてそれはあの高校の時の周りのことを何も考えず、自分本位で行動する私とは明らかに異なる人間になっているのではないかと思います。

 だから、私は走り続けます。またチームを支える人の存在や色んな想いを持つ選手の気持ちが分かるからこそピッチに立つ人間として、全員の想いを背負って闘います。関東昇格という結果を残しにいきます。



残り、1カ月、どんな時もサポートしてくれた両親に感謝し、足が攣っても、骨が折れても体を張って泥臭く、そして自分の為ではない、仲間の為に私の全てを懸けて闘い抜きます。何度でも。
 
 


最後に
 




 
 

 
皆で関東へ行こう






次は大学で多くの時間を共にプレーし、私が走り続けられたのは彼が常に隣にいたからと言っても過言ではない闘志あふれるプレーでチームを牽引する男、佐藤友大です。

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私の大学サッカーがここから始まったといっても過言ではない腰痛骨折した都リーグでの試合


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初めてAチームの公式戦で得点を取った試合