前回の記事の、
光輝く けれど 無意味なもの。
私はその言葉を認識した時に
ルシファー のことかな?
とか、内心思ったのです。
アレも“光輝く者”だった気がするので。
そんな話を去年見かけた気がしたんですね。
去年は夏らしく、
オカルト×陰謀(論)界隈を楽しんでいたという記憶があるのですが今年は全然そっちな方向への導きは来てないのでノータッチなのですね(゜Δ ゜)
“マウイビーム”なハワイの火災の話とか。
それでも、久しぶりにマンデラエフェクト情報みたいな所を1度くらいは見たりしたのです💡
そこで一番気になったのが、
林修ことリンジュウ先生と私が脳内で呼んでいるあの人の決めゼリフみたいなのが変わっていたというような話がありました。
いつやるの(?) 今でしょ
っていう予備校教師時代に言ってたらしいよくTVなんかでも聞きまくったその時代に生きてる若い世代の人間だったらまず知ってるあの言葉。
しかし今では違うらしく。
いつやるの
の方は存在しなかったらしいんですね。
いつやるか!?
みたいな、そんな押し付けっぽさとか爽やかさみたいな物よりも、
いつやるの? (本当にやらなくていいの?)
みたいな、
多分の嫌味っぽさというか煽り感が足りなくて
リンジュウ先生らしくないなって。
私はそう感じるのです😏✨
……だから何なのかって?
私は思ったのですね、
そもそも認識できてねぇだけでいわゆる細かいレベルでのパラレルシフト的なことは日常茶飯事なのかもしれないし寝て起きた時に寝る前と別の感覚になってるのもその1つなのかもしれない!!
とか思ったりして。
って言うか、
私の世界観や体感としてはそう考えた方が圧倒的に心身や脳への負荷が少ないということに気付いたからそう理解することにしたのです🍀
そういうものなのだと。
寝て目が覚めたら、
気付かないレベルで外側の世界なんてアレコレ変わっているもんなのだし、気付かないレベルで自分の内側でもアレコレ変わっていることはザラにある、
元々そういうものなのだと。
だから私は今の自分の体験してるパラレルな現実感を“現行の世界”と認識してます。
今までは、
そんなにも気付かない内に過去改変されてるような現実は困る!!
くらいに考えていたけれど、
しかしそう……、
今の私の立ち位置みたいな物を前提としたらむしろ本来そういうものだと理解した方が無理がなくて自然で私の体験してるリアリティーに馴染むということに気付いたのですよ💡
私が今の現実世界感を唯一の物として大切にしたいと考えているかと言えば答えはNOなわけで。
どっちかって言うとシナリオ(ブループリント)的にも必要なタイミングで必要なだけ柔軟に変化してもらった方が応用が効くし面白いなと🙌✨
私は別にスピリチュアル民というわけではないと思っているけれどそれらの要素も当然のように持つというような人間らしいのでパラレルシフトとか過去世の影響力がウンヌンってのは有って当然なのだと。
ただそれらが問題になるのはそのようなリアリティーを自分が御しきれていない=与えられた権利や可能性を持て余してしまって正しく扱いきれていない時だと気付いたのです!
つまり己の力量の問題なのだと。
世界がどう変化した所で有るものは有るし無いものは無いのです。いかに無限に見えたとしてもそれらは必ず有限に収まるものなのです。
そもそも形を成すということそれ自体が有限性の証明そのものなのだから。
はい、
たぶんそんな理由で私は現代スピリチュアル的な部分と固有の精神世界的なリアリティーを統合することができるようになったのです👌✨
そして今はその派生先のこととして、
過去世の記憶を癒すことで
潜在能力や叡知を引き出す
みたいなことをしてるのだとわかりました💡
そういう意味ではこれまで私が認識していたのとは逆に、
私はスピリチュアルな人間というより精神世界的な人間だということに気付いた!
そういう意味では、
ヒーラーっぽいというよりは
オカルトっぽい存在感なのだろうなと。
そしてそれはオカルトっぽいというよりは、
割と伝統的な神秘主義思想っぽいのだと。
現代では“ヒーラー”って職業名なのですよね。
戦士職、ヒーラー職、
くらいの温度感のレベルで(笑)
たぶんこれまでの私は無意識にもある程度意図的にでも自己の精神世界的な領域を活性化するようなことを避けていたのです。
なぜかって?
それは
“ディバイン”じゃないから
だよ★
私の意識の中(詳細は不明)では明確な優劣とか序列みたいな認識があるらしくて、
恐らく、神秘主義思想的な神聖性の体現者となることが一番上位概念で、だいたいそういう感じのものをディバインと認識しているのです。
乱暴な(?)強い言葉を使うなら、
神を具現化する試み
みたいな意味。
神をカタチにする
という思想ですね。
場合によっては“自分が神になる”という考え方も出てくるかと思うのですが……
残念ながら私の考え方(流派?)ではそれは禁忌みたいなもの🙅
自分が神だと語る奴は嘘つきか狂人です。
……え、じゃあ、
もしも自分がそのように語り示さざるを得なくなってしまったとしたら?
狂信者として奮戦しましょう★
本当に神ならば耐えてみせろ!!
って感じのやつやられるから✝️
っていう感じで、
そういう過去世的な波動にある意識や思考を辿っていくと結構色んな情報が出てきたりする。コレをやるために必要な心構えが前回の記事の中のブレインストーミングの話📝
ああいう極めてロジカルな知恵ってのが潜在意識読み取りだとか超感覚≒霊能力みたいに思えるものを扱う時にも使えるわけで。
少なくとも潜在意識ってのは“言葉”で構築されているからその読み取り自体は必ずロジカルな物になるんだよ。たぶんそういう理由で潜在意識の掘り下げとかスピリチュアルカウンセリング的な物は男性にも扱いやすい。
反面、エナジーヒーリングみたいなのは感覚的さそのものみたいな世界観だから、たぶん習得の際には本来理解できないはずの物を受け入れられるようになるっていう手放しというより“降参”に近いような体験が必要になると思うんだよ。
そして私はそのような体験を繰り返してきたから防壁をキャンセルしてポート解放するがごとく自分を使わせることができるわけです★
初期設定としては理解できなかったり使用不可能な概念を扱えるようになっていく体験ってのは控え目に言ってマイプレシャス(*´ Δ`* )🌸
というような理由で私は独学独習のワーカーみたいなことをしてるわけです。
過去世の記憶=波動的深層情報みたいなのを読み解いて“呪縛”になっている物を癒し解放することでマイナス要素として封じられ反転していた資質を扱えるようになるのだと私は考えてます💡
今の私は“癒し”に関する資質の封印(ブロック)を癒し取り除いている最中なのだろうけれど、
癒しに関するブロックを癒し取り除くために、
癒しを行う能力のブロックを先に取り除く……
というような、
癒すために
癒しのブロックを取り除く
みたいな、
極めて面倒なことになってるんですよコレ⚡
自力でやるってそういうことだと思うんだよ。
そして私は“癒す”という捉え方を使うことができなかったから性質や効果としてはそれに近い純化だとか浄化だとかの力を使って対応してきた。
私は、ちょっと感じてるんだよ。
“癒し”の資質を解放しそれを理解した私は癒しの力を扱うに相応しいような人格に寄ることになるのだろうなと。
どっちかっていうと私個人は今現在までの自分の人格だとかメンタリティーを“つっけんどん”な感じの人間だと認識しているのですが、
本来的にはそんなことないのです。
むしろ“淡々としてる”とかそんな感じ😃
良くも悪くもないし善意も悪意も無いしどちらかと言えば特に興味ない。
だから本来的には、
私がそんな目の前の細かいことを気にするというのは極めて不自然で、癒しの概念に関しても同じことなのです。
癒しというのは手段というよりは必然の結果に近いものだから癒すというよりは正常化さえできればそうなるのです。
だからそのような超自然をわざわざ癒しなどと呼ぶのはいかがなものかと私は常々思って……
とかって言葉がそこら辺の過去世的な私の言い分なのでしょう(笑)
神秘主義者?としてはそう感じるのは十分に理解も想像もできることだし。
何しろ“彼”は現代癒し事情を知らないし、
むしろソレを知ったらより批判的な意志を強めてしまうかもしれないんだけど(?)
なんかね、
今はそういうことを感じてる。
極めて具体的な話をするなら、
私が“ディバイン”な方向性を目指してゆく中でそのための学習ツールとして作られたエネルギー波動系アイテムがあるんだけど↓
コレらも私が持つ“ディバイン”である資質を極めて現代スピリチュアル思想とか職能的な使い方をした物なんだよたぶん。
極めて俗っぽい表現をするなら、
自分の能力を商売になる形に変換させたもの
みたいな意味。
たぶんまさにこういうのが気に入らないんだと思うの。神秘主義思想の者としては。
超俗っぽいから!!!!!!
……そんな俗物的な使い方をするために私の持つ神聖さの資質が与えられているわけじゃない!!
とかそんなことばっかり言ってる人間は現代では無職になってしまうという事実/(^o^)\
だからといって、
とりあえず金を稼げることをする
ということさえしていればそれでいいかと言えば全くそういうものでもないというのが現実。
まさにそんな感じで、
私は非常に物質的と霊的な部分でのバランスが悪い人間だった!!
ということに明確に気付いてるんだけど、
………………………………実はその非常なバランスの悪さのほとんどの原因ってのがエネルギー体でサトルボディで過去世の記憶だとかと同じような領域のものに由来していた可能性が出てきたわけで。
もしその考え方の順番自体が間違ってたとしても深層なエネルギーレベルでの調和と癒しを果たすことができたら法則で必然的に調和的な現実感ってのを体験するようになるという考え方は間違いないことだと思うんだよ💡
つまり、
私という人間はエネルギー体とか極めて深層なレベルで自己の癒しを行えるようになるまでは潜在的な非常なバランスの悪さに支配された不調和で不幸せな人生体験が続くことは避けられない!
ということだったのだろうなと。
ようやく理解が追い付いたわけです(*´ Δ`* )🍵
自分の人生を真に好転させるためにはエネルギー波動に関する深い知識と技術の習得が必須で自らを癒すということが宿命の課題だというのに、
無意識レベルで強烈に癒しを否定し抵抗感を持っているから滅多にその機会は得られない🔒️
というような構図なんですね、コレ👁️
ロジックとか構図自体を理解することは何も難しくないんだけど、
実際にその盲点で死角になっている仇敵としか思えないものこそが救い主だと気付いてそれを受け入れられるようになっていくような難しさがあるわけですよ現実的には✝️
そうですよね~、
だいたいそんな感じなのですね。
私にとっては“癒し”という概念や言葉が一定レベルで邪悪に近い何かに感じられるようになっているというか。
邪悪ですからね~。
ちょっと嫌いとか悪いとかじゃなくて
諸悪の根源くらいのやつですからね💥
“邪悪に見えてしまうもの”を正しく認識できるようになるためには相当な意識的訓練が必要になることは私も痛感してるわけで。
いやなんていうかもう“サンシップ”くらいに不可能に近い物を感じるレベルの難しさよ✝️
んで、
そんな過去世の意識由来の癒の資質に対しての厳重な封印であるブロックが外れることによって私は、
エネルギー体の癒しに関する知識みたいな物も当然のように持ってる気がしてきてるのです。
何て言うかそれはアレです、
原理とか理論的には✕✕を▼▼することによって癒しは起こり意図した変化を得られるようになる
はずである
みたいな情報や感覚ってことです💡
ただソレが本当に正しいのか?
本当に正しかったとしても過去世の知恵なんて物を今生の私が同じように扱えるのか?
ってのは別の話であり実際に試してみなければわからないことだし、最初からは扱えなくても訓練することによって習熟し扱えるようになるということもあるのですから❇️
具体的にはエーテル体治療の技法かと。
現代では主にエーテル体手術とか呼ばれてるっぽいやつです。その名前ならグーグルでも出てくるみたいです。
この単語も気になりますよね😃✨
私は自認がヒーラーではなくてどちらかと言えば作り手だったのでエネルギーワークについてはあまり詳しくない(ブロック的な理由で積極的に学ぶ気になれない)のですが、
初めてエーテル体手術というような概念を知ったのはもう4年以上も前のことで。
その時点で超なんとなくでヒーリングのワークだとか独自のヒーリング術みたいな物を作り出したり試みていたことを思い返してみると、
この部分て本当に進んでないんだなって思わずにはいられないのですね😪
しかし私は確信を得たのです。
肉体的な不調感にはその1段階上のエネルギー体であろうエーテル体を癒し調整することができたら少なくともそのエネルギー波動的調和感は反映されるものだと。
それが原理の話ですね。
上位にあるエーテル体を癒すことによって下位に当たる肉体を癒すことはできるしそれは必然の結果である
という考え方です。
こういうのもエネルギー体に関する知識を知ってる者にとっては常識……というか基礎知識なんだと思うのですよ個人的な感覚としては🙆
“コモン”てやつですね。
ただそういうことが現代的には知られておらず秘術に近い癒しの方法論とされているというのは過去世的な私の感覚としては違和感があることだったりするのですが、
(神秘主義者としては当然の技術なのかも?)
実際に今生の私にとってはそれらは確かに秘術に当たるもので少なくとも誰にでも簡単に取り組めるような物ではないしそのための訓練も無しに正しく使える術法とは思えないのです🙅
っていう感じで、私は思うのですね。
だいたいエーテル体まで癒せるようになれば通常以上に調和的で幸運な感じの人生を体験することができるんじゃないかと。
そして逆に考えるなら、
最低でもエーテル体までは癒せるようにならないと必ずどこかで躓くことになるのだと。
たぶん私はそういう極めて具体的な癒しの術を知ってる者なのでなんかよくわからないけど要所要所が薄められてるような表に出てくるような現代スピリチュアルなヒーリングの技法とかは気に入らない気がしてるのですよ🤔
ほら、アレみたいな。
ザ・シークレットとかで引き寄せの法則とか流行ってたけど、実際には核心に当たる1割は扱われてない=隠されてる気がするとかそういうやつ!
私、たぶん“そういうの”には気付くようにできてるタイプなんだと思うのですよ。
作為を持って仕掛けてくる何かしらの“術”には同業者ゆえに勘づくというか術師が同系統の術に耐性があるのは当然というか(笑)
私もどっちかで言えば意図的に幻影を扱っているような方の者だと思うし明かすべき物と秘するべきものの境界線てのは明確に存在するし★
アレですよね、
深淵を覗く時~(以下略) ってやつなのだと。
神聖性を解放すべくその障害となるものを捉えようとする中でそっちに夢中になってしまわないようにしなければならない
みたいなのをすごく感じます。
“用意された悪”を見つけ出して打ち倒すことは私の目的ではないのですが、ある種のガイドというかヒント的にはそれらを目印にして進むことは段階的に必要なのです。
ただ、いつまでもその一時的な役割に縛り付けておこうとする想いを抱くようなことがあったら本末が転倒してしまうというような教訓ですね。
そもそもの目的は神聖性の解放なのであって
何かしらに縛り付けることは真逆と言えるような意識なのは間違いないわけで。
解放者としての心得ですね👌✨
たとえ一時は自らをも術中にはめることは必要ではあるけれど優秀な術師を自負するなら必ずその後始末もすることが必要……つまり術をかけるだけではなくそれを無効化し解除することも可能にしておかなければならないしどちらかで言えばそちらの方が難しく重要である。
なぜなら~(神秘主義思想者の意見)以下略。
っていうような思想だと思うのですよ、
私の過去世な神秘主義の流派は(?)
だから私は“マイナス”に当たる癒しのエネルギーだとか概念の扱いに長けているのでしょう。
細かい部分を抜きにすれば余計な幻影のすべてを取り除けば神聖性に由来する完全さが取り戻されてそれで全部調和して片付くからですね★
でもそれだと現代ではまず職能的な物にはならないのですね。
時代の流れに合わせて(?)うまく形を変えて機能させることによって本来の目的である神聖性の解放のための鍵となることは可能なはず……
というような柔軟さが私が望む現実感を得るための要素の1つとして求められているのでしょう。
実際に私が現時点までで得ているスピリチュアル精神世界的な知識を活用すればそれらを職業的なものに置き換えることくらいは十分に可能なのだろうし少なからずそれは続けて取り組んできてることなんだし、
それに何より、
“私自身の癒し”のために恐らくエーテル体と思われる側面や領域に効果的に働きかける癒しの方法論は積極的に探っていきたいし、
それが十分に珍しい技能なのだとしたら部分的にでも職業ヒーラー的なこともしていきたい。
誰にでもできるような簡単な癒しの技法なら商売にする価値は全く感じないけれどそれを可能とするまでに習熟を必要とするプロの技と呼べるような物であれば話は別。
それなら価値はあるだろうし、
ほら、アレだよ、
術士や力を求めることなんてやってる連中はどんな形であれその見せ場ってのを求めてるもんだろうから😁
きっとそういうことなんだよ。
誰しもがこの世界で誰かに必要とされ役に立ちたいと望んでいる
みたいなことなんだよ。
そしてただ気付けないだけで実はそれが成立しているのかもしれないし法則的にそうなっていないことは有り得ないし不可能に近い
とか思うわけです。
そしてコレら現行の世界では“トンデモ”な感じの話でも“オレ理論”という非常に何とも言えないようなだからこそアレな情報や表現の1つとして束ねられる便利な概念が既にあったのでした🌠
どれほどすごくてもオレ理論
どれほどすごくなくてもオレ理論
オレ理論だからね。
名前がそんなのだし仕方ないね┐(´∀`)┌
だけで片付く感じの(笑)
過去に理解しないまま仕込まれた布石の多さが私の人生の数少ない良い所だと思うの。
おっとそんなこともあろうかと
って対応可能だから👍️✨
地道に布石を仕込むプロセスはすんごい面倒だけど繰り返すほど対応できる幅は増えるという。
……私は思うんだよ。実際術士のやることなんて半分以上は地味な仕込みの繰り返しでその中のどれかが当たって重大な場面で機能してくれたら有能さが認められるって感じなんだろなって。
別にそんなに便利なもんじゃないぞ?
……もし本当に便利でも非常に面倒だぞ?
ってやつだね(*´ Δ`* )🍵