前回の記事って(書いてる私の気分が)
あんまり良いものじゃないんだよね。
……というようなことを
今の私は思っているらしかった。
というわけで前回の記事はコレ
ダシって言うか呼び水って言うか、
“この件”についての話1
みたいなものなんだろうなって私は認識しているのです。
もちろん“この件”という言葉が示すものが何のことなのかは今の私には明確にはわからない🔒️
それでもなんとなく予想は付くんだけど、
飽くまで“順路”ってのがあるからね。
その時点で私が内心では何を思い何を考えているのかってのは少なくともこの場ではあまり重要なことじゃない。
なぜならそれは外側に向けて表現され共有されるべきものというわけではないから。
まぁ結論から言って、
ディバインとセイクレッド
について、
の話なんだと思ってる。
そういう視点から言えば、
私は“ディバイン”に属する人間なんだけど、
それに対してなのか?
オーラソーマはちょうど私がセイクレッドと認識するような位置に相応しいような気がしてる。
……なんのことかって?
そう、それを今まさにこの場で探られているというような状況なんだね🙆
そしてこれは、
私という人間が認識する(持っている)正解
の話だから、
私以外の人間に当てはまるのかは
全くわからん。
……わからんのだよ、私は飽くまでもこの人間であるものを中心として起点として認識してるわけだから同じ理由で他者の真偽というものは基本的に不干渉領域とか範疇外だから。
(いや実際には直感でそれが真偽のどちらに当てはまるのかはわかるんだけど、それが本当に正解かどうかは私には確かめようがないって感じ🔯)
いわゆる“鏡の向こう側”の話だね。
私はかつて聖レタスだとか
なんか“自称聖者的な何か”みたいな活動名を使っていたのだけれど、
それらは今となっては必要ない物だし、
むしろ邪魔になる物でさえある。
だからさ、
たぶん“ディバイン”てのもそういう一時期必要とする自称な称号の1つに過ぎないと思ってる。
……なんでそんなことするのかって?
さぁ?
でもその明確な意図を完全に理解してないとしても言えることはある。
それは“そういう計画”だから、
そういう“台本”だから、
そういう“ストーリー”だから、
ということ。
ブループリントを生きることで、
神の聖なる意志を表現していける
って感じのやつ。
今となっては私もすっかりそっち側(笑)
それを解しない人間には何を言っても無駄だしそれは理解されない程度で変わるもんでもないから
別にそれを理解しなくても問題ない
って実際に思ってる。
体感の割合的には、
全体の5%くらいはブループリントとかそういう意味での神の聖なる意志とかいう物を認識してると思ってるし、逆に言えば残りの95%くらいの人間はそんなもの理解してないと私は考えてる。
勘とか経験則みたいなもんだけどね😃
上に書いたような理由で違ってもいいし?
私は基本的に“神”って言葉もオカルトくらいに思ってるのかもしれないけれど、
天上の意思とかブループリントとか、
そういうノンデュアリティの方な聖性に類する神というものに関してはリアルだと認識してる。
まぁそういう意味ではこのエルモリヤのボトルが示す物が一番最初に獲得されるべき神聖性の核とかアンカーみたいに機能する物だと思えるし、
そういう見方をすれば私がコレを一番最初に選んだのは必然だし正解だと思うんだね。
青は“第1の色”みたいなことが↑の説明にも少し記されてるけど、
第1の色なんだっけ?
=“青色光線”って1番目なんだっけ???
ほら、
なんかあるじゃん、
個人的にそれらは洋書のスピリチュアルの方の知識とか説明なんかで特に扱われるイメージが強いんだけど、
なんか第◯光線て呼ばれてるようなやつ。
私はそれがどういう理由や原理でそう定められてるのかは知らないんだけど、何かしら明確に色には順番があるって考え方があるっぽいじゃん?
→調べてきました🔎
こちらの方が書いてくれてました。
興味あれば読んでどうぞ。
そうそう!
“エロヒム”とかそこら辺の言葉と一緒に見かけるようなやつ!!
私は“色”に関する適性とか興味が高かったり強いと思っているので相応には色の持つエネルギーや波動的性質だとかについて本を読んだり勉強したりはしているのですが、
そこら辺に関して洋書のスピリチュアル本の方までは読んでないから“聞いたことがある”程度の知識しか無いのですよ、
興味あること=必要なら学ぶ系の人間なので★
青は第1の色だけど、
解釈によっては赤とされることもある
みたいなことを↑の方が書いてましたね。
まぁチャクラの7色とかの方が馴染みが深い日本的スピリチュアル思想で育ったであろう私としても赤が1番目と言われた方がそれらしいと感じるのです。
あとちゃんとオーラソーマの解説なページも出てきてくれましたね💡
こっちも興味あれば読んでどうぞ。
私は個人的な認識ではロイヤルブルーとか青色とかそんなに色の中では興味あるようには感じていないのですが、
しかしそれはある意味で私にとっては既に内在化されて同化してるから見えなくなって認識できなくなってるに近いだけなのかもしれないというようなことを感じる時があるのですよ🤔
しかしアレですよね、
今にして思えば“サトルボディ”だとかエネルギー体とか見えない領域を捉え認識できるようになるのも明らかにそこら辺の力なわけで。
いわゆる第三の目とかよく言われるやつだったということを思い出したのです💡
いやだって、
自分でサトルボディに干渉する訓練みたいなことやってて思うけど、
あんなの半分くらい空間じゃん。
例えば自分の腕を伸ばしてギリギリ届くような所に何かしら癒されるべきものの原因だとか起点となるものがあったりするんだけど、
あんなの半分くらい空間じゃん。
人間の持つオーラってのは実はその層ごとに非常に広くなってて第6層(うろ覚え&曖昧な知識)くらいになったら常時地球全体と解け合ってるくらいに広大だって言われてたりするじゃん?
そうなってくるとさ、
そういう自分=人間の持つエネルギー体的な広がりの大きさと非分離的常時融合性(?)みたいな現実感に気付くとさ、
見える世界、変わるよね。
……これが波動的エネルギー的領域なのか!!
とか思うわけだよ、
最初からそういう資質に目覚めてたわけじゃなくて後から知ることになった人間としては。
だからさ、思うんだよ。
この世界ってのは私が認識していたような物と違うものだったり、
例えば私の眼も違う使い方ってのがあったりするのかもしれないよなぁ?って👁️
人間の眼=視覚能力ってのは象徴的に認識する力の表れってのが本質だと思ってるんだけど、
肉体の眼ってのも本来そういう機能を象徴する物だとしたら正しい使い方ってのもまた変わってくると考えるのは自然なこと。
実際にはそれは“意識の置き場所”を変えるとかそのくらいのことなのかもしれないけれど、
第6チャクラ的な第三の目的な資質が育ってきて初めてそれらはリアリティーを持ち始める。
とかそんなことを思うわけだよ😃
他にも第1から第7のチャクラは実は特に発達する年齢とかってのがある程度決まってるというような考え方もあるし、
………………という部分を以前読んだ本を参考に調べてたら大変に頭が痛くなりました(゜Δ ゜)
この体感は正確には、
頭(脳?)が絞られて
気持ち悪くなる
みたいな感覚なのですが。
そしてコレらの厄介かつ謎の体調不良の原因(あるいは調整することで癒したり軽減できる)である物はだいたいサトルボディ的な肉体から何十センチか離れた所らへんに出所があったり像が結ばれてるらしいのですよ。
だからこの厄介な頭痛みたいな物を意図的に軽減したり癒すためにはイコールとしてサトルボディあるいはエネルギー体を捉えられるようになることが必須技能だと私は理解してます。
だってそれができるようになるまでは拡散的にとりあえず癒しのエネルギーとなる物を出所だと思われる所に“流す”というようなことくらいしかできないから。
でも実際、
その不調感の起点とか出所であり像を結ばれてる場所や位置(座標みたいな?)を特定してそこにピンポイントで働きかけた方が圧倒的に早いし確実なのです。
何度か書いてる話だけど、
そういう“ピンポイントアタック”(ヒーリング?)みたいなのができるようになるまでは極めて長い時間をかけて自然と調整が進み終わるまで待つしかないのですね😪
だからその間はずっと不調感が続くのです。
今の私が体験してるものだと、
頭が絞られるような不快感や頭痛と、
それによる気持ち悪さや吐き気
みたいな物がダラダラと続くわけですよ!!
いやホントにもう基本的に途切れずに。
これがアセンション症候群なのだとしたらひどい苦痛この上なしなのですね。
私の場合は頭痛と吐き気みたいな物がダラダラと続くわけだしその付加効果みたいに眼が回ってたりして物もまともに見えない=正しく認識できない状態が持続するのですから┐(´∀`)┌
だから私はそんな状態に陥ってからず~っとそれらに対処し癒す術を密かに研究し続けてきたのでしょう。
そんな私が必要性に迫られて独学で追い求め続けた癒しの術(すべ)とは基本的に肉体の癒しを実現するための方法論なのですよ。
たぶんそこなのですよ。
よくわからんのですが(?)
現スピリチュアル界隈では“癒し”という言葉の対象となるのは心=マインドやハートとか肉体的じゃなくて精神的な癒しを目的とする物がほとんどじゃないですか。
たぶん私にはそれがイマイチよくわからないのだと思うのですよ結局のところ(゜Δ ゜)
だって私が実際に必要として求めたのは
肉体の癒しの技術だから。
たぶん私は思っているのでしょう。
マインドなんてものは癒すというより浄化されるべき物だしその結果として癒しは起こる。
つまりそれは浄化である、
癒しではない。
くらいに思ってるんだろーなって。
でもさ?
それ以外の側面的な話としては、
“癒す”という表現を
使わなくてはならない
っていうような事情もあるらしいじゃん?
“癒し産業”とでも言うの???
そういう実社会的な事情として。
セラピストと治療者は違う、
視覚なき治療行為は脱法である!
みたいな背景の。
私は長らくソレを知らなかった。
そして私はエネルギー波動的なアプローチによって肉体を癒すことを目的としている……
それは、とってもグレーな気がするなって。
私は医師でも医者でもないしそっちの視点もどちらかで言えばキライだから医療法なんて物も当然知らないわけですよ
(……“異端者”だし?)
はい、
ここでも私は“協会”あるいは“教会”などの組織的な物への根強い抵抗感や嫌悪感があるわけです。
(2つ前の記事の話)
私はスピリチュアリティに特化したメンタリティーゆえに(なのか???)今では極めて独特な考え方や思考回路が成立してる人間らしく、
◯◯を食べれば健康になるとか、
とんだオカルトだぜ!
とか思ってるのですね、実際に😃💥
もちろん“絶対に無い”とは言えないし、
そう断言するのは嘘だし間違いだと思う。
しかしそれは
私が認識するオカルト
と同レベルのものである。
……何言ってんだコイツ???
って思うかもしれないし、
どちらかで言えばたぶんそう感じるのが現代人としては正常なんだと思う。
ただし“正解”ではない。
私はようやく気付き始めたのかもしれないのだけれど、たぶん思考回路や“正解”である考え方ってのが世の中の人間と極めてズレてるらしい。
飽くまで“正解”である捉え方の話ね???
私はコレでデフォルトで“常識人”的な思考が可能な人間らしいので唯一無二な自分らしさに突き抜けにくいって意味でも厄介なんだね┐(´∀`)┌
よく言えば独創的なのかもしれない。
悪く言えば異端的なんだと思うの。
困ったことだよね、
自分にとっての“正解”ってのが時代が示すソレとは大きくズレてるってんだからさ?
そんなの部分的にはどうやっても“異端”の側面を引き受けてやってかなきゃならない。
それができないってんなら自らが革命家にでもなるしかないわけで/(^o^)\
だからたぶん私は、
なんか変なこと言ってるし実際に理解しにくい概念的な世界観を持ってる人間なんだろうよ。
私の立場からすればそんなつもりはないんだけどしかしながら実際にはそういうことなわけで。
あ~、うん、
私、さっき思ったんだよ、
朝ごはん食べながら。
ディバインという生き方
みたいな本でも書けばいいんだろなって(笑)
もちろん半分は笑い話で、
残りの半分は本気。
書きたいかどうかじゃないんだよ、
内容もいつも通りだろうけど、
それについて1冊の本に記すことができるくらいに十分に理解できたら困らないんだろうなって。そんなことを感じたんだよ。
その“ディバイン”て言葉が示すものがどのくらい正しいのかとかは別としても、
少なくとも私はそれを理解する必要がある
→他の誰が必要としなくても私には必要。
っていう“いつものやつ”なんだね😃✨
私は天上の聖なる意志みたいな物としてのブループリントを信頼も信仰もしてるし、
……してるし???
なんだっけ???
何て続こうとしてたんだろうか???(゜Δ ゜)
だからこそ内側に真実があると知ってる。
だからこそ内側から真実を汲み上げるというようなことをしてるんだよ実際に。
極めて正確な理解としてのこの記事みたいな表現てのはそういう取り組みだから❇️
そう思った時に、
あのボトルを思い出す。
今の私は基本的には聖なる天上の意志を望んでいるからこそその結果や“リソース”となる物が必然として十全に与えられ用意されていることも確信していると言える。
そういう意味では私は疑っていないんだけど、
現状に満足してるわけではない🙅
むしろ非常に不満に感じてる可能性……割合の方が大きいと感じられる。
私は十分にスピリチュアル界隈の有能な人間としてやっていけるだけの資質やセンスを持っていると客観的には認識しているけれど、
しかし当事者の視点というか理解としては、
非常に多くの制限があって基本的に好き勝手に動くことは全くできない神聖さの資質ゆえの制約が邪魔すぎる!!
って思ってるわけだよ、
客観的だったり俯瞰的じゃない
超主観的な人間的な認識としては┐(´∀`)┌
“ディバイン”て
そういうことだよね???
って私は思ってる。
たぶん私は富も名声も成功も得られなくて不満なんだと思うの、いやフツーに。
……“ここまで”来て、
それでもこんなに成功しないことってある?
くらいに思ってるらしい、実際に(笑)
たぶん実際には私は富とか名声とか成功とかかなりどうでもいいくらいに思ってる本質的には。
しかしマインドのレベルでは非常~に不満なのであるこの上なく。
まるで私が無能な人間みたいじゃないか!!
無能みたいな自分が嫌だからと懸命に努力を重ねて得られたモノがコレだというのか!?
みたいな感じで👻
たぶんコレらは私の本質とは全く関係ない。
全く。
しかし残念ながら私は人間であり純粋さや本質だけで形作られている存在ではない。
たぶん今の私は、
認識や記憶が歪められてることによって、
神聖さの資質から恩恵よりもペナルティに近いものの方を多く受けてる状態にあるんだと思う。もしそれが身から出た錆だったり“宿命”ゆえの必然で不可避の体験だったとしても。
そう、
そのためのサトルボディへ干渉するための力やそれを習得するためのツールがオーラソーマ的な力を活用して作られたセイクレッドカラークリスタルというヒーリングツール。
意味的にはセイクレッドオーラクリスタルとかの方が正しい気もするんだけどその名前を使うためには今の私にはオーラソーマの知識が足りない🔒️
私の言う
閉ざされた可能性を開く
ということをするためには、
鍵と扉を見つけ出し獲得する必要がある。
何かを認識する=見るということは、
自らがそれと波動的に重なるということ。
それが無形だろうと有形だろうと違いは無い。
それが“見る”ということの本質であり、
視覚が象徴するものだから。
やろうと思えば、たぶんそのうち時間をかければ私はオーラの層とかを捉えてそれぞれの層にある情報を読み取るということもできるようになるのかもしれない。
そういう意味では私にはそれらが可能に成り得るほどの生まれながらの才能を持っていると言えるけれど、しかしそれは断じて最初から可能な物ではないし、育てなければ意味を成さず持っていないのと同じことだとも言える。
……私って持ち得る能力的にはむしろスピリチュアル全般に関して適性があるくらいに実は対応してる幅が広い気がするんだけど、
しかし実際に“行使”可能な能力って非常~に限定されてる気がするんだよ。
だってそれは私個人の意思で扱えるようなものじゃないのだし、
言ってしまえば個人の意思なんて物もただの幻影に過ぎないと大部分理解してるわけだし。
じゃあ私は何が“不満”なんだろうか???
……………………本当に不満なんだろうか?
………………………………………………つまり、
こういう必要な思考のプロセスを辿るというような体験を済ませることができたなら
後は“否定性”として浄化されればいいだけなのではないだろうか???
それら認識を妨げる霧であった物が晴れたなら私が望んで解放された可能性も見えるようになるしそうなったら更に次に望む可能性ってのもわかるようになるんだし、
実はまったく行き詰まってるわけでもない。
……やっぱりさ、
実は真剣にブループリントであり聖なる計画を人間として1つ1つ辿って紆余曲折しながら神聖さの調和的な資質を解き放って目覚めていくプロセスってこういうことなんじゃないかなぁって思うんだよ。
超~地味なんだけど、
ある種のマスターワークというか。
まぁ私は自己の中に見えるあらゆる否定性を浄化できてより一層神聖さの資質や幸福で豊かな人生に近付けるならその過程がどうであれそんなに不満は無いわけで。
そしてそのような自分の使い方ってのは神聖性の体現ということになるのだろうか???
それが
“ディバインという生き方”
なんだろうか?
それでももし私が富や名声や成功を求めているのだとしたら実際にはそれら自体を望んでいるというよりそれらを実現したり達成することで初めて得られると信じているもっとフィーリング的な何かなのだと感じるし、
たぶんそこで初めてそれまで軽視されていた愛とか光の価値がわかったり天地が引っくり返るような認識の転移や変容が起こるんだろうなって。
そういう理由で青色が1番目なのかもしれないな~って。
まぁ色々とよくわからないとしても私のこの取り組みが否定性の浄化であり変成の炎的な質のものであるということは確かな事実。
……その概念やリアリティーを実際に人間に適用するとそんなに混沌とするんだなぁ~
って私は客観的にそう思ったのでした😃🌠
そしてコレらの波動の質を解析し学習できたら薄紫の炎が象徴する浄化のエネルギーが扱えるようになるということなんだね。
私は“実際に”どうなのかは知らんけど、
そうなる可能性が高い理論や理屈ってのは割とホイホイ思い付く人間らしい。
たぶんそれは波動の知識なんだと思う。
……それらを既に知ってる私の人生が不調和だったり不必要に苦々しいものだというのは既に不自然でおかしい時期になったということに気付いた私は
それまで届かなかったより深い自身の癒し(?)が可能になったということに気付いたのだった~~~
それこそが無意識レベルでのトラウマの癒しみたいな技術であり今まで取り除けなかった苦々しさを人生から取り除き浄化する術だと私は後に理解することになる。
なんだろ、この記事、幕間って感じがする。
みたいな感じ。
読まなくても問題ないけど青紫の理解が深まって捉えやすくなる=プラグイン獲得系の記事。
たぶん私、それが地上的な仕事観に成立するかどうかを無視すれば頼まれなくても誰かに教えようとし続ける性質(役割)の者なんだろーね。
誰が聞いても聞かなくても自分が納得するようなレベルで示せたら満足だしそういう能力を高めて行くためには日頃から訓練は欠かせないわけだし❇️
富や名声にならなくても“引き受けた仕事”くらいはこなさねばならないのだし、その成果として私の育成は進む。
だからきっと私はひたすら自分自身を育成するという意識で取り組んで行くのが正解なのだろう。それが私という人間が理解できる聖なる神の意志を遂行するという方法論だろうから。
わからない者に合わせれば質が落ちるし、
比較的わかる者に合わせようとすれば私の育成の効率が落ちる、
そもそもそれらの認識が嘘臭い👻
だから私は最善を尽くせばいい。
幸いなことにそれは富や名声などの評価の対象外だからそこに制限は無いのだから。
なるほどそれがディバインという生き方???
前回の記事の続きだから前回のも幕間ってことなんだろうか???
っていうかこの記事はコレとかを私が理解できるようになるために必要だったんだなって。
それが次の話なんだよたぶん。