現在は24年の8月、
そして私は、2008年の夏を思い出していた……。
例えばオーラソーマの話、
私が初めてオーラソーマについて知った……というか自らスピリチュアル界隈に入っていくというようなことを初めてしたのが2008年の夏。
当時の私は大学1年生で、
あの時からはすごく色々と変わったであろうに今現在の体感的にはあの時と同じ世界に再び迷い込んだような感覚だったりする🌠
私はその時、2008年の夏に(どうしてだったかあまり覚えてないけど)このエルモリヤのボトルを買って使った。
今となってはすっかり“金緑”を自称するようになった私だけれど、少なくとも2008年の時点では水色のような爽やかな青色に好ましさを感じていたことを覚えている。
あのライラックな色の剣がそのまんまこのボトルの質や色を象徴しているように見えるけれど、
どちらかと言えばコッチの方が正しい。
いやだって、
一番綺麗なボトル
に見えるような気がするじゃん?
……その“綺麗”ってのがどういうことなのかは知らないけど私はコレを2つ目に選んだというのは事実なんだね🙆
ちなみにこの本は最初の方に書いたオーラソーマイクイリブリアムボトルの基本的な考え方や使い方である4つの順番ごとの意味が記されてる。
↑のやつだと2番目は……
自分自身や周囲の人を心から許し、愛を育てていくことが今の課題です。不安や子どもの頃のつらい体験を乗り越え、自分がこの世で唯一無二の存在であると気づいてください。
という内容。
1つ目のエルモリヤの方は書いてない(今もあんまり見てなかった)けど、
コミュニケーション能力に優れ、多彩な表現を通して、多くの人に自分の思いや愛を伝える素質を持っています。今は、澄みきった青空のように晴れやかで自分の意志や考えに迷いがない状態です。
というような内容でした⭕
それの象徴がこの剣であると、
そういうことです。
でもたぶん意図されたツールとしてはこの色で正解なんだよ。
特にオーラの層とかサトルボディなんて実際にはほとんど自分の周りの空間みたいな物だからそこに干渉するための概念を象徴するものとしてはコレで正解だと思うんだよ、うん👌✨
アレは見た目が青いだけで中身は紫だから。
でもそうやって考えていくとさ、
曖昧だった“浄化”という概念が既に自分の中に常にあった物として再認識されるわけで。
つまり、私は“浄化”がかなり得意だし変容の炎であるものも扱えるってことなんだよ。理解してるかどうかは別として“持ってる”わけだから❇️
そう考えていくと、
私が青紫らへんの色を最も苦手に感じていたというのはつまり。
で、
その対になる概念としてのツールも欲しかったので作成されたのがコッチ。
コレは紫×マゼンタのイメージで
ボトルとして近いのはコレなんだけれど、
私が3つ目に選んだ(使った)のはこっち。
確かこれは2008年じゃなくて2~3年後に入手した物だったはず。
“愛と光”の教えの影響を強く受けたから当時の私がコレを選んだのかは覚えてないけど、
でも実際に3つ目はコレだった。
……何て言うんだろうか、
正直言って、
私は愛とか光というような言葉にあまり興味や関心を感じていないのです。
何て言うんだろうね???
基本的にあまり愛とか光にリアリティーを感じて
いないとでも言えば正しいだろうか。
それがあるからって名声や富が得られるわけじゃないし生きることに役立つとはあまり思えない
→実用性が無い。
……とはその件に関する私の潜在意識の言葉なのかもしれないけれど、
ん~、
でも実際そうなんよ。
そうなんよ。
って言いたいくらい、
(少なくとも私の潜在意識的には)
私はそう思ってるらしい😃
そしてたぶんそれは、
私はヒーリングやヒーラー業を職能的にあまり現実的な物とは感じられないってのと同じものだと思うんだ。
軽視してるのかって言ったらそうかもしれないけれど、
侮ってるのかって言えばそういうことではないんだと思ってる。
いやだって私もそういうのを現実的な職業感として認識できてたなら普通にソッチでやってるだろうから。
自称:霊的な資質や才能はあるけれどそれを発揮する機会はほとんど無い人間
という私としてはそう思ってる┐(´∀`)┌
どっちかって言うと私としては“羨ましい”気さえするからね😪
でも“違う”ものは“違う”なんだよ。
“違う”ってわかってるものに無理矢理自分を当てはめようとするのは有りもしない幻惑にすがりつくのと同じことなわけでそれは地獄の選択。
たぶんそれが私が“癒し”というやり方では基本的に自分の力を使えない理由。
だって私が求めてるのは“癒し”じゃないもん。
それだけは間違いのない事実。
だからたぶん私は“ヒーラー”を名乗れない。
別に癒したいわけじゃないからね★
どっちかって言うと“遊びたい”なんだよ。
それが私の本質。
枝葉の細々したものなんて無視して根っこから引きちぎった方が早いし確実!!
って表現だといつも通りかなりアレなメンタリティーの人間みたいだけど⚡
でもあらゆる“否定性の浄化”って
そゆことじゃん???
やるなら徹底してやらなくてはね★
たぶん私は、
愛を軽視してる人間
ってやつなんだと思う。
それは適性レベルみたいな向き不向きの話。
“愛”ってのは私のメイン回路(出力)じゃないんだろうなって感じてるのは事実。
“違う”って感じるものは“違う”んだよ。
何て言うか、そう、
私の目的は“神に愛されること”
ではなくて、
神に還すこと
だから。
だから愛するとか愛されるとかそういう感じのものではないんだよ。
どっちかって言うと、
(作為的な表現としても)
神に愛される よりは
神になる
の方が近い。
……もちろんコレは正確な表現じゃなくて
極めて雑な表現だよ?
もっと正確な表現としては、
神になって自分を愛する
=完全に愛し愛される
の方が近い気がする。
言葉としてはかなりアレだけど、
わかる人間ならわかることだと思う。
別に外側に神様を探してるわけじゃないけど、
それでも完全な愛を求めているという側面が残っているのは事実だしそれを否定する必要も無いことに気付いてる。
だからそゆこと。
私はあんまり人間的なレベルで言われる愛とかあんまりカウントしてないんだと思うの。
つまりそれが“愛を軽視する”という傾向があるってことだと思うんだよ。
本人に悪意は全くないけど
超誤解されやすい上に自ら訂正しようとしないタイプ
ってやつだね!!😆💥
必要なだけ誤解させてやることも役割の1つ
ってもんだし、
つまりそれも無条件の愛でしょう?(笑)
私はそーゆー人間なんだね┐(´∀`)┌
確かにそういうこと、書いてある。
まぁ、
本当にそれが役割の1つだろうから、
私はシニカルだったり皮肉屋だったり愛を軽視しながらも無条件の愛だけは示すというようなやり方をしてるんだろーよ。
人間のバランス的には難しくなるけど、
無条件の愛を示すってチャレンジをするには相応しい人格だと思うんだね👍️✨
超誤解されるけどね。
でもまぁ慣れるもんだし、
そもそも自分さえ自分を誤解したり信用しなかったりするんだからあんまり他者を責める気にもなれなかったりする┐(´∀`)┌
すべては身から出た錆
って考え方だね。
そんな私は他者を許すよりも自分を許すことの方が圧倒的に難しいタイプだろうし、
逆に考えれば自分さえ許せれば他のすべても許せるようになったりする人間でもある。
最凶の敵はいつだって自分。
たぶん私はそう思ってるんだろーよ。
性分てやつだね★
今の私は自分をすごく持て余してるように感じてるしほとんど真価を発揮することもできてないと感じてる。
だから“可能性の解放”みたいなことをいつからか繰り返し始めたんだけれど、
それをやると非常に波動的なモノによって実際にはほとんど動けない状態になるということに私はついに気付いたらしい!!
サトルボディの領域にまで働きかけて運命の流れを変化開拓してゆく
というようなことをしてるんだけどさ、
波動的現実感を流されてくってのはそういうことなのかもしれない。
本当に私は一定周期ごとにそうやって新たな可能性を開くということをしたら、後は時間の流れの中でまた次の切り替えポイントまで日々を過ごしていればいいだけなのかもしれないし、
波動的に動かないのなら実際には全く行動していないのと同じなのかもしれない。
あ、それでさ、
オレンジと緑のやつ
に近いやつ、
コレ(みたいなエネルギー波動)が一番良く効くんだろうなって感じてたんだけど、
オレンジのポマンダーを持ってなくて(゜Δ ゜)
……じゃあ、
このボトルみたいにレッド×イエローのコンビネーションなアイテムを作ればいいじゃない!!
とは思ったものの。
じゃあ作ればいいじゃない!!
と思ったからといって、
すぐに作れるとも限らないわけで🔒️
それは“新たな可能性”であり今の私にブロックされている調和的で幸福で豊かな人生を実現してゆくために必要となる資質を新たに獲得する
→ブロック解放の儀式
みたいなやつも、
それを思い浮かべたからってすぐ可能になるってわけじゃない。
私の場合は少なくとも“扉”と“鍵”を見つけ出すことが必要になるらしい。
→コレらは直接的に精神世界的な表現で実際にそのようなイメージや“場所”などリアリティーを捉える必要があるということ。
同じ頃に(久しぶりに見たアルティアさんで)見かけたアンダラクリスタルのコレとか、
ヒントやインスピレーションは十分にあったからそれがどのような物かはだいたい理解はできてはいるんだけれど、
だけれど、
実際の順番としてはコイツらが先だった
少なくとも私の場合は、
聖なるあるいは聖なる計画や流れにおける、
正しい“順番”てのが明確にあるらしく。
それを否定したり疑ったり抵抗したら神聖性のすべてを自ら喪失することになるわけで💀
(……まだまだよくやってるけど💥)
まぁ1つ言えるのは、
オーラソーマとは異なる場所(?)でも色のエネルギーとか性質とか象徴するものについて学んできた私はイクイリブリアムボトルみたいにオーラソーマのエネルギーと概念を組み合わせたアイテムをレジン生成物として十分に作れるらしい。
ただ私はヒーリングやエネルギーワークの具体的な方法論に関しては本や実体験を通して得られた知識とか独学の技法しか持ってない(むしろそのやり方だけが可能かもしれない)し、
ブロックの解放=神聖さの資質の解放ってのには一定レベルでまとまった時間や期間が必要になるということもわかってきた⏳️
もちろん今もその最中~~~。
たぶん私は、
私自らが癒し手としてヒーリング的なことを誰かに向けて行うことは基本的にできない(禁止に近いイメージ)けれど、
セルフヒーリングやエネルギー波動的なワークを補助したりその技能を獲得するための独習者向けツールを生成したりそれを販売するということは好きなんだと思える。
なぜかと言えばそれは“可能”なことだから。
“実際に不可能なこと”ってのはたとえそれがどんなに素晴らしく理想的に思えたとしても、
有りもしない可能性である限り喪失=苦しみの原因と選択にしかならないというのが現実。
なら、
“無い”ものは諦めねばなるまい。
それは遅かれ早かれそうなるということ。
私は自分がしたいこととしたくないことまでは理解できたし、
するべきこと=“正解”と
するべきでないこと=“不正解やダミー”
については理解してるけれど、
それらを土台とした上で、
そんな自分の運命と宿命に逆らわずに上手く完全に活用して調和的な現実を組み上げるには至っていない。
何しろそのためには段階的に学び取っていく必須技能というか幸福で豊かな人生を実現するために必要となる資質をブロックされている物を片っ端から外し浄化してく必要がある。
私はそれを行うための前提である否定性の浄化のを技能に相応に習熟しているので浮かび上がってくる=認識できる限りはそれらを解き放っていくことができる。
前回の記事で出てきた
異端者≒反逆者マインド
みたいな物も順調に時間経過+細かいワークとかで解放されていってるのだろうし、
それが終わったら
次はオレンジのエネルギー波動領域リアリティーに近付くための動きをすることになると思う。
オレンジの色は自立と依存ってキーワードは意識に残ってたんだけど、
反対に(?)トラウマの克服や回復という部分はほとんど認識できてなかったことに気付いた!!
私は大きな部分の見方をすれば赦しだとかノンデュアリティな無条件の愛とか肯定感だとかで既に救済されてるんだけど、
細かい部分……細々とした学びや取り組みの部分を考えると、今の時期になって私はようやく
エネルギー波動レベルで
トラウマ体験の記憶として
残ったままのもの
ってのを扱い癒すことができるようになったと考えられる。
特に前回の記事でトライアンフのくだりで出てきた異端者狩り&狩られ的な負のカルマ的な過去世由来なオーラの深い層=サトルボディに保持されてる情報的リアリティーが好例。
なんとなく認識はしてるけど自分では手が出せない領域にあった根深い破滅的性質を起こさせるもの
ってのを今の私は癒せるようになりつつあるんだろうなって思ってる😃✨
たぶん私は“他者を癒す”っていう思考回路みたいな物が非常~に成立しにくいんだと思う👁️
それを私の見てる世界観や思考回路に最適化した物に変換すると、
救われてもらう
みたいな言葉になる。
私が 癒す
という部分がたぶん不可能なのかと。
私が介入することによって癒されてもらう
なら問題ないんだけどけね(笑)
……何も変わらないじゃないか って?
違うんだなぁソレが。
世界は“言葉”で形作られている以上は正しい言葉と思考回路で認識することがより抵抗なく力を発現するための様式であるのは当然の理。
つまりそれが“癒しの力の強さ”に直結するという意味でもあるわけで。
……とんだオカルトだぜ。
とは思うものの、
まぁそういうもんなんだよ実際。
私はそうやって理論をこねくりまわさなければ気が済まない人間だし、
そうやって延々と投げ込まれてくるインスピレーションや情報を適宜捌いて処理して正しく扱えるようにしていかないと思考やエネルギーレベルで中毒状態になってしまうような人間でもあるわけなんだよ┐(´∀`)┌
そんな私が世界の理として機能することがある概念を他の人間より多く発見してるのも必然。だってそうしないと頭がおかしくなっちゃうもの💥
そしてそうやって扱えるというか対応してる情報量の多さってのが癒しの効く対象の幅とか効果力に影響するんだと思うの。
術式解析……というわけじゃないけど、
その原理を知ってれば対応できるし、
多くの表れ方のパターンも理解してたら対応できる型も増えるってもんでしょう?
浄化の技能ってそういうことだと思うの。
その対象が何なのかわからなかったら対応できないし、そもそもそれを認識できなければどうしようもない。
私はそんな感じで精神世界的な技能を独学で習得していったんだと思う。だから誰かに教わったらどういう風になるのかとか全然知らないけど浄化の技能は扱えるって感じかと😃
たぶんそれが“異端”に見えやすい原因なんだろうなって思うんだよ。
証明されない科学はオカルトだし、
承認されない科学もオカルトなんだし?
……ふっ、才能なき者にはわからんのさ。
or
最初から才能のあった人間にはわかるまい。
ってことだよね😁
さて、私は
才能があったから努力したのか?
それとも才能が無かったから努力したのか?
なんかその2つの問いが全く同じものに感じられてくるような。
仮にもし今のやり方で調和していないのだとしても私らしくはあるんだよ。
そういう意味で間違ってもいない🙆
……しかしそのやり方が実際に私を幸せにしないのだとしたら?
正しいのに幸せじゃない
正しくないから幸せじゃない
……さてそれはどっちが幸せなんだろうか?
→真逆に思える観念なんてどっちもダミー
って知識があれば迷わないんだろうけどね(笑)
ちなみに私は後者の方がマシだと思うよ。
間違ってるなら正せばいい。
でも既に正しいのなら変えられない。
正しいのに不幸なら自ら何かしらの間違いがあると認めるまでは変えられないのだから。
なんか散らばった話だったな~ って、
そう思った???
→私はそう思いましたよ!!😆💥
でもそういうことなんだよ。
ブロック解放のために不調和さが表に浮上して消え去っていく時期段階では思考も表現もそういうスッキリしないものになるのは法則的にも予めわかっていること。
だからそこは無視して、
確実に1歩ずつ進むこと。
このタイミングで可能なのはそれだけ。
ってことを理解してる私は連続的な浄化解放期間の間(先月)は特に記事を書かなかったんだね~。
実際サトルボディに意図的に働きかけるということができない場合は先月みたいに極めて長い間どこで何してるのかわからないまま日々を過ごしていくことになるわけで、
たぶんその学びが終わったからエネルギー波動的な方向から時間を短縮するための技能を扱えるようになったってことなんだよ~🌠
実際コレできないと延々不調和な状態で長時間停止し続けなきゃいけないからね。
より上位を目指していくのなら進むほどに下位の概念がスキップされ短縮可能になるのは必然。
より上位の癒しの技能を獲得していくのなら熟達し進むほどに下位の癒しのプロセスが自動化や短縮されるのもまた必然。
そのような理論で私自身と部分的に同期させることでオートスキルのような効果を持たせたアイテムを生成していたらしい。
さてそれを自分以外にも扱わせるということを考えた場合には一体どれぐらいの調整や細かな理解が必要となるのだろうか???
そもそもそれらはどのように扱われることが相応しいのだろうか???
私はそこら辺がまだまだわからない。
研究と訓練と生成を繰り返すことでより力を発揮するツールを作り出すことはできるし私の力もより強まっていくだろう。
……しかしそのような生き方や在り方が職能的に成立する物なのか自分にもそのような生き方が可能なのか私にはわからないのである。
もし仮に私の扱える理解やツールを他者にも共有し分かち合うとしたらどのようなやり方を望むのだろうか?
……そもそも私は自らの技能を分かち合いたいと望んでいるのだろうか???
それすら未だによくわからない気がしてる😪
私は才能が無いがゆえに才能があったから、
才能が有ったがゆえに才覚を持ち得ない人間のことはよくわからんのだよ。
コレは変な表現だけど私はそう思ってるし、
たぶんこの認識で合ってる。少なくとも今は。
そうそう、コレみたいな話。
じゃあそれは一体どういうことなのかって話が次に展開されていくんじゃないかな~って
だから私は「とんだオカルトだぜ」とか思いながらも実際にそれらの理屈を意味を成し得るかもしれない可能性の1つとして扱えるというような超自己矛盾的なメンタリティーが成立してるんだろうなって。いやホントに。そんな私が極性の鬱陶しさにキレてあらゆる否定性を浄化する意志に覚醒するのも必然だな~って思うんだよ。
なんか、よくできてるなぁ~って思ってる。