というわけで、
私は示された道を進むことにしたのです。
……何が “というわけで” なのかって?
知らないのかい?
未来は既に存在して、
それによってその結果にあたる現在というあらゆる体験が現れているのだと。
私は今までは積極的にそのスタンスを使ってこなかったけど、どうやらこの先へ進むにはむしろそっちを自分の世界の土台として活用していく必要があると感じる。
だから私はそうすることにしたらしい。
指針は先月からの聖なる流れ学習の際にも大活躍してくれたセイクレッドクリエイターオラクル🌠
もとより私にとって重要なのは形や状況それ自体を扱うことではないので、
このような見方になるのは必然で、そして実際にはこのような見方をしない限りは時間の中で不必要な重荷を必ず背負うことになってしまうのだと。
私はそのことに気付いたから、
未来が先にあって
現在はその結果
という可能性を積極的に表に出すことにしたのでしょう。
実際に私が体験してる人生のリアリティーとしてはコレが無いと成立しないものだらけだから最初からそうすればよかったのに……というくらいのものなのでしょうけど😌
でも私は説明したかったのです。
でも私は教えたかったのです。
……そしてその隠された意図に気付いた上で自ら積極的に認めるということはもう既にそう思っては居ないことの証拠なのですね🌠
それに今の私は、
このカードのメッセージだけは見過ごせないと感じたのです。
私はそれを望まないし、
だから私はそれを決して認めない。
未来が先にあって
現在はその結果。
別に他の者がそれに納得しなくても良いのだし何の問題もありません。それはそもそも鏡の向こうの話みたいなものだし、
それはズルではなくて裏ワザなので知った上で使うことを選ぶか選ばないか程度の違いだけだから🙆
まぁそんな、
今の私は
聖なる導きから“挑発”を受けた!!
というくらいのものとして認識していることでしょう(笑)
(そんなの正しいわけないけど、)
それでも特に不都合もないので今はそういうことにしておきましょう。
というわけで致し方なし。
こうも強く方向性を示されてしまっては既に退路も見当たらない感覚なので進むことにしたわけです。
しばらくは(この場の私には)忍耐や集中が必要になるかもしれません。信頼など学ばれたはずの叡知を総動員して突破することにしましょう。
それ以上の話は全部終わってから、ね★
今の私の記憶に蘇っている、
同じ質のもの
としてコレがあると感じてます。
21年4月の記事ですね。これが近い
※もちろん必要なければ読まなくていい。今回の話として必要な部分だけはハイライトとしてこちら側から示すから。
とりあえず要があるのはコレですね。
なぜライトワーカーになれというメッセージはあっても私たちはスピリチュアルなマスターになろうよというメッセージは無いのですか!!
……って書いてありました。
そうだね、私もそう思うよ(笑)
でも無いってのは嘘。あるね。
有るところには有るんだね🙆✨
まずはそこが訂正部分。
つまり私は過去から何度も何度も繰り返してきたこういう取り組みの続きをしていくということです。
こうしてもう既に前例はあるのです。だからそんなに気負うこと無いのでしょう。
今の私が考えている=受け取っているインスピレーションとして、
スターシードとチキュウ
というものがあります。
まずはコレを一度見た目には極めて否定的な考えや感覚を持っていることを認めてそれらを丸ごと力ある幻想の1つとして粉砕して!
……その後のことはその時考えます(笑)
少し前にスターシード的なスターフラワーにはならないのか的な話を見かけたのですが、
これ自体を取り扱うと特定の人物や考え方をディスることになってそれは無駄にカルマちっくなものを見る面倒な選択なのでそこは全力で控えさせていただきます。
やはり今の私には馴染まない
ということがわかりました。そしてそのことに関して少しだけ深く考えてみて感じられたのは、
私が20歳の時に〈マスター〉として生きることを選択するより前なら十分に意味を成して役に立つリアリティーのあるものだった。
→少なくとも十代の頃までの私……今から15年ほど前の私にはとても役に立つ情報や世界観だったとわかったのです!💡
でも私は実際に20年とか21年の頃まではスターシードオラクルとかを好んで使っていたしそこに示されていた学びを参考にしていたのも事実です。
……そう、それがそういうことなのですよ。
私が特にスターシード的な意識状態で生きていたのはだいたい2005年~2010年頃までのことだと言えます。
なぜなら2005か4年頃に二元性の極性に目覚めた私は以後そういうスピリチュアル的な知識や導きを強く必要としていたとわかるし、2010年に〈マスター〉の方に方向性を固めてからは本質的には迷うことは全く無くなったからです。
実際私の言う〈マスター〉というのは一部では超有名なスピリチュアル洋書本の1つである神との対話の中で示されていたもので、
同時に神との対話の中では
精神世界の住人になる必要は無い。
ということが明確に示されていたり、
当時の私のレベルでの“探求の終わり”を示すには実に十分なものだったのです。
実際に私はそこまでの5年ほどでスピリチュアル的な世界観や基礎知識は身に付いていたのですから。
だから私はそれ以後はあまりスピリチュアル精神世界的な方向性に深入りはしないでスピリチュアリティの実践者となったのです。
それが以後の私がスターシード的な世界観や考え方を強く必要としない理由です。
※その理解が正しいかどうかは別として※
私が認識したマスターというものはそのようなスターシードとか精神世界的な枠組みをはるかに越えた上位概念のような物として理解されたから💡
“エンパス”とかも同じです。
究極的には身から出た錆!!
ということがわかったからですね(笑)
しかし、
だからこそ私は時期タイミング的にスターシードという概念について詳しく学ぶ機会が無かったからこそ何度か積極的に自分からそれらの枠組みを取り入れ学んだのです。
私が最もそれを必要とした時代にそれは存在していなかったから後の時代になってそれを追体験し学習した。
そういうことなのです。
実際にスターシードオラクルに示されるものはだいたいのスピリチュアル的な知識や方法論やスピリチュアリティの実践の基礎となるような考え方や叡知と呼べるもので、
自らを
地球という惑星に
不慣れな魂を持つ存在
と感じている者
には役立つ教本みたいな物だと私も感じたので、
そういう教本のようにわかりやすく教え示されたことがなかったので、
積極的に学びのテーマやシンボルとして活用して取り組んだということなのです。
でもそれは、
どうしても二元的な物の見方や捉え方を前提とした世界観で、それは少なくとも今の私が望むワンネスで完全な世界のリアリティーのような物には極めて遠い考え方です。
だから馴染まないのです。
なので私は今の私が認識している
それじゃないなにか
という可能性を知るために、
とりあえず一度はスターシードとかチキュウっていう今の私には馴染まないと感じている概念や世界観を否定するという感覚や意識を認めてみよう!
と考えたということなのです🍀
それが一番最初の
“というわけで”に当たる説明です。
実際スターシードとか地球とか形それ自体にはもう興味ないのですが、
でも何かがまだ
私の心=マインドの中で引っかかってる。
それは、事実なので無視するわけにはいかないのです。
既に幻想と知るはずのものを解放するために一度だけ本物として試してやる
といういつもの赦しの実践ですね👌✨
その意図が悪意的な物ではないと知っているのであれば自らの内側に現れ目撃することになる否定的な感覚や意識それ自体を認めてやることは難しくは無いのです。
実践者としての叡知の賜物ですね☆
私の使っているマスターもディバインワーカーも神の教師も中身はほとんど同じようなものなのでしょう。
だからそのうち1つの概念としてどれかに束ねられ統合されることになると思います。
そうなったら必要がある時以外にはその言葉だけを使うことになるはずです。
なぜならそれが実践者として
不要なリアリティーを避ける術として
知ることになった叡知だからですね☆
たとえばこの記事それ自体があまりまとまりのないような物になったとしてもそれはそれで別に問題ないのです。
これは私が誰かから正当に依頼された金銭的な報酬が発生するという極めて通用力の高い形で取り組んでいるような物ではないし、
そもそもコレは30日くらいかけて取り組みながら理解していくための最初の1ページみたいなものだから理解してない状態であることは自然なことなのです。
だから私は明記しています。
しばらくは(この場の私には)忍耐や集中が必要になるかもしれません。信頼など学ばれたはずの叡知を総動員して突破することにしましょう。
それ以上の話は全部終わってから、ね★
というようなことを。
私は、わかっているのです。
そして理解した上でそれをやっている。
だから、
せめてもの追い風とか
頼りになる前例として
自分が作った(?)正の遺産となったはずの過去記事とか記録を持ち出したのです👍️✨
そしてその上で私は思っているのですよ。
どうして今のスピリチュアル界隈ではスターシードだとかツインレイとかそういった形のイメージの世界的な情報ばかりが溢れているんだ?
もっと私みたいにマスターだとか神の教師だとかそういったより高いリアリティーであろう物こそが広まるべきだと感じている人間はもっと居るんじゃないのか?
私の感じているコレは間違っているのか?
それとも間違っていないのか?
私はそれが知りたい。
そう感じているのですよ、かなり強く。
だから今やってるコレはあの時の続きであり道の先にあった必然だとわかるのです。
構図としては全く同じこと
だからだね😁
コレ↓と本質的には全く同じことしてるということです。
もっとアースエンジェルになろうよ、
もっとスターシードになろうよ、
もっとマスターになろうよ、
もっと神の教師になろうよ、
これらの考え方は全く同じということが今の私には理解できるのです。
全く同じなのです。
本質的には違いはありません┐(´∀`)┌
しかし“学びの時期や段階”といった考え方や現実感を採用するなら話は全く別。
私はスターシード的なリアリティーを通して学ぶ時期を過ぎてマスターを目指し神の教師を目指し進んでいる
時間軸的な、
直線的な、
距離的な、
そんな見方が成立します。
私はそれを飽くまでも分離の幻想の1つでしかないのは前提として必ず示し続けることでしょう……もし仮にその時点での私自身がそのことを語っておきながら何もわかってないように見えることがあっても😆💥
時間の果て……かなり時間が流れて状況だとか背景とかが明らかになった状態では私の言葉は全く嘘ではなかったと示されるはずだからですね★
だから私は一度はその概念も等しくエゴの偶像として分離の幻想の1つとして粉砕するということを選択するし、
私は既にそれを知っている
という意思を示すのです。
後のことは、
それがわかるようになってから知ることができるものなので先に考えても全く意味ないのです┐(´∀`)┌
私は時間の中で闘うスピリチュアルな戦士とかもう全くやりたいと思ってないので時間の中で闘わなくて済む選択をしてるのです。
実際ああやって↑
受け手によっては自らの存在理由ややっと見つけた価値と思えてるかもしれないスターシードとかそういった観念をただの幻として否定してディスるようなことをしたとしても、
それによる不可避のペナルティだったはずの物も極めて短い時間で終わらせることができるのでそんなに大した問題にしないのです。
すべては一時的な物語だから
そんなに長い時間ずっと真に受けなくていいんですよ(笑)
もっとコンパクトに何分とか一時間とかそれらの体験を抵抗せず受け入れることができたらまた異なる可能性である体験が得られるのですから。
そうやって割と自在にシフトしてスライドして進んで行けばいいのです。
強いて言うなら私はそれをやがて叡知となるはずの物として置いていきましょう。実際3年前のあの記事のように未来の私が嘘ではなかったと証明してくれるかもしれないのですから👌✨
そしてたぶんそうなることでしょう。
私にはそれがわかります。
なぜならそれは、
未来が先にあって
現在はその結果
つまりすべては必然
ということだからですね。
私にとってこのような考え方や感覚は非常に強い守りとなるものです。
それだと困ると信じる者にとっては恐ろしい言葉に聞こえるかもしれないけど私にとってこれはとても安心するものなのです。
いわゆる聖なる一本道の考え方ですね。
実際私はそうやって既に存在した未来の結果としてあるのです。
コレを受け入れ活用することによって私は時間の中で見かけるあらゆる制限や面倒さの大部分を免れることができるのですから喜んで活用しないわけがないのです😊💖
そう思わない者があっても別に私は気になりません。別にそういう者に脅威を感じないのであればどう感じていたとしてもその者の自由なのですから。
どうして私が分離の幻想を強く指示して不可避のペナルティを受けてまで誰かを否定してあげなくてはならないのですか???
この世界はとても親切な人に溢れてるからいくらでも気付きの機会を与えてくれるんですから私はそれをやらなくてもいいのです(笑)
確かに少しの間だけ私は分離の幻想な罠に引っかかって無様さや惨めさと思える姿をこの場で晒すということはまだまだ完全にはなくならないと思います。
でもそれはただその後に勘違いとして認識を改めればいいというだけのこと。
それが問題になることはないのだし、
私は必要もなく問題を見ることを望んではいないのですから。
必要なら時間の幻想を開くし★
不要なら閉じておけばいいのです☆
ただそれだけの使い分けです。
それができたなら無駄に時間の中で苦しむ理由は無いのです。
そしてただそれだけのことが、
私が長らく探し求め続けた叡知そのものだとわかるから尚更おかしいのですね😋✨
だからここからの私は必要以外では時間をあまり見ないことになるでしょう。
もうそんなことする理由が無くなったから
ですね。
だから私はそれを示しましょう。
なぜなら自分が真に望むもの相応しいと信じるものだけが示せるのだからやはりそれは必然に違いないのです🌠
そうすることで過去の私の数多の想いは報われ救われてゆくに違いないのだし、かつての私はそんな自分の可能性を信じてそれこそを絶望の果ての希望として生きてそして想いを託して消えていったのですから。
その想いに報いないということは私には考えられないのです。
ここにあっては1つの特別に見える思いも解き放つことは用意なのかもしれませんね。
そうしてこの話は思ったより早く終わったなぁって今の私は感じているのです😃✨
私が使ってきた時間を省くってこんな感じのことだったんだなぁって。
必要な時に時間を開いて拡大して、
必要な時に時間を閉じて短縮する、
きっと私が求めたものと獲得された叡知とはそういうものだったのですね🌠
コレが望まずながら続けていたことをしなくてよくなるということなのでしょうね。