では先ほどの続きを。
(↑これだと聖なる事故のごとし解放と祝福みたいな話がほとんど記されてない謎の話ですからね。やっぱり未完成なんだろうなって思ってます👻)
私は、そう、
たまに思うのですよ。
時間やお金の制約がなかったら、
私は本当に今やっていることを続けるのだろうか?
そしてそれは、
よく、
しばしば、
度々、
私の人生上で起こる
ストップサイン
のような物事に対して思うのですね。
それは非常に~よく、
定期的に、
製作や販売活動の面……
現在の私にとっての仕事
という面でよく遭遇するのですが、
よ~くよく読み取っていくと、
確かにそこには明確な意図があるということに気付くことができるのです。
よ~くよく読み取っていくことが必要なので第一印象や無意識の思考レベルでは認識できない部分なのですが🌠
そういう意味で、
行き詰まりもまた祝福。
ということは知ってます。
……知っているわけであって必ずしもそれを正しく認識できているわけではないのですが😋⚡
そうですね~、
きっと私の人生状況とか流れってのは、
そういうことをするのに物凄く向いているというか最適化されてるんだろうな~って度々思うのですよ(*´ Δ`* )
そういうことってのは、
実現できるかどうか関係なく、
お金や時間の制限が無かったら、
自分は何を望み何をするのか?
という話です。
私の人生とか、
私のメンタリティー精神性とか、
私のスピリチュアリティ霊性とか、
そこら辺全体が、
そのチャレンジに最適化されてるんだろうな~って実感が増してゆくのです🌠
きっと恐らくこれは、
いわゆる波動的宇宙の法則的引き寄せ的女性的な在り方とかの人生スタイルなのです。
しかし私は基本的にそういう法則性に抗ってばかりいたのでしょうね。
なんでって、
未成熟だからです🐤
わかってても
不調和を避けられない。
それが未成熟ということなのです🔯
例えば、
そうですね……
今の私が感覚的に、
そういう波動的現実感な在り方のやり方として先ほど直感したのは、
このアイテムを33,333円にする!
ということでした😌
それが私のやりたいことなのですよ、
お金も時間の制限も無かったとしたら。
なんでかって言えば、
それは超主観的な価値の話だから。
あの作品を販売するとか、
それによって誰かに買ってもらうとか、
そういったことを抜きにするなら、
私はあの作品を
自分こそが
それだけの価値があると認められる状態になりたい!
ということなのです。
ここでは他者の評価や存在感はほとんど関係ないことなのです👻
私が知る聖なる創造者に相応しいお金の扱い方ってそういうものなのですよ。
その結果がどうなのかは、
それは結果の話なのです。
私はそこに興味は無いのです。
それは私を導く力が運んでくるものだし、
私の管轄外ってやつなのです🌠
私が純粋に、
なんの制限も制約も恐れも無かったとしたら
望むことはソレなのです。
だから私は、
純粋な意図という物を非常によく理解している人間なんだろうし純粋性という資質に関して私に勝る者はきっとそうは居ないというくらいに思ってます😋✨
なんでかって、
その弱点もわかるからです👁️💓
だからその脆弱さを隠さずに居られるようになるためには、
純粋さを保てるだけの強さや力のような物も必要になるのですよ。
私はこれで仕事脳な人間ですからね~。
それが仕事として成立してお金を稼げるかどうかを別にすれば、私は延々と自らの存在感をどのように正しく完全に扱うことができるか?
という天上の仕事観みたいな物が染み付いてる人間なのです。
それもあって地上の仕事観では無職でも
自分の役割さえ果たせれば
何でもいいと思っている
というのが私という人間の弱点だと言えるのでしょう┐(´∀`)┌
しかしまぁ、
たぶん実際に私というのは元々の生まれからしてもそういう者なのです😃☀️
そしていわゆる霊的な目覚めが進むほどにそのような在り方への抵抗感や恐れや制限が一つ一つ剥がれ落ちていって、
私は存在するだけで完全な存在感と役割を全うしている
聖なる祝福の現れの一つだ。
と必ずや確信するようになっていくことでしょう。
だって私、
現代社会的な営みとか風習とか興味ないしそれを保てるように努力したいなんてほとんど思ってないですもん👻
エスデージーズとかもね、
やりたい人がどうぞって思ってる★
色~んな思惑とか事情ってのも見え隠れする気もするしだから赦しの機会として見過ごしておけばいいなって┐(´∀`)┌
去年の夏に地上の陰謀の章を久しぶりにやってわかったのですが、
地上の陰謀だろうがアジェンダだろうが全ては天の計画の一つなのです。
どのようななんだろうが誘惑に屈せずに必ず役立てることはできるのですから。
私はこれでもミラクルワーカーであることを選んだわけですからね~、
もはや地上の人間が定めた細かいルールなんてものはあってなきがごとしってやつですからね~。
なんかもう制限とかでいつまでも引っかかって遊び続けてるわけがないのです🌠
私のスピリットはそんなニセモノの力に引っかかってくれるわけないですからね☆
抵抗したら私が延々と引きずられるだけってのはもうわかっているのですから😂
たぶんそういう意味では、
もう私は恐れては居ないのでしょう。
だって聖なる創造者という視点が得られたのですから!!
何を持っていても持っていなくても、
それら外側の状況を可能とするための体験を得るための物としての豊かさの器ってのは例外なく目的のために用意され使われているのですから!!
真意さえ見抜くことができれば、
間違ってるだけの物も不必要なだけの物も有るわけがないのですから。
すべての恐れや制限に満ちた悪夢の記憶は必ずすべて過去となって現在の中で消え去ってゆくのですから。
きっと私は、
そのうちコレを逆転させるのでしょうね。
聖なる創造者として知る聖なる豊かさに満ちた人生の可能性と、
人生の敗北者として知った失意と悪夢に満ちた救いようのない自己の記憶と、
それらの認識は少しずつ割合を変えて、
やがてすべての過去の悪夢の記憶は純化され消え去ってゆくのです
……今この時にもそうなっているように。
それが私の絶望の終わり。
それがただの見せかけに過ぎなかったと気付いた時、もうそれは絶望や失意とは別物になってしまうから。
そしてその時はもう近い。
確かに私は人間としては欠陥だらけなのかもしれない。
しかし聖なる創造者として生きて楽しみ遊び尽くすためにはこの上なく最適化された実に都合のいい至れり尽くせりな自分専用の神器であることさえわかってきてる☆
きっとこれはただの割合の話(笑)
9割が完全で、
残りの1割で圧倒的欠陥品に見える側面があるというだけのことじゃないか。
でもそれもきっと役に立つし必要🗝️
今の自分に理解できないことを恐れ遠ざけようとすることを止められたなら、
その真価を余すことなく知ることができるに違いないんだから!!
そう、
私こそが神器。
……ミラクルワーカーであるなら、
自分を神の器として扱うのはあまりにも当然なことなのかもしれないし、
聖なる力や意図が介入された状態で何かを生み出すことがあるなら、それまた当然神器と呼べるような物になるのも必然。
……なんだ、それなら、
神器というのは思いの外身近な場所にいくらでも無数に有っても何も不思議ではないような物だったのだ😃☀️
そのきっかけの神器なんだから、
別にあのアイテムが33,333円でも別に高くないんだろうし高くても安くても別にそれは本質的には全く何も関係ないとわかる👻
その数字の正しい扱い方がわかったなら、
多くても少なくてもどちらにも価値があって意図もあるってんだから、
どっちだって完全さの証明じゃないか。
きっとそれが私の求めた資質の一つ、
無限大の豊かさを知るということ。
プラスにもマイナスにも縛られない、
金銭的な豊かさの真価を知ること!
それがこの人生の価値なんだよ。
それがどのように外側の世界へと投射され写し出されていくようになるのかは正直私にはわからないんだけれど、
しかしそれこそがマジックの見所でもあるのだから、
私は自ら仕掛けたことを忘れてしまったマジシャンとして観客と一緒に一喜一憂したり驚いているくらいが相応しいのかもしれないなって思うよ😁✨
なんかこう、
そういう意味ではさ?
私はまだまだ小さい枠組みと制限の中になんとか自分を押し込んで上手くやれるようになろうとしてたんだなって確かに感じる。
既に自転車に乗れるのに、
補助輪を羨ましそうに見つめてる人
ってのはまた、
本当に言い得て妙だなと思うよ┐(´∀`)┌
……そうなんだよね、
たぶん私って、
まだお金で遊んでないんだよ。
それは、
手に入れてから遊ぼう
と思ってたからなんだけど、
違うんよね。
聖なる創造者は例外なくいつだってお金で遊んでるわけですよ。
お金だろうが葉っぱだろうが(?)
用意された小道具の一つには変わらないんだから。
………………あ、
そういえばそんなカードを見た記憶が蘇ってきたのでした!!(゜Δ ゜)💡
どうしたら、成功していないと恥だと思うのをやめることができますか?
………………なんて難しい問いなんだ。
こんなカードね。
私はその答えを見つけられなかった。
そしてなぜか私は成功しなかった。
だからきっと私は、
自分が望む豊かさや経済的な成功を得られるその時までは他者とのあたたかな交流や喜びごとを共有しようとはしなかったし、
それを自分にも許さなかったのだろう。
超~未消化の感覚感情やブロックに引っかかってしまったのでこの記事はここで終わりだったのでした。