舞台設営とか、
手品の仕込みとか、
なんかそういうやつ、
つまりコレ……とかここ最近の記事みたいなの
まだ続きます。
たぶんコレは水面下の動きなんよ。
……それなのになぜ公開されるのか?
私が書いてゆくコレらを見ることになってる人が居るんでしょう。
じゃなかったら秘密主義みたいな私が個人的な取り組みを公開するわけない┐(´∀`)┌
そうやってアレコレ隠そうとする私が本来的な自分なのか、
何もかもをオープンにして完全燃焼させようとするのが本来的な自分なのか、
結論から言って、
どっちも違うと思います(笑)
私はもっと、
超自然にやるのが本来的な自分。
だって顕現者だもの。
私の役割は新たに創造することじゃなくて可能性を具現化すること。
そのために必要な資質や能力や運命的なすべてを持ってるのは必然。だからコレこそが私の能力と呼べる物。
……そういう意味で言うなら、
コレらの内容が基本的に理解されないのは嘆くべきことじゃなくて、
むしろ面白がるのが相応しいとも言える。
だってそれは並の人間にはわからないけれど私には明確に理解できるプロの技みたいな物なんだから、
なんか何がどうすごいのかはわからないけど何かしらすごいことだけはわかる!!
とか思われてるくらいの方が、
実は私には都合がいいのかもしれない。
そういう見方をするなら、
むしろ、アレ。
わからなくていい部分はまったくわからないように暗号的な物として記して、
正確に伝え理解してもらうべき部分は非常にわかりやすく共通言語で共有する、
ただその2つがあると理解してそれらを完全に行えばいいだけなんだなって。
実際それらは目茶苦茶難しいと思うけど、
私は十分にできるから、
説明さえしなくていいなら実に容易い。
そういう意味では私の役割には、
実際にそれを見せることで示す
正確にそれを理解できるよう教え示す
それらの2つがあるというだけのこと。
たぶん私はそれだけ知ってればいい。
そして私のコレは作業中でもあるから、
見ても見られなくても行い達成していくことが必要というのは何も変わらない。
わざわざ見に来る人間があれば見ればいいんだろうし、
実際ソレは基本的に私には関係ない。
ただ、そう、、、
実は一番の自らの腕の見せ所という意味での晴れ舞台である物を見てくれる人間が居るというのは表現者としては感謝こそすれ嫌がる理由なんて全くない幸運に違いないんだから
やっぱりホラ、
ギャラリーが居た方が盛り上がるでしょ?
それに、
……ほとんどの人間には意味を成さずに理解することはできなくても、それでも確実に一部の人間にのみは完全に叡知として示すことができる
なんてのはなかなか乙な物でもある(笑)
そういう意味ではやっぱり、
理解できないままになぜか私の存在感に釘付けになってくれるようなギャラリーだって居た方が楽しいわけで。
私は完全に、
誰かの後をついていくなんてことはできないし自分が自分のために用意して構築した物こそ最も自分に馴染むと知っているしソレを実際に成すだけの意思やセンスもある人間だから、
誰だって自らの道を開拓して生きるのが当然だとさえ思っているんだろうけど、
きっと実際はそうなってなくて。
場合によっては私の追従者となるべき人間てのも存在するかもしれなくって。
実際に私は、
もはや素人ではなくなってるし、
自分の道の人間として仕上がってる。
それなら私の追従者となるべき人間てのが現れても別におかしくないし、
私のやり方を見てもっと望ましいやり方を見つけ出すためのダシとして使われることだって多いのかもしれない。
まぁ以前ほど不調和感や負荷の大きい感じのやり方はもうしてあげないけど、
それでも前進すべき推進力を生み出すために超一時的に捻れを自分に強いるくらいのことは当然のように行う。
実際コレは、
何個も何十回も何百回も繰り返し積み重ね作り上げ練り上げてゆくことによって初めて意味を持つ物だから、
そういう意味では淡々とフラットな気持ちでデイリートレーニングな感覚で取り組んで済ませてゆくべき程度の物というのが正しいのかもしれない。
私はコレを繰り返し積み重ね続けることができる人間だから一角の人物的な自分を実現することができるんだし、
それは紛れもなく私の才能であり資質。
コレ自体がすごく楽しいものなのかって問われたら非常~に微妙って答えるけど(苦笑)
でも嫌なものってわけじゃない。
コレは、そう、
何て言うか……
乙なものなんだよ(笑)
妙味とかそういうやつ。
ソレを多用する私……
実に乙な人間だと言えるね(笑)
なんかね~、
でもコレも正統なやり方なんだよ。
最初から物凄く素晴らしいって感じられるような物でもないんだけど、
でもある一点を境にそのすべてが黄金に変わる可能性を持つ取り組みみたいな!!
……可能性を持つんだね。
必ずそうなるわけじゃないし、
どちらかと言えば、
なんか、アレ、
100回達成したらボーナスステージ突入確定!!
みたいな(笑)
そういうやつなんだよね。
そういう意味では確かにものすんごく価値があるわけで。
でもその代わり、
それまでのプロセスではゴミやマイナスにしか思えないような残骸も量産されてしまう現実感があるわけで┐(´∀`)┌
まぁ、
私はコレをやらないと無能なわけだし、
逆にコレをやったら至高の域にまで達することができるかもしれない!!
そういうことなんよ。
先にソレを断定することは基本的に禁じられているのよ。
っていうか、やらない。
必要ないから、やらない。
少なくとも今は。
たぶん顕現者の生まれの人間ならわかることだと思うけど、
自分のために用意されてるはずの物を自ら具現化することで確実に得ることができるって仕組みなんだよ。
だからコレをやらないともらえない💥
そして無能になる。
奇妙なもんだよね~。
こうやってなんかすごく疑ったり不安に感じているような雰囲気で話が進められてゆく中で実際にソレを受け取ったり具現化してゆくってんだから、
完全にわかっててやってるのか全然わからない状態でやってるのか自分ではどうやっても判別できないんだよ~
……そしてこのやり方が正解で必要で完全で自分が至高へ至る可能性のある唯一の道だと理解したのだとしたら???
この下手くそな芝居みたいな、
むしろ上手すぎてもはや完全に下手くそにしか思えない芝居のような、
一時とは言え無知で無能な凡人な振る舞いや表現や体感を自分に受け入れるという物凄く矛盾した在り方も受け入れられるような気分になったりするわけで(笑)
コレなんだよ。
わかった上で時間の中で学び成長する不完全な自分を完全に受け入れるという完全さってのはこういうものなんだよ。
何かの冗談みたいな説明だけど(笑)💥
ソレをわかるように示せるのは後になってから可能になる物なわけで、
それまではどうやっても形のレベルでそれを証明することは不可能。
その越えられない壁に挑み続け苦闘し続けた果てに私が時間を超越するような在り方や意識を見つけ出すのは超自然なことだし、
むしろソレを可能とするための試練というか果てしない訓練に耐えられる(?)人格ってのはそういう者でしかないわけで。
私はそういう人間で、
私の人生感はそういう物で、
その私が記すコレもそういう物で、
それは超自然なこと。
わかられないのも、
わかりにくいのも、
自分自身でもなかなか理解できないようになっているのも、
その時までは絶対に理解できないようになっているのも、
それらも超自然なことなんだよ。
矛盾を受け入れて生きる、
その上で完全さも保つ、
不完全ささえ持つという完全さを知る、
その非常~に二元的なアレでは無理でしかないようなソレを理解するってそういう現実感なんだよ。
私にとってはもう普通のこと。
そして必要なことだし、
たぶんエネルギー的なレベルで呼吸みたいな感じでコレをやらないと不全状態になってしまうに違いないような取り組みだし、
秘術の類だと思うの。
こういうのを示すのが私の役割。
そしてソレは私にとても相応しい。
ソレを理解させる必要さえなければ、
私はこんな自分をすごく気に入ってる。
……でもソレを極性のリアリティーに落とすことになれば私は必ず苦悶しソレから抜け出すために闘い続けることになる。
なんかね、
ソレはたぶんどうにもならないやつなんだよ!!
二元的なあらゆる苦しみであるそのすべてが推進力なんだから、
目覚めた上で極性の世界に戻るってそういうことなんだよ。ソレを見るのなら誰だって苦しまずには居られない。
ソレはとても不自然だとわかるから、
必ず解放に向かう。
非実在性が非実在とされるゆえんってやつなんだろうねぇ。
なんかね~、
そゆことなんだよ。
私はもう別に苦しんじゃ居ないんだけど、
必要あって極性のリアリティーを引き受けてる時には必ずそういう意識や感覚感情になってしまうのは事実だし必然。
ソレは何て言うか、
人間として存在する不可抗力というか(笑)
なんかね~、
だってそうしないと私は本当に何もしなくなるから。
既に完全で無欠で満たされ達成された自分であるのならそれに相応しい現実ってのがあるわけで。
……それは今の私の人生状況では成立し得ないんだよ単純な理由として。
だから私はどれだけ目覚めても必要なだけ極性のリアリティーを引き受けることになって悶えたりしながら解放していく。
それが仕事なんだよ私の。
人間として存在するだけでソレは引き受けている類のもの。
原因が仕事なら結果も仕事だよ。
ソレは本来的な私には全く相応しくない。
だから私はソレに必ず違和感を受けて抵抗することになる。
形としてやることは同じでも、
その意図が違えば体験も別物になる。
だから私はソレを選び直している。
そしてその選択肢がある場所にまで戻ることができてようやく選び直せるわけで。
コレはそのための作業というか、
逆走のプロセスと言ってもいいようなやつ。
結んだ物を解くには、
それを一つ一つほどくのが正しい。
もしかしたらそれ以外の手品みたいなやり方ってのがあるかもしれないけどソレらはいつでも使えるとは限らない。
実際私はこうやって正してゆける。
自分の中に引き入れ自分の物になった不調和ならいくらでも解き放てるから。
他者の物には手が出せないけど、
ソレが自分の物になったら話は別。
そういう意味では、
私はちゃんと聖性ってのを理解できないままに取り戻して他者を解き放つというような正しいやり方ができる人間でもある(笑)
実際ソレは予め理解する必要は無い。
認めても否定してても、
そうなったらそういうものだと思い出すというだけのこと。
そしてそんなものは、
例えばこんな奇妙なやり方を通して可能になるような物だったりするわけで。
そのプロセスをわからないままに見せられるのってまさにこんな感じ!!
だからコレが私からの他者への贈り物の一つってことになる。
……私も最初からはソレが絶対に理解できないようになってるんだけどね💥
ソレこそが自分にとっての他者という存在の聖なる存在感みたいな物なわけで。
それこそがこの妙味で乙な味わいで実は叡知な私の表現が公開されてる理由なんだって。
なんだろーね。
私を通して聖性の表れ得る像とか見本を見せられてるってことなんだよコレを見ることになった誰かってのは。
私はその本人じゃないから多くは知らないんだけどそれだけは確かな意図。
なんかね~、
わかりにくいけど聖性の使者って実際にこういう物なのかもしれないんだよ。
なんかこういう謎のプロセス?
この完全に仕組まれた手順を踏むことによって本来は理解できないはずのソレが理解され得る可能性を具現化する!!
ってのがディバインワーカーとしての私の役割であり仕事なんだよ~。
いい仕事するでしょ~?(笑)
その非常~に言葉では表しにくいリアリティーをわかってくれたら私は嬉しいです💖✨
そしてコレらがプラグインとか鍵として、
後に表立っての動きを行う時に前提となる知識や叡知として使われてゆくわけです。
私はその役割を果たし、
その報酬を受け取る。
金銭的なことは知らないし、
読み手の他者自身のことも知らない。
私は私が知るべきことを完全に知っていればそれでいいのです。
知らないものも見えないものがあることもまた楽しめるようになれば、何もかもを明らかにしなくても恐れずに楽しめるようになるってことなんだよ~。
それも私の資質。
何よりも恐れていた対象こそが実は一番の才能やギフトだったなんてことはよくある話なわけで。
だから私は知ってる。
一番の弱点に感じる物や最も恐怖を感じられる何かこそが一番の望みの裏返しになっているということを!!
そう、
だから私は確信して言えるようになる。
……なるほど、
君は何よりもソレを一番の弱点として恐れ否定したがっているように見えるけど、しかしソレこそが自分にとって最も重要な資質で才能でありギフトである可能性があるとしたら君はソレを呪いのままにしておきたいかな?
それとも聖なるギフトとして完全に正しく受け取ることを望むかな?
もしソレを望むならその道を通る術を教えてあげようじゃないか。
それは全然簡単には思えないけど必要なら通る聖なる試練の道でもある。
……なんでそんなことを頼まれても居ないのに語るのかって?
ソレこそが私の一番の弱点と信じた物を正しく完全に聖なるギフトとして受け取り直すための方法だからだよ。
私にとっては君がソレを完全に受け取ってくれることで初めて私自身も受け取ることができるってわけだ。
その意味がわかれば、真に他者のために必要とするものを与えることは真に自分に与えることと同じことだとわかるだろう?
それは打算でも計算でも善意でも悪意でもごまかしでもなく、
当然の選択なんだよ。
私はそういう現実感が欲しい。
だからそうする。
ソレこそが聖性の道なんだよ
ね???
というわけでこのブログのタイトルも不親切なやつです(笑)
半分ネタみたいな感じ。
そうね……こういう話ももっと時間が流れた後でソレらしい表現や言葉で中身は同じような物として再掲されるのかもね?
まぁ今はこんな感じであんまり見えない感じでやっていきます🌠
🔒️本来は水面下の作業ってやつだから🔒️
見えるようになってもコレなんだよ。
妙味芳醇ですね!