前回の記事、
コレを書き終わってから思ったのが、
私の神聖さは他者を傷付ける。
だから私は
自らの神聖さを認めない。
というような文言でした。
私のスピリチュアルの師の一人……
かつて世話になっていた、
私に愛と光の道を示してくれた人は、
ヒーリングとリーディングを同時に行うスピリチュアルセッションを行う人で、
その時々で必要なら、
潜在意識に刻まれてるであろう意識、
上の“文言”って書いてるやつ💡
それらをやり取りの中の断片的な情報や霊視によって読み取って、
言葉にして伝えてくれたものを
自らも復唱するような形で、
ヒーリングのワークを何度も行ってもらっていたという経験が鮮烈に残っているので、
たぶんそういうやり方を好むのだろうし、
私は、
右脳で理解して
左脳で表現する
そんな典型的なタイプなのでしょうね。
それもあってか、
極めて難解で言語化困難な概念の獲得も時間をかければある程度は可能になることが多いように思うし、
(マスタリーの概念と恩恵かなって💡)
反対に既に枠組みに納めら整えられた概念に対しては、上記のような理由で独自の学習プロセスや脳内処理を経て、
最も自分に相応しい形に再変換された後に同一の概念を意味するものとして習得可能になるだろうなので、
詰め込み教育みたいに単調だったり、
疑問などを挟み検証したり考える余地はないのに
当然のように明らかな正解とされている概念
であるほど理解が遅くなる傾向がある気がするのです。
……なんですかね、
疑問を感じるわけですよ。
果たして
それは本当だろうか?
私の中の正義心がっ、
私の中の猜疑心がっ、
私の中の直感的洞察力がっ、
何かしらの胡散臭さや行間?
みたいなものを感じ取ることがよくある気がするのですが、
まぁ外側の世界ってのは
そのようになってる物なわけで。
それに私は、
かなり言葉を正確に意図した物を使うために気を付けてる人間でもあるので、
やっぱり勘づく部分ってあるのですね。
○○でもいいよ?
○○がいいなぁ。
この2つは明確に違う物なので、
私はそのような言葉を使う人間に対面した時には確実に聞き返すことでしょう。
……なるほど、
それで君の意思は
どっちなんだい?
というようなことを、
必要なら2回でも3回でも4回でも5回でも、
必要であれば10回までは同じことを問いただし意思を確認するというようなこともやります。
……しつこいって?(笑)
そうかもしれないねぇ?💥😆
でも必要なことなんだよ。
もし本当に必要なら、
壊れた再生音声みたいに何度でも問いただすというようなこともするかもしれないね😁
それはもはや尋問なのかもしれない。
……しかし必要なら私はそうする
なぜなら必要だから。
必要というのはそういう物なんだよ。
それは理解してもしなくても変わらない。
そういう物なんだよ。
だから私の質問に明確に答えなさい。
っていうような、
たぶんかな~り圧強めな尋問みたいなことをすることもあるんだね。
全く怒ってるわけじゃないし、
全く責めてるわけでもない。
ただ少なくとも今回君は私の質問に対して明確に答える必要があるからそれを私は行っているだけだよ。
だから答えなさい。
待てと言うなら待つから。
……
ただし必ず答えてもらうよ?
………………っていう、
そこには明確に記されたり言葉にされては居ないけれど非常に強く示されている意思や考え
それが行間だと思うし、
実際に↑の
待てと言うなら待つから。
という言葉には、
必要なら待つけど
必ず答えてもらうよ?
というものを感じるでしょう?(笑)
実際に私は日常的にそういう言葉の使い方をするのですね。
いやだって、
必要とは
それ即ち神の意思!!
って感じてるからです。
だから私の生まれや役割が違えば狂信者にもなり得るわけですね┐(´∀`)┌
だって必要ってそういうことだろ?
ならすべての疑問は
無視される!!
……みたいなね、
やっぱり苛烈な所があるっぽいのよ私の元々の人格からでも😆
私は別に全く認めなかったけど、
そういう意味では非常~に正義心が強い人間なんだろうね。
その裏返しとして、
安っぽい正義感は許さない!!
という鋼の意志を持つという徹底ぶり(笑)
だからそう、
私はたぶん実はかなり人格が強くて押しも圧しも強い人間なんだと思うの。
だってホラ?
神の意思を執行する人間
=代行者でありエージェントを自称するってんだし、
あらゆるしがらみを断ち切って自由に生きる姿を示す
なんてことをするんだから、
あらゆるしがらみや制限の呪縛な鎖のすべてを引きちぎったり跡形もなく粉砕して平たくしていくだけのパワーってのも必要になるわけだからさ?
いい人優しい人だけじゃダメなのよ。
確かにそれは世間的には良い物だって見てもらえるかもしれない。
でもそれじゃ神の威光は示されない。
良いとか悪いとか、
そんな小さいことはどうでもいいんだよ。
わたしたちはそんな小さいことに囚われて縛られてるだけの存在じゃない可能性があるってことを示すってんなら、
いつかどこかでそれに自ら引っかかったり抗ったりしながらも完膚なきまでに叩き潰して無効化していくことが必要なんだから。
本来ありもしない幻想の悪夢を消し去るには、
一度はそれに自らが引っかかる形でその存在感と所在を特定した上で、
それを相応しい形で解体していく必要があるんだから。
だからこの、
一見して愚策まっしぐらで
自らの無能を垂れ流しにしているカッコ悪いやり方
に見えるコレが正解なんだよ。
コレが正しい悪夢の解き方なんだよ。
それも形の一つである以上、
認識して捉えることができたなら、
究極的に分離の幻想の一つとして取り去ることができるから。
だからコレが一番難しいんだね。
本当はソレをほどいていたはずなのに、
感覚としては
自らも完全に悪夢に絡め取られてしまって間違ったやり方をしているように感じられてしまう状態に必ずなるから。
コレは絶対に避けられない。
悪夢を、
分離の幻想を解き放てるのは
それを見る者だけなんだよ。
それを認識しない者は
そんな物があると思わないし、
それを見ない者には
全く見えないんだから☆
だからね、
必ず引っかかります。
その際には、
必ず苦悩し葛藤しているように見える自分を体験することになります。
でもそれは、
どう見てもそう見える!
ってだけの話。
実際そうってわけでもない。
でもそう見えるのは事実だし
そうにしか見えない┐(´∀`)┌
形ってそういうものなんだよ。
スピリチュアル精神世界的な物だろうが、
人間社会物質的な物だろうが、
3次元だろうが4次元だろうが、
11次元だろうが13次元だろうが、
それが個別の概念として認識することができるすべては例外無く形なんだよ。
上も下も関係ないし、
関係あったとしても形なんだよ(笑)
そして多分、
コレはどうやっても引っかかる物だし、
むしろ解き放つために引っかかってるだけだから
何の問題もないし、
それは実際に証明されるだろう。
ってことがわかったらさ?
なんかもう必要以上に悩むことも恐れることも必要なくなる。
そもそも私が最も恐れていたのが自らの神性であり、
それは真実の自己が必ず自分や誰かを傷付ける呪いのような物だと心の奥深くで信じていたから成立してただけなんだから
私の神聖さとは呪いである。
だから私は自らの神聖さを封じる。
って固く信じていた信念の、
土台とか前提が崩壊するなら、
そんな考え方は成立しなくなる👻
コレがたぶん、
望ましい資質をブロックする信念を構築しているその根底にある前提を引き抜くという
潜在意識の書き換えの技法として伝えられている物なのだとわかる。
実際やればわかるけど、
↑みたいな、
私の神聖さやあるがままの自分として存在することが必ず自らや他者を傷付けたり犠牲を強いる呪いとなる
↓
私の神聖さとは呪いである
って感じの信念が消え去るなら、
当然それを封じる理由も恐れる理由もなくなるんだし、
自らの神聖さを無意識に恐れるかどうかを完全に別とするのなら、
それを悪いものだと感じる人間はまず居ないでしょう?
そういうことなんだよ。
普通に考えられるってのはそういうことなんだね☆
だからもし普通に考えられたなら、
愛とか神なんて誰しもが手放しで喜んで受け入れて感謝するようなものなんだよ(笑)
……しかし現実はそうはならない。
それなら、
必ず恐れてるんだよ。
自らの神聖さや真の自己を。
そういうことなんよね。
それがディバインとして形而上学的な内なる神に仕えるわたしたち本来の視点。
今この瞬間に完全性を認識してない人間てのは必ず恐れてるんだし、
その自分が見る世界のすべてもまた内なる恐れに塗り潰されてるんだよ。
……もしその言葉の意味が本当にわかるようになったなら、
そんなの嫌でしょう?
どうして愛する誰かを自らの恐れによって貶め台無しにして呪いを与えてしまうような状況を黙って受け入れることができるというの?
そんなもの、
どうやっても認めるわけにはいかないでしょう?
世界がそれを正解だと言うのなら、
それを覆すしかないでしょう?
それくらい有り得ないんだよ。
愛する者には愛をあげたいでしょう?
そして愛し愛されたいでしょう?(笑)
そういうのが私みたいな人間に苛烈だろうが困難だろうが悪夢だろうが無茶苦茶だろうがその道を進ませる理由なんだよ。
つまり愛なんだね!!
いや愛でしかないもんそんなの。
愛と神。
それを恐れていないのなら否定する理由なんて何一つ無いんだよ。
自分が愛する者を否定したいと思うか?
そんなわけないだろう?
愛する者は愛したいだろう?
それが本来なんだよ。
そうして自らの神聖さのすべてが世界に犠牲を強いる呪いにすり替わるという究極的な悪夢を解くことができた私は愛の人間として再生したに違いなかったのです🌸
つまり愛とは神、
神とは愛、
GODは愛!!
(LOVEはどうだろうか?😃)
愛は愛なんよ。
恋愛とか関係なくGODなんよ。
そして私がそれ以上を理解するには、
同じだけの密度で打ち返してくれる聖なる鏡のような存在が必要だということにも気付いてる。
そう、
そこで初めて、
自分と人間的に愛を交わし高め合うパートナーの必要性ってのが現実的な可能性として出てくるんだねぇ。
そうそう、
それが聖なる愛の器の実像なんだね☆
まぁ、
私は実はかなり男であって男性でしかない部分もあるから、
反対側の物は誰かに任せたい所です。
恋愛とかは別に、
なんか特定の何か形あるものについて私の考えとして望む気はないです。
そんなものなんかより!!
今のあなたは理解できないだろうけどあなたに真に相応しい聖なるギフトはこれですよ☆
あなたの希望に合わせて、
それを忘れてしまったあなたに代わってお届けに来たんですよ☆
ってして欲しいもん!!
そんなディバインでミラキュラスでプレシャスな体験がいいんだよ私は!!
だから私はそれを差し出すのです。
やがて私は示すことでしょう。
完全に忘れてしまったあなたの願い通りに私はコレをお届けに来たのです。さぁそれを思い出して、私があなたにお願いしていた贈り物と交換して分かち合いましょう☆
って感じのやつ!!
ソレなんだよ!!
そっちなんだよ!!
私が欲しいのはそれです!!
そんなに素晴らしい物なんだから、
私以外にだってそんな神からの愛な聖なるギフトを分かち合い交換っこしたい人ならたくさんいるはずでしょう?
あなたが忘れても私は忘れていないんですからね!!
さぁ私の奥に見える自己の神聖さの記憶を鍵として真の自己を思い出して!!
私はそのためにこうしてあなたの世界に現れているんだから!!
そして私のために容易してくれた聖なるギフトを私にください!!
それを受け取るためにも私はあなたに聖なるギフトを受け取ってもらわなければならないので何としてでも思い出してもらいますからね!!
……そう、
恐らくこれこそが、
最も純粋な他者への要求なのです。
そしてそれこそが、
自分以外の他者に愛を神を示し完全な自己としての記憶を呼び覚ますための手助けを積極的に喜んで行うようになるその鍵と、
そうして自分に必要なすべてを与えることで受け取ることの真の意味、
聖性が真に聖性と呼ばれる理由なのです。
その意思や繋がりこそがサンシップ。
聖なる神の一人子としてのわたし。
それが理解できた私は
既にその道を進んでいるに違いなかった~
🍀🍀🍀
いやぁ~、
サンシップ!!
聖なる神の贈り物!!
3年以上前から漠然と理解していたソレがようやく理解できる時期になりましたね!!
これで遂に私も、
私こそがあなたの願いに答えるためにあなたの世界に現れた神の聖霊の使者なんですよ~
ってできるようになりますね!!
それなら私は祝福の神子だし、
それなら私が認識するすべての者もまた祝福の神子に違いないのです!!
なんて素晴らしい世界!!
これこそが私によってあらゆる犠牲を抱えながらもそれらを一つ一つ超えて目指されたに違いない遥かな理想の現実感!!
この私なら相応しいでしょう?
そう、
私は一度は完全に失ってしまったあらゆる神聖さの資質をついに蘇らせ愛の人として蘇聖が果たされる時期を迎えているのかもしれなかったのです🌠
それがホントかどうかはこれからの体験として確認されていくんだね。
待ちわびた愛と祝福の物語が始まるのか!?
楽しみですね~😃✨