コンシャスネスの獲得で/本当の私によって用意された唯一無二にして最高傑作な本当の物語を始めよう☆ | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

はい。

前回の記事 

このサムネほんとふざけてるなって。
真面目にやるのが嫌になっちゃったんだね┐(´∀`)┌



の一番最初でも予知されていたように、






色々と追い付いた

蘇聖が果たされたらしい



ので、

このブログのタイトルとか説明がそれらしい物に変更されました😃✨




今こうなってます。


このブログ2300件くらい書かれてるんだぜ?
まさにマスタリーの実践だよねぇ。




聖なる魔法の物語

をわたしに





……ですってよ。


こりゃあまた大きく出たもんだわね(゜Δ ゜)






っとまぁそんな感じで、


そんなことを表現できるようになるくらいにかなり大きな意識エネルギー波動的な変化を半月くらい体感していたというのは本当のことだったのでしょう💡




これはもしかしたら本当に、

この20年間の霊的な探求という物に決着が付いたということかもしれない!!




とか思い始めてるのが

今の私なのでした🍀






そしてその具体的な変化?

として、



形而上学という概念

獲得できた!




というのが非常に大きいかと。




コレによって私は、

非常~に説明しにくく感じていた、


精神世界スピリチュアルじゃない、

そしてスピリチュアリティという言葉でも表すには足りないというか違うというか……




とか感じていたモノが、

初めて明確になったのです。



特にコレの、


形而上学的な(?)


未来な過去が蘇聖されてゆく




っていう部分!!

コレを説明できないと、

私は必ず不完全なのですよ!!




コレの理解の難しい

時間のかかることったら!!



たぶん20年かかったんだよ、私は。



私はず~っとわかんなかったんだけど、



つまり、

リアル中2であった13歳半ばで中途半端な目覚めちゃった分離の悪夢的なアレが何だったのかって言えば、



聖性道だったんだよ。



あの、

オールオアナッシングな、


悪夢で灰色な絶望感に心が染まるような感覚が何だったのかと言えば、


究極の二元意識に初めて目覚めた時に味わうことになる非常に濃く深い

非実在性の闇の実感だったんだ。





だから、

私は既にその時からその道を辿り続けてきたのだし、


内なる恐れに打ち克ち正気を保ちなんとか安らぎを求めて必死に進み続けてきた……。



私の人生とは、

この20年はそういう物だったんだ。




私はそれが理解できた。

ようやく理解できたんだよ。




そしてソレは、

きっと今も続いてるし、


恐らく生涯続く物でもある、



私はそれも理解した。





……私がどのくらい本気で語り示していたのかわからない物の一つ、



マスター

の魂を持つ者としての自分、




……それはつまり、

マスターな記憶や意識

=霊的に進歩した自己意識

に目覚めるということであり、



それは必然の結果として、

霊的にも人間な経験的にもまだまだ


時間の中において

必ず未熟な存在である自分



との間に、

波動の法則的にも


不可避の波動的なズレや不調和感必ず認識させることになる。





コレが、

私が持つ、


自分が存在するだけで

感じることになる

非常な違和感!!!!?!





の正体だったのです☯️




だからコレを、

マスターとしての苦悩



とか私が呼んでいたのも本当に間違いではなかったのでしょう。




……そう、

それは“時間の中にあるズレ


だから、

それから逃れるためには、



どんなやり方でもいいからなんとかして


そのズレを無くす

ことが必要。



なのですね、

単純に波動の法則的な話としてね?





そしてその手段として私が一番多く使ってきたのがコレ。

つまり、



時間を超えて存在し認識できるマスターとしての聖なる自己意識を呼び戻す

蘇聖


を可能とするための、

現在の私の認識とのズレを取り除くための

自動書記的な方法論



としての記録なブログの活用。




それがこのブログの実像だったのです。



だからその自動書記的な、



なんかよくわからないけど

何やらこのような表現や思考が記されたり自分自身の物としてそれらを辿り追体験してゆくことが正解らしい……




というような直感な導きを実際に実践することによって、



完全で正しい理解な認識


を得られた瞬間には、



マスターな自己意識と

ズレが無くなって一致するから




あの、

存在するだけで延々と味わう謎の不快感や違和感が消え去る!!



それによって聖なる記憶や感覚が蘇る!


蘇聖が果たされる




ことで私は解放され、


マスター意識と一体化し、


真に価値ある、

真に望まれている、

真に願い望み体験するべき


聖なる記憶と祝福を思い出す




それが可能になるのです!!









私はようやく、

ようやく、

本当にようやくっ!!!!!


それが理解できたらしいのです。




だから私の探求は終わりました。

私が探し求めたものとは、




この意味不明かつ圧倒的で無視することも忘れることもできない謎の非常な苦しさや違和感から解放されたい!!



という願いを叶えて、

“存在の苦しみ”から

私を救い出してくれる力




それだったのですから。

私はソレを見つけたし、

理解したし、

取り戻し方もわかった。


それは瞬間に宿るものであり、

聖性と呼ばれるものだった。



それはとてつもなく理解しにくいけど、

私には絶対的に必要なものらしい……。



だとしたら私はそれを必ず選ぶし、

それが自然なのだとしたら、



私があの時から目覚めた内なるマスターとしての自己意識に引っ張られ引きずりまわされ導かれ育て上げられてきたというのは間違いではなかったに違いないのです。




私はコレがわかりました。



だから、

その件に関してどうすればいいのかを恐れ悩むことは無くなるでしょう。



それはとても簡単なこと、



難しそうに思えても、

やれば可能だし終わる道を進むか、


それを選ばずに存在苦を受け入れることを選ぶのか?




ただそれだけの選択なのですから。




………………しかし、

しかしだよ???




今となっては普通にわかるソレも、

13歳の実に様々な側面で間違いなく未熟なままの人間として抱えるのはあまりにも無理があるというか容赦がないというか、





無茶苦茶だなオイ……

自分を何だと思ってるんだよ!!



↑マスターですけど何か?

↑マスターだから大丈夫。

↑マスターなんだから楽しまなきゃ☆





みたいな!!!

なんかそういうソレ!!





なんかソレが全部わかった!!




だから疑問は無くなった。


やるかやらないかは自分次第だし、

ソレは今やるか後でやるかの違いだけ。





はい。

私の存在苦から逃れる方法を見つけ出すための長~い旅はそうして終わったのでした🌠





よしっ!!

っていうわけで、


永遠の時間の中に閉ざされていた可能性を内なる聖なる魔法の力によって蘇らせ解き放ち、

本当の私によって用意されていた唯一無二にして最高傑作な本当の物語なご褒美に満ちた祝福な人生を生き始めよう!!



すべての修練はこのために。



私が得たすべての力で遊び放題!!

これぞご褒美の人生!!





ここに私は蘇聖される。

今の私でもこうして正しい手順を辿ることで何度忘れてしまっても何度でも呼び覚まされ復活することができる!!



何度見失ってもすぐに思い出すのなら、

ソレは忘れていないも同じ。


やがてその一瞬が途切れず続くようになるのなら一瞬の永遠は失われることはなくなり永遠の記憶は蘇る。




❇️❇️❇️


こうして私は


・コンシャスネス

・マスターピース

・蘇聖=セリシアライズ



この3つの概念を獲得したのだった。



❇️❇️❇️


 

すべては恩寵であり、

それを正しく受け取ることができたなら、


人生のあらゆる瞬間に隠されていたかのような聖なる魔法をも感じられるようになるのかもしれない。




私はそんな魔法なら何度だって見たいし、

最高に甘美で至福な人生だって欲しい。



そしてそれはとても私に相応しい。

だって私は望むよりも先に真に必要とするすべてを与えられている祝福の神子だから。



そんな私なら、

それまでは気付くことさえできなかった可能性を見つけ出し悪夢の道の中で獲得してきた内なる神聖さを鍵として、


私が持ち得たそのすべてを受け取ることができるようになるかもしれない。





そのカギがサンシップ。


私がソレを得ることを真に望むなら、

やがて私はソレを獲得するだろう。


きっとこの段階になって初めて、

私は実像的な自分として存在することが難しくなくなってゆく。





私は探し物を見つけ出せたから、

ずっと後回しにされていたことを体験できるようになってゆくのだろう。


きっとそんな私には、

人並みで幸福な体験も増えるだろうし、



真実的な私を通してたくさんのギフトを得ることもできるようになる。





こうして私の長い孤独な旅は終わったに違いなかったのです。