そうですね~、
今日もこの時間からブログを書いていきましょうか。
鉄は熱いうちに打てと言うし、
物事ってのはジャストタイミングで形にされるからこそ聖なる流れに乗るのだし。
そうですよね~、
そうなんですよね~、
っという感じで、
今の私は思ってるんですよ、
純然たるこのブログにおける私は今このタイミングの話として、
リリーと私の関係というか状態って、
いわゆるサイレント期間が終わってからのソレなんじゃないかと。
私はもうツインレイとかツイン◯◯みたいな物について2年前くらいから全然調べていないので今の世の中のツイン事情みたいなのがどうなってるのか全然わかんないし、
外側の話としては全く興味ないです、
全く。
だってなんかもう私自身がテンプレの形からはみ出しちゃって色々と無理があるし(ヾノ・∀・`)
アレ、
実感が無ければ無数の幻想というかただの映像の一つに過ぎないですからね👻
しかしそれでも、私は思うのですよ。
コレ、
噂のサイレント期間が明けてから一緒に生きるのが始まる的なやつなんじゃないの?
って。
理由は単純、
何よりそう考えた方が楽しいし☆
なんかしら謎だったり相応の理由でお互いにそう簡単に嫌いになったりしない程度の絆みたいなのができてるのは確かだし、
人間的な視点にこだわらなければ、
実に良い関係性と状況だからです。
しかしまぁ私からすれば、
少なくとも思考レベルにおいては未解決の問題が山積みなのですね/(*゚∀゚*)\
(わかってたとしても今回はその認識が必要ということです🗝️
なのでその“ストーリー”に理解した上で意図的に乗ってみましょう👌✨)
“わかってて話に乗る”時に
必要なのは忍耐ですよ?(笑)
……
私が思う問題は、こうです。
私は自分にできるすべてに取り組んできたし全く力量不足なんて思わない。
しかし私の活動は驚くほどにツインレイのモデルでの学びの男性的な側面のソレと当てはまらないし、
私が自分にできる=必要な神聖な計画における仕事に一人で取り組んでもそれが芽吹いて根を張って(逆?)育ちきるまでにはかなりの時間がかかることは間違いないとわかる。
私のやり方は、
とても長期的かつ緻密だと言えるだろう。
そしてそれは神聖な計画に由来する物で、
それが間違いだということは無かったのだとしても、
それでもかなり時間がかかったり目に見える成果が出にくかったりしてわかりやすい変化に乏しいというのも事実なのだ。
つまり私は、
自分が思う最善の形で研究や活動を続けてきたけれど、残念ながら思ったような売上が得られたり金銭的な報酬が得られる仕事としての成果を出すことができなかったのだ、
この2年ほどの間、基本的に。
(もちろん例外はある。
でもそれも聖なるタイミングによるもの⏳️
その意味で例外はない。
私が“努力”したから成果が出るというような物ではないし、突き詰めればそれが不必要だと知ることになるばかり。
これが私が密かに抱えていた(過去形?)
リリーに対しての負い目というか敗北感のような物だったということは間違いない。
だから、
私たちは実際に今年の冬に一度明確に決別をしている。
その理由が上に書いたもの。
私は、諦めた。
成すべきことは成した。
疑う必要性が無いことも知った。
しかしそれを外側の自分ではない誰かに実感と共に理解してもらうというのは、とても難しく非現実的とさえ思えることだから。
実際にリリーも去っていった。
少なくとも私はそう理解していた。
そして私はそれを恨んではいないし、
それが必然ならそれが正解なのだろうと思っていた。
だから私は、文字通りその時が最後の交流になることを悟って悔いのないように言葉を伝えたわけです。
自分と相手が相互理解を得ずに別々の道を進むことが正解と知った時、
他に何を伝えることが
許されるというのか?
それを邪魔することはできないし、
だから弁明することもできないし、
もし必然なら何をしてもその流れを止めることはできないのだし、
有りもしない可能性を望むことこそが喪失と失望を選ぶことだと既に私は知っているのだから。
それは愛ではないのだから。
だからそう、
“いつしか”わかってもらえたら嬉しいなって思いながら、伝えるべきではないことは伝えずに、それでも想いを偽らず隠さずに伝えていくことこそが誠実さであり愛だと、
私はそう信じてる。
だって私が真に望むパートナーって、
無調整の実際に現実として現れるあるがままの自分として存在した時に、
不思議と同じ方向を見て同じ速度で同じ温度で進める誰かという奇跡のようなものだけだから。
私は決してそれを諦めないし妥協しない。
だからそうじゃないならそれでいい。
それを誰かに押し付けようとはもう思っていないのだし、
既にそれは決まっているのだから。
だから私は、それを変えない。
私が真に願い望む可能性を現実にしてゆくことができる可能性があるのはその意思と道だけだから。
その途中に別れがあるのならそれも必然。
今の私はもう嫌いになったり憎んだりしなくても別れていいって、
愛するからこそ別れを認め受け入れ差し出していいって、
それこそが愛だって知ってるから。
私はそれを知っている。
だからその理解を求めなくてもいい。
それに全く悲しさを感じないなんてことは無いとしても、自らが知る愛を偽ったり偽らせてしまうことよりはマシだから。
誤解が必然なら、
それでいい。
私は世界を自分の手で作り替えようなんてもう思っていないから。
ってわけで今日もこんな話を(笑)
いやだって私も本当にわけわかんないんだもん(ヾノ・∀・`)
私たちの関係性も謎だらけだし、
それはツインフレイムなんてそれらしい名前を付けたからって納得できるような安いもんでもないし?
そう、
だから私は実際にリリーを試しているのかもしれないのですね。
だって私の本命がそれだし、
妥協する気ないし、
道を誤ることもないし。
そもそも別にリリーを特別に試してるわけじゃなくて、私はたぶん延々と確認してるんですよ。
それは識別と言ってもいい❇️
自分が受け取ってるインスピレーションやビジョンや直感てのは目の前の現実に一致しているのかどうか?
たぶん私はそれをすごく冷徹に見定めてる人間なのです。もちろん自他の境界なく👁️
ごめんね、
自分が冷徹な人間だって自覚はあるからそういう風に反応する人に特に訂正してあげないんだよ(*ノ・∀・`)
このちょっと前までは
リリーもこんな感じだったのにねっ!
残念だったね私。
共同するためにはまだまだ課題や問題が残ってたんだね💥/(*゚∀゚*)\💥
だから、別に。
理解されなくても構わないし、
理解されたら不思議に思うんだろうよ(笑)
そういうのが私の学びだった。
おかげで贖罪も一応済んだし、
赦しもよくわかるようになった。
かなり“誘惑”にも惑わなくなった。
私は自身がせっかちなキャラクターを持っている人間だからわかる。
今はこれが正解。
曖昧で明らかにならなくてなんとかしたいって感じられたりしてもそれが正解。
物事ってのは非常に緻密に演出や出番まで仕組まれてる舞台みたいなもんだし、
それをわかった上でその役回りから外れずに演じきることでその流れの意図や真のストーリーを知ることができるという価値もちゃんとあるから👌✨
それはかなり玄人向けだから、
自分と同じように理解した上で脚本に沿って演じてる優秀な演者にしかわかってもらえないのだとしても、
そうやって演じる面白さだってある。
実際に、
自分であれこれ考えなくても結果的に実に十分に最善の流れに乗り続けていると気付くのなら自分で思う限られた認識でのベストなんかよりも、
もっと大きな可能性を見せてくれるストーリーに乗った方が満足度の高い人生だって感じられるようになる👌✨
そんな最果ての人生を選べる可能性があるのならそっちを選んだ方がいいんじゃない?
それに私はぜひそういう理解を分かち合える仲間が増えて欲しいし☆
ってわけで私たちは十分にサイレント期間が終わるだけの学びを得ているのだろう。
そうでなければ、明日や今日にでも非常な違和感を味わって関わっていられなくなる。
私はなんかもうどっちでもいいと言うか、
別に形ある現実って好き勝手に選べるようなもんじゃない
って知ってるから、
そこはお任せでヽ(*´∀`*)ノ🌠
神のみぞ知るってやつだし、
理解した上で任せるとまぁなかなか壮大だったり大冒険なストーリーとかが体験できたりするのですね👸🌸
常に選べるのは、
自分は何を望むか?
どうであって欲しいのか?
そういう意思の話だから。
私は有りもしない救いに手を伸ばさない。
だから一時の痛みと知って不要であるはずの物を時に失い手放してゆくことを許す。
それが今の私には十分に起こり得るような体験だと思うし、
だからってそれを最悪とか呪ったり嘆いたりしなきゃいけないわけじゃないってことくらい知ってるから❇️
別に見た目や状況がどんなに最悪と思いなさいと強要してきてるようにさえ思えるような状況に置かれても、
だからって別に心まで捧げなくていい。
もし仮に、
「すべて私が悪いです。」
という言葉を口にして謝罪を済ませなければならない宿命があったとしても、だからってずっと罪人として生きなきゃいけないわけじゃないんだから。
それが形として必然なら、やる。
だからって別に最悪だと思わなくていいし
どれだけ失望するべき状況に思えるからって必ずしも絶望しなくていい。
形は形なんだよ。
それはそれとして正解なんだよ。
形を見るなら聖なる道は信じられないほどたくさんの物が奪われてゆく地獄のような世界に初めは見えるのかもしれない。
それでも、形を超えて生きる術はある。
もし真に降伏するしかないような人生状況があったならいっそのこと手を離してみてはどうだろうか。
形の世界に救いがないのなら、
形を超えて生きることを知ればいい。
それしか道がない者にはこの上ない救いとなるのだろうし、
それはそれで非常に面白い人生だから(笑)
そう、
私はこういう人間。
全く理解されないというわけじゃないし、
全く現世御利益的な成果が出ないといえわけでもない。
ただ時間がかかるし、
私はその道を変えない。
強いて言うなら、
それが私の限界。
私は偉大なる創始者になれるかもしれないけれど、それが理解され伝わらなければ意味は無いものに近い。
だから私はそこら辺でリリーを実際に頼ることになってる。
私にはわからない。
かつてのようにある瞬間に誤解や不調和が生じて関係が途切れるのか、
多くの誤解や勘違いによって鍛え磨き上げられた頑丈な繋がりとして揺るぎ無い物へと進化し続けてゆくのか。
私にはわからない。
そもそも私は思考レベルではこの人生に悔いや無念さばかりを感じている節の方が強いのだから、
わかるわけない(ヾノ・∀・`)
それでも私は理解する。
理解できないままに現実は現れるのだと。
そう、だから思うんだよ。
……もしかしてコレが噂のサイレント期間が終わって~~~の時期なのでは???
って(笑)
どうせなら楽しまないとだし、
聖なる流れ以外で誰ともどの瞬間にも縁が結ばれることなんて有り得ないんだから安心して自らの本命に生きていきましょ☆
きっと私自身が謎なように、
私もリリーが何者かわからない。
だって私を理解できるんだぜ?
前例が無いんだよ。全然わからん。
私だって思考としては年齢時期経験相応の人間な自分なんだから、
全然同じようなカードで勝負していないにしたって同じルールで勝負してるんだよ。
……時間を越えたビジョンや直感が多くあったって順序とか流れがわかんなきゃ混乱するだけなんだぜ?
しかもそれが目の前の現実と大きくズレてたらその2つのリアリティーの中で自分が擦りきれないようにするのに手一杯になる┐(´∀`)┌
つまりアレだよ、
今進む話はここまで。
今回の講義はここまで。
また来てね!
ってのが目の前の現実なわけです。
先にわかっちゃう系になったらそれはソレで工夫とか必要なんだよ~。
そしてそれは
教えることで学ぶこと、
与えることで受け取ること、
自分が何者かを選択すること、
そういう“示す”っていうマスターとしての道と役割に密接にくっついてるんだよ。
くっついてるの。
……私もうこの話アタマ疲れた(*´ Δ`* )
もう終わりでいいよね?
……
そうして私はストーリー展開に乗ってよくわからないままにこの記事を書いた。
だから私はこれをよくわからないもののままにしておこうと思った。
つまりそれがノージャッジ!!
どうせ正しく認識できてないってわかる時は判断を放棄するのも賢いんだよ😁✨
私はそういう実際的な聖なる流れとかを理解した上での望ましい人間としての立ち回りとかを解説したいなぁ~って☆
だってそれが私の知りたいことだし教えてもらいたいことだったから、
だから私はこうやって自分に教え与えることにしているのです。
その時に観客とか鏡があるとわかりやすいでしょう?
私が読者を鏡としてるように読者もまた私を自らの鏡としてるってことですね👌❇️
自分が思う正解を捨てた時に初めてそれ以外の素晴らしい可能性を見られるって気付いたら判断に飛び付くことをこらえることができるかしら?
👸
……読者の代わりに私が書くぜ?
コレなんの話なの?
コレ本題から外れてないの?
どゆことなの???
結論から言って本題から外れてない。
でも最近の流れはぶったぎってるのも間違いない。
ほらアレよ、
謎は謎のままにしておくとしかるべきタイミングで答えがわかるから楽しみは後にとっておくという生き方もあるんだよ🍀