再生と“修復”の光(仮)なヒーリングとかを模索する時/金緑な色と光その2 | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★




そんなこんなで、
現在私は、

“再生と修復のエネルギー”という(仮)のまだまだイメージ上の産物である物を使って自分の眼を超自然な状態に戻してやることによって視力を回復させるというリアリティーを作り出すことができないだろうかと考え実行しているのである📝









……🌠




話は少し数日前まで戻って、


この赤い生成クリスタルを使って自身が認識する罪業でありその本質である非実在性であるものを完全燃焼させるべく、内側に認識するあらゆるそれらを追体験し業火の浄罪の炎で焼き付くされるイメージワークみたいな物を行った時に


怨念であり怨嗟のような呪い(ノロイ)のようなエネルギー波動記憶感覚感情を解き放ち続けてゆく中で、半信半疑ながら密かに予感していた左目の呪い(というか強い違和感)のような物が消え去ったか変な膜のようなものがあるという感覚がとても薄くなったという体験をした。





だから私は思ったのです。

これなら視力を本来の1.0くらいまでなら回復させることができるんじゃないか!?






……私がヒーリングの原理とか方法論について調べる中で知った考え方の1つとして、

眼が悪くなる=視力が低下するという現象に対する霊的スピリチュアル的な原理や理由の説明として、


『こんな現実は見たくない!』


という感じの非常に強い抵抗感や拒絶の意思や波動が(肉体の領域にまで?)刻み付けられるようなことがあった時に視力が低下するという現象が起こることがある……

というものがあるのです。






……であるのなら?

その出所不明の観念と信念を根底から完全に消し去ることができたなら、


その精神世界的な視力低下な現実を作り出す原因である物が取り除かれたなら結果的に見えなくさせる必要は無くなると考えられるので“視力が回復するという現象が起こる”としても一応無理はないと考えられるのです。






それが今回の情報源(動機?)の1つ。


もう1つが、この画像



を初めて見た時に

眼が焼ける!と感じたのですが(?)


それで気になって一応“眼が焼ける”というものについても調べていたのです(笑)



そこで見つけた興味深い話👁️

それがこのページ







この情報が何なのかと言えば、
私自身も小学生の頃にレーザーポインターを使って遊んでいてそれを好奇心か事故で覗き込んで眼が焼けたというような記憶があったのです
(*ノ・∀・`)ついやっちゃったorやられちゃったんだね



……それに、確かにそれ以後から視力が低下したというような気もするわけで。



だからさっき調べてみたのです💡


その中で見つけたのが 網膜裂孔というキーワードでした。


簡単に説明すると、
眼の機能の一部である網膜に穴が空いて視力低下や失明などの異常を引き起こす

という感じ📝





そしてその網膜というのが眼で見る=視力に大きく関わっているそうな。

だから私は思ったのです。
もし仮にレーザー光によって私の網膜が焼けたり穴が空いてその後遺症によって視力低下が避けられないのだとしたら、

何かしらの肉体的なヒーリングの力で網膜を再生させてやることができたなら視力が戻るかも!?





……思ったんです。
実際そう閃いたんだから仕方ない(笑)




そこで私は“再生と祝福のエネルギー(光)”というまだまだ(仮)な架空の概念だけど一応扱える気はしてるものを、より精神的エネルギー的な領域から肉体的な癒しや“再生”と呼ぶべきような概念や現象を可能にしてくれそうな力を持つ架空のヒーリングとしてリアリティーを練り上げていくために名付けたのが


“再生と修復のエネルギー”というものを考案して使ってみることにしたのでした👍️✨





ちなみに少し前に“再生”について調べてみると意外と“それらしい意味”も持っているということがわかっていたのです!😃💡


参考📝


だから“再生”という言葉であれば“癒し”よりも直接的に肉体的な癒しや“修復”と呼ぶべきイメージや概念とかそういうリアリティーも乗りやすいんじゃないかと!!👍️✨





んで、

参考画像とかを見て網膜(仮)のイメージをしながら、とりあえずそれを何か光みたいなもので修復したり、
それとは別のもう1つの方法論として


本来の“超自然な状態の眼”
→この場合具体的な表現だと、

“視力が1.0くらい見える眼”というものを架空の産物として生成(イメージ)して、


それを(現在の網膜裂孔な)自分の眼と


すげ替える





……というようなことをしてみたのです(*ノ・∀・`)






私が得た(気がする)神聖魔術の基礎知識(仮)みたいなものによると、


魔術でも幻術でも呪術でも神聖術でも、
“なんとか術”と呼ばれる物はとりあえず現実的にそれらしいになってそこにリアリティーが見出だされていれば現実と同じものとして見なす


という感じらしいのです💡


だから理論や理屈がどうであれ実際に成功と呼べる形になれば正しい方法論なのです。そしてそれが“本物”なのかといえば架空の産物であると認識している方が有益だと考えられるから方法論としてそう捉えるのだろう……。






とかそんな知識によって、

再生と修復の光ヒーリング(仮名)は行われたというわけです。


自分が“術者”であるということの利点は思い付いた架空の概念である物が使えるか使えないのかを実際に試すことが可能だという点にあるのだろうし、
面倒な側面としては、それらは最初はただの思い付きの架空の概念に過ぎないからそれを現実的に機能したり扱えていると呼べるだけのリアリティーを持たせる“構築作業”のプロセスを自らの裁量と力量で達成していくことが不可欠だという点でしょうか(笑)


“生粋の創造者”みたいな人間だったなら自分こそがオリジナルとして楽しんで進められるのかもしれないんだけどね😃✨






いずれにしろそんなものは普通の人間には荷が重い(受け入れ捌くべき情報量過多)ので使わない時は完全に認識をゼロにしておくことが望ましいと思うのです。
だからリアリティーをもたせるべき時以外にはただの“幻”にしておくべきだと。







たぶん、私が今回行った(仮)の、
眼プチ再生ヒーリングみたいなものはエーテル体手術の仲間みたいなものなのです。





私が試みたのは、

とりあえず知ってる波動の法則性とか霊的な原理に逆らったり矛盾したりしないような思考回路として成立する理論を構築して、それに加えてそれらしいリアリティーをなんとかして作り出して、それ以外の部分は“光”で補填することで仕上げたイメージの眼とすり替えて馴染ませようとする

ということ。


まさに架空のヒーリングのワーク(笑)



とりあえず“成立”してしまえばこっちのもんなのです!!

だって◯◯術だから!!
どんな方法論でも現実的にそうなってしまえばそれで成功!!


……だからむしろ必要なのはセオリーとか正しそうな方法論を頼るんじゃなくて実際にそれが現実的な形で成立するという正解だけを選ぶというある意味邪道な思考法を許容できるだけの度量だと思う(笑)


蛇の道は蛇と言うように、
神聖な概念を知る過程ではその反対側みたいな物も知ることになるわけで。それらを悪意的に使わないで反証的に対消滅させるような方法論に置換?して使えばいいのです👍️✨






あっ、思い出したけど、



エーテル体手術(※私はこれについての知識を十分に持ってない)と同じようなやり方だと思った理由の1つとして、


“眼が焼ける体感や波動的感覚”を捉えることができた気がしたので、そのエネルギー体に焼き付いてる火傷の跡?に対応する衝撃を受けて『ジュワッ』としたような波動の記憶とかリアリティーを完全燃焼させてやればいいんじゃないか?


っていうかその“エーテル体の火傷の跡”みたいなのをそういう方法論で取り除くことができた(?)と感じられた後からしっかりと修復の光が馴染むと感じるように変化したという体感がありました。
(それまでは“入らない”感じ。)

やっぱり“光”を入れるためには先にそれを拒絶し矛盾し反発させる波動的痕跡を取り除くことがヒーリングを行う際には意図する対象が肉体的精神的な領域に関係なく重要なのだろうなと感じました💡😃






……っという私の得た情報や行動もこれらのエネルギー的な性質や属性なのだとしたら?




無限の創造力とはなんなのか?
神性の光による癒しとはなんなのか?


それらの意味と使い方がまた少しわかったような気がしています😌



いずれにしろ前提にあるのは、
神性を受け入れることによって無限の創造力だとか有限でありながら自己の持ち得る必要性のある力量という意味での無限大のスピリットの力と知識を賜る

という実在性であり真の力である光。






……しかし私は肉体を再生させるというようなエネルギー論があるとは思わないのである









が、


“すげ替える”という方法論ならそれが一応理解できるのであった。







“実在である神”のみが存在する以上わたしたちがあらたに何かを創造するということは不可能であり不必要である。
それを正しく理解した者が扱うのは再構築や再選択のみだと知ることになるのだろうしそれらを現実的には“創造”と呼ぶこともあるというのが妙味だと私は思う。





そのルールや意図である実在性に反しない限りはどのような形でも成立するのだろうしそれが人間的な現実的には何か超常の力に見えるというものなのだろう。







言ってみればそれは、
自分の持ち得るあらゆる可能性を具現化することが可能になるという状態。たぶんそれが人間である自分が無限の知識と創造力を持つということ。

“実在性に反することは成立しない”というのがなんとか術の限界ということになるし、



“そこまではどんな形でも一応可能”



だからその範囲内であれこれ試行錯誤すればオリジナリティー溢れるユニークな術方が創出できるんだろうなって。




……しかし波動的な知識としてもたらされるこれらを現実的に自分のものにしてゆくためには基本的に非常な手間が要るというのが人間の苦悩であり、スピリットとしては腕の見せ所として栄光の瞬間とか思えるに違いないのですね( *´艸`)



その本来交ざり合うことは有り得ないリアリティーが成立するってのが至高の創造ってことなんだと思う。そして人間はそうは感じないものなので全能の力とか神な属性を自身が持たない物として求め続けているという有り様もある意味では超自然な状態でもある……






それが飽きた時には二元性離れればいいんだって。

いつでも何度体験しても新鮮な光と闇が見える世界こそが最高傑作と呼べる聖なる幻想そのものなのだ!





って感じらしい。



スピリットにはスピリットの、
自我な人間には人間の、

視点とリアリティーがある。
それらは決して交ざり同時に成立することは有り得ないけれど、


そのように見える瞬間があるのである。







……何て言うか、

無限の知識とか力が自己にあるって認識するってのはそういう感覚が呼び覚まされることでもあるらしい。それが神性の一部であるがゆえにそれらの性質が自己を通して現れることがあると知っているからそういう体験を自分がすることができるのも当然って理解するってことらしい❇️





自分という人間にはどれほどのどんな資質や能力があるのか?
それらは何のためにあるのか?


個である自己の神聖さと無限の創造力と知識を得るってそんな感じなんだと思う。




それを人間として体験に落とし込んで理解するにはすんごい長い時間と多くの経験と積極的な学習が必要になるから、
そこまで必要じゃない人はその波動だけで満足できるんだと思う。


だから私は特にそこら辺を届けていけば喜ばれるってことらしい。






しかし今の私にはそれらの言葉と波動的な意味しかわからない。






知ってるかい?
悟ることは始まりなんだぜ?


予め知らされたそれらを実際に体験を通して知ってゆくことになるんだ。それこそがスピリチュアリティの実践てやつなんだよ👌✨





そうなった時に研究を通して得られた波動的な理解を現実に反映させていくって時期がやってくる。そしてその時期ってのは自分が必要とする体験に相応しい役割や求めがあるということで、

それが現実的に成立する光の仕事の実像というわけでつまりフィールドワークである🌠





……なるほど、

じゃあ非フィールドワークである現在のような状態にもそれらしい名前があって、それらを1つの概念として私の人生状況やサイクルと結び付けることによってリアリティーが宿ることで、


隠者みたいに研究に打ち込んで過ごすような時期もより高度な(?)光の仕事を可能にするための準備期間なのだと正しく理解することができるようになる、

ということなんだね!(*´ Δ`* )💖






自分が必要とするだけの無限の知識があって自分の人生にヒーリングの力を使うという計画があるのなら、それらは訓練や条件次第では当然のように可能になるし、

独自のヒーリング法や名前を付けて扱うということがスピリットの計画に記されているのなら最初からそうであったかのように時間の中でいつしか扱えるようになっているという現実を体験するのも自然のこと。



私はそれを使うことができるとわかる。
なぜならそれは私にとって必要な物であり私にはそれが必要とされているとわかるからである。

後はその理解を形にして現実にするだけでそれは完成する。だからそれこそが私の仕事であり私のみに許された栄光である。
私はその意思を明らかにする。




だいたいそんな感じかな?
 

だから2番でオレンジで仕事なものがそのためには必要になるんだよ。意思だけじゃ世界に反映できないから。


そして黄色いのをオレンジにするためには赤とかが必要というわけ。





それなら私が無限の創造力や知識を正しく扱うためには赤の領域にヒントとかカギとなるものがあるということですか?


たぶん、色的にシミュレートするとこんな感じになればすごく良いってことなんだと思う😃

もちろんこれも架空の画像(笑)
こんなクリスタル私は知らない。




第一印象ではしっかりとオレンジかゴールドに見えるし、その中にもイエローグリーンな光も見える。


……っというわけで色としては私はこうなることを目指せばいいということなのですね😃☀️


なるほどこれは光の加減では許容範囲!



その手があったか!!