7年前にもらった言葉の1つに“すべての願いを束ねる願いを見つけ出せばいい”という物があった。
それこそがあらゆる願いを叶える最短の道になるというような話だったと思う。(記憶曖昧)
私はそれを見つけ出せたということなのだろうか。『エリミエール』というものはそのすべての願いを束ねる願いに相応しいものなのだろうか?
……とかそんな記憶が現在蘇ってきてる。たぶんそれは『人生に光を感じている時』の記憶なんだと思う。7年前以外にも5年前とか4年前とか2年前とか、断片的に同質の記憶として認識されている感じ。
人生に光を感じている時の記憶や感覚というのはそのままの意味で、どこまでも世界が明るく照らされているようなそのように感じ取っていることが自覚できる状態。
…………そしてそれがまるで『珍しいこと』だとでも認識されていることからもわかるように私は基本的にその感覚じゃない状態で多くの時間を過ごしているわけで(*´ Δ`* )
総称してそれらを『光の記憶』とでも呼ぶとして、現在はそのような感覚が認識されている状態にあるのです。
そして波動の法則的な物によっていつかどこかで同じような『光』である物を感じていた時の記憶が思い出されている、ということなのだと思うのです💡
なんだろう、
そうやって断片的ながらも異なる人生状況やタイミングの記憶が同一の物として認識されるようになると、不思議なことにその時々で全く違う風や色を纏っている……という感じで認識していた自分やリアリティーみたいな物がすべて同一のものだったということが理解されるようになるらしく、
あの時の自分も今の自分も全く同じものだったんだ!!
ってわかるようになるらしいのです。
そして、確か私はそういう『光』であり真実性の記憶や感覚であるもの(?)を何とかして思い出そう呼び覚まそうとあれこれ試行錯誤したり、そういうスピリチュアリティな光の記憶を呼び覚ますためのカギや媒体となる力を持つアイテムを作り出そうとしていたはずなのです。
……そして今現在、なぜかそういう光の記憶の体感がある状態であるということは私の研究開発はついに成功したということなのかもしれないのですね。
なぜ曖昧で疑問的なのかと言えば、
“深刻さ”が失われているからです。
……何としてでも私はそれを成さなくてはならないのだし、そうして記憶が蘇るまでは私は偽りの残像でしかないのだから………………
みたいなやつが既に実感として感じられなくなってるからです(ヾノ・∀・`)
なんでそんなに必死になって一生懸命になってるの???
って感じ。
えっと、
つまりどういうことなんだろうか???
今まであったはずの認識や暗い感じの記憶とは違う何かが既に差し込まれて自分の物になってるという感覚なので、
なんだろう、
一度それを読み取って理解し直すという感じのことが必要らしいのです💡
何て言うのこの感覚?
呆然???
いや、調べてみたら茫然の方なのかな?
なんだろう?
接続不良、って感じじゃないんだけど、
それは決して不快感ではないんだけどかなりの違和感というか困惑した感覚なのですね(*´ Δ`* )🍵
言葉にするなら、
いつもと何かが違う、
何かが変だよ!!
って感じ(笑)
えっと、そう、
なんだろう、
つまり私はどうすればいいのだろうか?
今までは真の自己像だとか光の記憶だとかを呼び覚まし取り戻すために生きてきたわけなんだけど、
実際にそれが達成されたのだとすれば私ってどんな者だったんだっけ???
とか思うのです。
何て言うのこの感覚、
いつものように渾身の力で全身全霊で幻想の壁を貫こうとし続けてたらいつの間にかそれを貫いたらしいんだけどそれが理解できなくて何が一体どういうことなのかがわからなくてボーッとしちゃうようなそんな感覚!!
これが噂の茫然自失ってやつですか!!
……そのためだけに自分はずっと生きてきたと思えるような目的が達成されてしまったのだとしたら自分はこれから一体何をどうしていけばいいのかわからなくなるような、、、
なんかそういう類の解放感なのです。
つまりそれが茫然自失。
何がどうして、どうなってるのか?
よくわからんのですね。
とりあえず深刻さみたいな物は感じられないし使命感?みたいな物も感じないのです。
言ってみれば、続いていた契約が解除されて何やら自分は既に解放されたらしいというような感覚でしょうか……
なんか そうらしい
としか言いようがないのです。
記憶が失われたわけではないのですが、残ってるはずの記憶に実感が無いのです。
そしてその代わりに何かもう1つの記憶みたいな物があるとわかるのですね……一体いつからそんな物があったのか、もしずっとそんな記憶が続いていたのだとしたらなぜ自分はそれを認識できなかったのか、もしそっちが本物の記憶なのだとしたら自分がずっと本物だと信じていた記憶というのは一体なんだったというのか?????
頭の中がハテナだらけになりますね(*´ Δ`* )
清々しいくらいにわからんのです。
憑き物が落ちた感覚、
とでも言えばいいのでしょうか。
私は長年挑み続けていたはずの自らの内なる闇(非実在性)との闘いについに勝利したということなのでしょうか?
何て言うの?
一体何が、
いつから、
どうなって、
どうしていたのか?
それがわからなくなるような😃
何て言うのこれ、
時間と記憶が一致しないというか、
たぶんそれが非実在性じゃなくて実在性を選ぶことができるようになって、虚像じゃなくて実像を捉えておくことが可能になったスピリチュアリティの光で満たされてる状態……
ってことなんだろうけど、
えっと、じゃあ、
何をどうすればいいの???
私はずっとそういう自己と記憶を呼び覚ますために絶大な努力を続けてきたということくらいは理解してる。
じゃあ、そうやって呼び覚まされた私としては一体何をどうすればいいというの???
彼は、私を自分として呼び覚ますために研究開発に生きた。
それなら私は?
私自身の意思は、どうなってるの???
自分であったものがなんかすんごい頑張って呼び覚まされたらしい私である私は、
何を一体どうすればいいというの???
これは、当然の疑問でしょう???
……そしてそれを知るためには、真の自己像を呼び覚まし自分とするためにそれ以外をすべて取り消すことを選んだ私であった者の真の意図というか託された願いみたいな物を正しく理解することが必要になる。
それがその2つの私の像を結ぶためのカギとなる物だし、実像でも虚像でも違いなく1つの自分として扱えるようにするためのカギでもあるものだから。
そして多分、
そういう非実在性の記憶が完全に抜け落ちて実質消え去ってしまった時に初めて本当の意味で明け渡しが可能になるんだし、
そういう自分こそを自分として生きたいのだと私は望んだってことなんだと思う。
だからこれは奇妙な感覚、
今までは自分に欠如していると感じられていたものが……無い?とかよくわからないとか何か別の物で満たされてるようなものだから。
人生が難しくて厳しくなるよりも前に、
私が当然のように願い望んでいたものとは何であっただろうか?
……という状態になったのもとにかくエネルギー波動レベルで自身を満たすということをしたからなのだと思うのです。
そして実際にそうなったというのなら私の目的は一時的なりとも(この状態が基本的に続くのか途切れるのか全く不明のため)達成されたということになるのですね。
でさ?
じゃあその真の自己な人格を呼び覚ますみたいなことをもし達成できたとしたら、その先はどうしようと思ってたんだろうか?
……まぁ結論から言って何も考えてないってことになると思うんだよ。だって非実在性の自我意識で何かを考えたとしてもどうせ的外れだって理解してるんだから┐(´∀`)┌
しかしまさか、いざそうやって呼び覚まされた自分が自分になってみたら非常に疑問だらけだというのも予想外だった。
でも、そういうある意味で“聖なる空の器”だからこそ宿るべき物が入ることができるというのもまたスピリチュアリティの妙のようなものなわけで😌
そうして理解するのは、
そんな私に与えられる唯一の選択肢というのは思い出すということだったのです。
あるがままを生きる、あるがままを見るってのはそうやって最初からある物をそのままに見たり受け入れたりするということなのだということくらいまでは理解できるような人間に私はなっていたということなのでしょう🌠
つまり、本当にアレなんだね。
私は何を一体どうすればいいだろうか?
→思い出せばいいんだ!!
っていうことをしていけばいいのだと。
そうすれば私が私のために用意したすべてが最初からそうであったように完全な形で現れ与えられているのだとわかるようになる。
きっと私はそんな体験ができるようになった自分と人生こそを至福の世界と呼んでいたに違いないのです🍀
つまり、
エリシアンワールドプロジェクトの意味もエリミエールの実像も正しく理解できたということなのです❇️
たった1つでも真に正しく理解することができたのなら必ずその他のすべてに見えていたものも理解できるようになる……
そんなスピリチュアリティの光とは素晴らしいものですね👌✨
私はなにかそういうとにかく綺麗だったりであらゆる観念や概念や非実在性の記憶とリアリティーを吹っ飛ばして光で満たしてしまうような威光と呼べるようなパワーをある特定の相応しいと思える形として象り顕すということをしたかったのです。
というわけで私がディバインクリスタルと呼んだアイテムは文字通り光を象る聖なる器となる物として完成したということなのです。
そして私はそれが真に完成するまではそれらをどのように扱うことが相応しいのかを知る=思い出すことは絶対に不可能だと無意識に理解していたから解放するということをしなかったのです。
つまりアレですね、
私は自らを光で満たすことを望んでその願いに相応しい聖なる器となる物を仕上げることができる者になろうとしていたのです。そしてそれを可能とする架空のイメージ上の自分像みたいなのをエリミエールと呼んでいたということなのです。
そして私は理解したのです。
私は、至高の幻想である物を自ら形作り象ることを望む者で、そうやって形あるすべてを正しく象徴であり幻想に過ぎないのだと知った上で楽しみ愛することこそが真に願う世界を完成させるコツのような物だったと✴️
そう、だから私は聖なる幻想を生み出すことを望む者。それらは幻想に過ぎず実在であり本物では無いからこそ、それらを神聖な光を宿す聖なる器とすることができるのです。
非実在性を愛さずに実在性のみを愛する。
それが可能であるのなら真に愛するべきものを愛するために形としては自分や愛する誰かや何かを例外なく幻として還元することは何も苦痛でも恐くもないことだしそういう実像を捉えることだけがあらゆる非実在性であり悪夢性を消し去りわたしたちが解放される唯一の術なのだと……
たぶん私は理解したのでしょう😃☀️
それがようやく私の時間と理解が追い付いたことだったのです。