『人には内心の自由がある』
もしかしたらそれは私には考えることのできない物だったのかもしれない。なぜなら私は、自分自身を偽らずに生きるという在り方を示すことによって、誰よりも自分自身に認めさせる必要があったから。
そんなことを思いながら私は少しずつ、
パワーストーンやらクリスタルやらを組み合わせて意図したエネルギーを持つオルゴナイトを作ることで現在の自分に必要であろう癒しのエネルギーを取り入れるという方法をいつからか採用するようになっていたらしい。
『この力を癒しのためには使わない』とか無意識のレベルでは思いながらも、癒しの力を必要としていたことは間違いなく、
苦肉の策として、そのようなエネルギーを直接的にヒーリングの力としては使わずに、自らの外側にある物として分離させることによって
『いえいえ私は癒しのために自らの力を使ってはいません』
= 私はヒーリングをしてはいない!
……ってことにしてたんだと思います。
まぁそれが誓約という物であり、
そのルールから外れなければ割となんでも良いのですね(笑)
というわけで今回作ったのがこれ。
素材の一部が置いてあるように、
これは黒色で、100均の黒いUVレジンなやつを使ったのです。
……しかしやっぱり薄い。やっぱり塗料欲しい。
薄くてイメージと違うので、
とりあえず手近にあった紫を縁塗り?みたいにしたのですね😃
背景が白いとわかりやすい。
なるほど、こういうイメージだったのか💡
そしてこれは
『天上の加護は地上にもありて』
というインスピレーションを感じる物なのです。
そのようなことを思うのにはそれなりに理由とかあるのでしょうけれど、
それを書くのはとてもめんどい(今は)なので(笑)
『自立と境界線』の必要性を理解した私は、
必然として『自分自身を守る』という概念を理解することになったのです。
……私は常々疑問に思っていたのです。
癒しだとか『プロテクション』だとか言うのは、
そのような物を必要とする分離の幻想の枠組みの中に自分を置いているからであって、そこから外れたらそのような物は必要としない。
よってそれらは不要である!
って感じのことを(笑)
しかしながら、
『自立』と『調和』を実現するためには、
明確に『自分と他者が存在する世界』という枠組みが必要であり、
そしてそれを実現するためには、
まず先に自分の内側で調和を達成しなくてはならないというロジックが成立するということを直感したのです。
そしてそのためには『自分と他者』が存在するという『分離の幻想の枠組みの中』で、
まずは自分自身の内側を調和させなければならず
そのためには自分自身を守り、満たすという所から始めなくてはならない………………
ヒーラーというのは因果なもので、
他者への癒しを行うためには、
癒すことができる自分自身を保つことが必要になるのです。
……本当に。
だから『ヒーラーとかになりたくはない』とか感じたりするわけで。
だってそれをするには癒す者と癒される者に別れなきゃならないから。
……本当は上も下もない世界で、
そんなことをするのは滑稽以外の何物でもないと、
そのように感じてしまうのはきっと私だけではないと思うのですね🍀
そして私はそのような感覚を当然のように持つ人間なので、そのロジックを覆すことができない限りは『そんなものは滑稽だ。』という立場を崩すことができないのですね。
それこそが私がヒーリングだとか癒しだとかいう概念を他者に向けたくないと感じる根底にある物だったのかもしれません
が、
本当に正しく『分離の幻想』という物の性質を理解しているのだとしたら、
別に、幻想なんだし、
好きにやればいいんじゃないの?
ヒーリングとか、
癒しとか、
やりたければやればいいし、
自分がやりたくなければ、
やらなければいいだけでしょう?
そしてどうしてそれを他者に求める必要があるというの?
それこそまさに滑稽そのものなのだし、
ただの笑い話にしかならないでしょう?(笑)
……という言葉をわざわざ『自分ではない誰か』に伝えさせなくても気付いているはずなんだ。
そしてそれができてないというのなら、
私は『それ』を未だに越えたことは一度もないということになるし、
それは未習得の学びだということでもある。
だから私はそれがとてもとても深刻な物に感じられるし、そんな深刻な想いを抱えたままでいるのは非常に具合が悪い(苦笑)
……っていうか
もっともっと単純に考えると、
自分はヒーリングを行って癒すという役割や立場という物にそんなに魅力を感じていないだけなんじゃないかと。
そう思えてくる(笑)
そして私は思う。
自分自身がヒーラーである誰かに気付かされ癒され導かれた経験もあるし、
自分が癒し手導き手としての役割を果たしたこともある。
そして少なくともそれに対して抵抗感や不快感という物は全く無かったし、むしろ喜びや嬉しさといった物の方が強かった。
だから疑問……というか予感というのか、
もしかしたらなのだけれど、
『癒し』という物は、
それを意図して行わなければ、
『癒された』という結果が起こったとしてもそれを理解できないんじゃないか?
……なんていうか、これは盲点というか抜け道みたいな物なのですね。
そのようなやり方をすれば『癒しが起こった』ということを認識しないし、
そのようなやり方であれば、
『私は癒しを行わない。』という誓約を破ることにはならないとも言えるわけで!(*゚∀゚)✨
結論として
『私は癒さない』し
『もし癒しが起こったとしても私がそれを行ったわけではない。』
と、すっとぼけることができるのですね!!
ヽ(*´∀`*)ノ
……なんでそんなに力説するのかって?
たぶん、
なんかどこかですごく重要になることなのですよこれは。
その認識の違い1つで、
自分の在り方が決定されるような。
……うーん、
なんかねー『違うなぁ』って感じるんだね。
それで『自立』と『調和』ってのが豊かな人生のためには必要で、
そのためには自分が自分として存在しているって実感が必要なわけで、
やっぱり地上に完全に降り立つ必要があるんだろうなぁって感じているのですね☀️
そしてその理由というのが、
あの『不滅の炎』なオルゴナイトの力が馴染んでくるに合わせて
『私にはこの世界で生きて行く術もあるし、自らの資質や才を仕事とすることで社外との関わりを取り戻すことも、人生の基盤と精神的な土台も作り出すことはできるはず!』
って思えるようになってきたのですね😃
それはすぐに可能だとは思わないし、
試行錯誤も紆余曲折も必要になることもある。
でも絶望的だとは全く思わないし、
過去の経験によって上手くいく流れと失敗する時のパターンみたいなのもそれなりにわかるわけで(笑)
確かに私はヒーリングってのは商売にできる気はしないし、それができるとしても依頼を受けて行う程度の『枠』なんだと感じる。
そして直接的なヒーリングってのがそのくらいの枠でしかないのなら、残りの大部分になる枠ってのもあるはずなんだ。
そしてそれが癒しな力を持つアイテム作りなのだとしても、そんなに誰かに負ける気もしない🌟
……だって、同じ素材で同じ物を作る者があるとは思えないし、もし居たとしても質感や見た目の形ってのは大きく異なると思う。
だってコレだって、
……それを神聖なエネルギーとして天使系だったりスピリチュアリティな話を交えてるのに見た目がキラキラさせてるアイテムに仕上げて語る人間なんて居るとは思えない。
もし居るとしたら、
そいつはきっと霊的な学びにも積極的で、しかもパワーストーンが大好きでそのエネルギーやら特徴やらを自分で研究なんかしたりしてた人間で、しかも神聖さに憧れてスピリチュアリティの道にも入ってたりしてそれらのすべての経験やインスピレーションを形にして表現することも大好きな人間で………………
(……一体どこで何してる人間なのそれ???)
……そう考えたら自分もよっぽど特殊な人生を辿ってきた人間なのだろうなとしか言いようがない(笑)
しかし私はそれを生み出し販売する者としての自分はまだまだよくわかってない。
ようやく時代も変わって、
スピリチュアルな要素の強いアイテムを販売するだけではなく『そこに込められた起動式』のようなインスピレーションやら概念やらを嬉々と語っても世界が拒まない空気になってきてる。
……どう考えても自分に都合がいいし、
それだけの知識や経験があってうまくいかないというのはやり方が間違ってるとしか思えない。
資金はないけど知識や技術はある。
……それは奇しくも『実力』を何よりも欲していた頃の自分とは逆なのだね(* ̄ー ̄)
自分の思った正解を選ぶか、
必要とされる正解を選ぶか、
……どちらも選べていないだけなのか(゜Δ ゜)