出会い、既に交わし分かち合われた豊かさと祝福は、 | 取り戻すべき本当の自分と真の世界の可能性を求めて→最果ての聖なるストーリーを生きるために~

取り戻すべき本当の自分と真の世界の可能性を求めて→最果ての聖なるストーリーを生きるために~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられ顕現者となり聖性までをも呼び覚ましあるべき未来へ逆走してゆく形而上学的な内なる闘いであり聖なるストーリーの記録だったもの。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティあり★

今は少しペースを落として、な感じがしています。




少しずつ明らかになってくる背景。
それは、私が何か特別なご縁を感じる方に出会った時が、極めて忙しくて細かな部分まで考えたり探る余裕がなかったり、そもそも恋愛的な出会いやパートナーを求める気持ちがなかったからというものが大きいのかもしれないと思うのです。


今になってわかってくるのは、私はとても恋愛や愛する者とのパートナーシップという物がとても大好きで生き甲斐のような物ですらあったということなのです。


思えば、元カノと知り合ったのはもう10年も前。

その頃から、自分だけの為に生きてきていた自分ではあった物の、本当に望んでいたのは、自分の中にある本物の愛に生きたいという願いだったのだと今になって気付き始めているのですね。


……今まで気づかなかったのかって?


そりゃぁ当然ですかね(笑)
そもそも私は愛情やら恋愛やらには絶大なブロックを感じていて、生涯を共に添い遂げる気もそのための力もないのに誰かと付き合ったり恋人関係になったりすることはできない、
(なぜならそのような関係性は必ず失われてしまうことになるのだから)


と、無意識のレベルでは非常に強く感じていたことを覚えています。


それもあって、高校とか中学の時代に誰かと付き合ったりする人間てのは、実は物凄い度胸と覚悟があるのだろうか……などと感じていた物です( *´艸`*)⚡


あいつら、あぁ見えて心の中ではすげぇのな……と周りの友人たちを独特な視点で見ていたことは今でも思い出せます(笑)





それに、

やっぱり半分ほどバーチャルにさえ思えてくるようなお相手の存在であったとしても、さすがにこのタイミングで出会う存在なだけあって、元カノとの関わりの中では至れなかった領域にまで学びを進めて行くことができるのです。


もしかしたら本質的には、私たちはそのためだけに出会ったのかもしれず、実際的な距離や関係性とは別に関係のないご縁なのかもしれないとも感じているのですね。





まぁ、これを私という人間性に合わせて表現すると、


それだけの情熱と愛を呼び覚ましてくれる相手の存在を必要としていた



ということになると思うのですね。

究極、たぶんそれだけでも私は学びを進めて行けます。
その理由の一つとして、そもそも自身のツインレイの女性と出会うのは、だいたい40歳くらいのことになるだろうと思っていたからです。

だから、別に、今の時点では出会わなくても死ぬほど問題があるわけでもなく、もし今出会ったとしても互いに紆余曲折と学びを進めた後に、それこそあと10年後くらいに正式な形で結ばれることになるとしても、そんなに違和感や不満を感じる訳ではないのです。 



だいたいそういうのは元カノとの関わりの中で既にひたすら闘い見定め一応の決着と答えを出してきているのです。


 

だから、互いに紆余曲折は必要であれば、それに不満や疑念を抱く自身の内側を整えなくてはならないのだと少なくとも理解できるのです。

元よりツインレイとはそのような物。
明確な目的のために別れ、生きて、再会し時を共にするのですから、それを妨げることは望まれることは有り得ないのです。


それはいわゆる法則下にある物なのかもしれませんね。





そんな私は、前日の気付きによって、より真剣に赦しの道を生きようという気持ちになっていたのです`・Δ・´


なぜって、
それがお相手様との絆であり、
私がこの世界を生きる人間として望む世界と体験へと導く手段?みたいな物でもあるのだとわかってきたからです。





計らずも私は『お嬢さん』との出会いによって、自分がどのような世界を生きたい体験したいと願っていたのかについて知ることになったのです。

これは本当に大いなる祝福と呼べる物であり、私が彼女との出会いを通して既に受け取った物なのです。




なぜ『計らずも知ることになった』のかと言えば
それは関係が急激に悪化して、関わることが不可能になってから、初めて相手の伝えてきていた言葉やなぜか交わすことになった想いについて考え直したり純粋に初めて気付くことになったからなのです。


もしかしたら、そのような状況にならなければ、私はそれらについて気付かなかったのかもしれません。

もしかしたら、そのような状態にならなければそれほどに相手に強い関心や出会いの意味を見出だそうとはしなかったかもしれません。 




そう、これらはダメになることによって初めて、本質を見定めよう、知りたいと思えるようになったことだと言えるのです。


……これはそう、元カノとの関わりと付き合いの中で、ランナー&チェイサー的な状態に変化してゆく中で経験した

相手が自分だけを愛し選ぶことが当然だと思っていたけどそれは決して当たり前のことではなかった』という気付きと体験に

本質的にはとてもよく似ている気がするのですね。






……自分は最低なヤローだな、、、
と当時は感じていたのですが(苦笑)

パートナーが自分だけを見て愛しているという時には考えもしなかった物事や側面とは、それまでの関係性が変化し、それらが当たり前ではなくなった時に初めて気付いたり見えてくるようになる物なのですね。

そしてそれは、関係性と絆が更に深まる時に経験する出来事でもあるという話もあったのです。








……ちょっと息切れですかねー。
今はこのくらいで一度終わりにしましょう。

気力減退につきサブタイトルなし(゜Δ゜)