純粋な喜びのために創造し表現するという可能性 / そこに純粋な喜びさえあればいい。 | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

それが実現可能なのか、それともただの空想だったり何か別のきっかけとなるためのトリガーに過ぎないものなのかは別として考えてみれば、私にはそこそこにやってみたいことや、人生の中で形にしてみたい物はいくつもある。


今は、そう、

どんな理由からだったのかはあまり理解が追い付いてはいないのだけれど、糸や布を使って何か自分が楽しく幸せを感じられるような物を作ってみたいという想いがあることに気づいている。

裁縫だとか手芸(特に布物)なんて一生やらないと思っていたけれど、自分も人生状況も変われば変わる物で、糸や布という物は、他の素材よりも好きな色や質感という物を選びやすく、素材の種類も多く入手しやすいという利点がある。





私はずっと、作品を作ることでお金を稼ぎ、それを仕事にして生きてゆけるようになることこそが自分にとっての幸福であり正解なのだと信じたがっていた。
でも、本当の本当の心の奥底では、お金を得るために生活のために貴重な人生を使うなんて考え方はとてもナンセンスだと感じていたんだ。それでも、元カノ(当時はパートナー)と共に生きるために、そして同じ道を進むためにはそれが必要なのだし、それこそが自分にとっての幸せなのだと信じていたんだ。



でも、実際に進むべき方向性や望む具体的な道筋が異なることに気付いて、やがては別れそれぞれの道と人生を辿る中で、進む道は違ったとしても方向性は完全に異なっていて協同することも不可能だという程ではないのだと少しずつ気付き始めている。

彼女は願った。
自分の好きなことを仕事にしてそれで生活できるようになりたいと。

そして私は願っていた
お金を稼ぐためじゃなく、純粋な喜びのために創造し表現できる人生を実現したいと。





今にして思えば、そこからの道は当然のように別れていたのだろう。



それでも、その意思を自分の物として受け入れ、そしてそれが実際に可能になるという現実へ進むためにはそれまでとは全く異なる非常に大きな意識の変化を可能とするほどの人生の変化を必要とした。
潜在意識が活性化して、本当の自分の願いや目的に覚醒している時にはそれを自分にとって最重要でそれ以外の物なんて有り得ないと確信することはあまりに容易く、それゆえにそれ以外の状態で願われるすべてが幻影に過ぎないと当然のように理解できる。

そんな中で願われた、お金のためじゃなく純粋な喜びのために創造し表現することで豊かさを生きていきたいという、あまりに当然な願いこそが私にとって本命の現実となった。。。。。


でも、そんな物がどうやって可能になるのか?
それが現実になった状況とは一体どんな物なのだろうか???

今ある現実と生活のために仕事をしながら生きていた私にはあまりにも理解不能だった。それでも心はそれこそが最も自分が選ぶに相応しい現実だと知っていたから、その時はなんの迷いも恐怖も感じずにその意思こそが選ばれたんだ。






。。。。。


そうしてわたしはお金のためじゃなく、純粋な喜びのために創造し表現することで実現される豊かさを知りたいという本当の願いに導かれてここまで進んできたのだとようやくはっきりと理解して実感し、納得して、感謝と共に受け入れることができるようになっていた。



だからその願いは承認された。
私がようやくその願いに対する答えとして与えられていた現実を相応しい物として受け入れることを決意したから。


そうして私は4年半も前に願ったものと、今ある自分の人生状況が一致していたのだとようやく気付くことができるようになったのだ。この期間には本当に本当に本当に多くの学びを必要としていたのだろう。
覚醒している意識の本当の自分と、一人の人間として人生経験を重ね生きてきた自分の望み願う物とは、本当に大きく全く別の物に思えるほどにかけ離れていたのだと知ることができた。



そして、恐らく本当の自分と人生であろう私ならそれは確かに可能なんじゃないかと感じられるようにもなってきている。
私が願った本命の願いだけなら既に守られ実現されているように、きっと元カノを含むすべての私に関係のある人間の願いも同じように守られているのだと思えることは、自分が存在し生きてきた人生と、探し続けてきた至福の世界とは地続きの、全く同じ場所に実在する現実なのだと知ることと同じことだったんだ。



だから、そんな私なら至福の世界を生きることは可能なのだし、私が本当の願いとしてきた全ては叶えられ、私がそれを完全に知ることによって私たちは完全に癒され救われることができるのだと確信している。
それはとても幸福なことだし、それなら当然のように純粋な喜びのために、愛と祝福を分かち合うために人生のすべてを使うことも相応しいものになるのだろう。 


今はまだ可能性に過ぎないそれらも、既に心の中で知っている喜びやあたたかな想いがあまりにもリアルな物だから、もうそれが現実になってもならなくても結局その幸福感は変わらないのだと知ることができる。
そしてそれこそが波動の法則を正しく扱える状態なのだし、私のために存在し浮かび上がってくるただ一つの道を歩くという喜びと祝福に満たされた人生の実体なんだよ。


そう、私は波動と感情のレベルで願われている全てを体験することができるのだから、別にそれが本当であっても見せかけの心が作り出した幻想であろうと幸福感と喜びだけを見て感謝してそこに現れるただ一つの現実を受け取ることができるようになるんだ。


だから、絶対に本命の願いだけは実現可能なんだよ。だってそれは時間も空間も形ある世界も越えた所にあるリアリティーそのものなんだから!!




至福の世界ってそういうもの。
そんな私が一人の人間としてこの世界を生きることこそがエリシアンワールドプロジェクト。私が忘れてしまった至福の世界を思い出してゆくという素晴らしいライフタイムプロジェクトなのですよ☆


だからそんなに現実の状況って死活問題にはしなくていいのよ。
だって究極の願いであり目的だけは確かに実現可能なんだから。それなら後はどのくらい楽しんで満喫してこの人生という時間を過ごすことができるのか、ということが関心事になるよね?


私にとって創造者として生きるってそういうことだったんだよ。そこにエリシアンワールドプロジェクトもツインレイも創作活動も表現も目の前に現れている人生状況も含まれているの。


そう、それこそが5年近く前のあのセッションで示され導かれた方向性だったのです。私はようやくあの時に聞かされた言葉の意味を知ることができるようになったのです。
だから自分がマスターであってもそうじゃなくても今ではどっちでもいいです。だって波動がその真偽を証明するんだから、こっちから無理矢理に判定しなくていいんだから、楽だよね( *´艸`)







っていう感じのことを元カノにも伝えたいわね!!
(というところまで話が進んでようやっとこちらから話をすることが可能になるのでした。)



というわけでこの時期の学びとはそういうものでした!!!
よく頑張りました~☆ヽ( ・∀・)ノ





四年前の写真。圧倒される感じも味わい深い。