……タイトルwwwwwwバロス( *´艸`)
本日三つ目。しかも連続してるっぽい。
さて、こうやって自らが意味を判定しなくても大丈夫だということが理解されるようになると、実は何かを否定せずに生きる一番の術とは正しさや正解と信じる意志を手放すことだったのではないかと思えてくる、というか気付く。
間違っていると思えるから正したくなるし、そこには事実として正義が通る。正義が通るのならば偽ることは必要なく迷いもなくなる。それゆえにためらうことなく断罪が可能になる。
少なくともそこに偽りは存在していない。
そこにあるのは欺瞞だけなのだから。
しかし、そこには欺瞞があるがゆえに実際には違和感や苦悩が残ることになる。だとすれば正義を守るべく欺瞞を守り続けるという生き方とは何とも虚しいことか。
そう、虚しい。
だからそれは幸福じゃない。
だとすれば欺瞞と苦悩を選ぶか幸福と……何かを選ぶか、また選ばなきゃいけなくなる。
しかし理論武装という物は便利な物で、成功すれば迷いなく闘争(精神的にも)が可能になる。自分には間違いがないと信じる人間という物は強いし何よりも厄介だ。その信じる物が折れ、砕けることを認めさせる以外に打ち倒す術はない。
……という感じで私もまだまだ好戦的な所があるのです(笑)
なんでって、闘うことや闘わせることは楽しいと感じるからですよ。これは私にとって真実の言葉なのです。だからそれを否定しようとは今では全く思わないです、だって私に好戦的な所があるのは真実だし、何よりそれはそれとして気に入ってる部分だからね( *´艸`)☆
私は究極的には快楽主義者だし、そもそもスピリットだとか神性および神聖さってそういう言葉でも表現できるものなのだしねぇ?
で、そんな好戦的で快楽主義者だとか表現すると色々とアレな所があると思えてくる私はどうやってそれらの性質を否定せずに幸福に生きられるのかと言えば、純粋にそれを愛し楽しむということに尽きるのです。
よってこの件に関してはそれ以上説明することはありません。幸福感が本命なら、波動が本命なら選ばれた結果としてそこに見られる現実的な状況というものは背景に過ぎないのですから。波動が本当の現実で重要なのはそっちだと知っていられるのなら、別に状況など変えなくてもいいということになるではないですか。
だから別に、どれがどうだとかを一つ一つ見て断じて思い悩むことは必要でなくなる時も望めば来るということなのです。
だから楽しければいいのです。そして更に追加するのなら、楽しい状態であり続ければ正解なのだということになります。
さて、そうなってくると少しずつ、波動的な現実を選択する手段として行動や思考や生き方を決めるというこれまでとは逆転した在り方が有意義で正しく効率的な物だと思えてくるようになるのでしょう。
実際に私はこのようにして理論武装の中身だけを入れ換えて、幸福であり続けることこそが正義だと信じ、そのために闘う(?)ことに迷いがなくなってゆくのです。
そしてそんな物は見せかけに過ぎないと気付き始めているのですから、少しずつ、波動的な現実を選択するための手段として自分の生き方を決めることが可能になるのです。
そうして私の中で波動的な法則に沿って生きることは自分にとって有意義で自然で楽しいことだと認識されるようになったのでした。
そう、
それは見せかけだから恥ずかしくないもん!!
ってことですね ww
……そして私は思う。このタイトルつけたやつ頭おかしいだろ!!ってね。
うん、でもそれ自分なんだよねー(ノ∀`)アチャー
そして私は最近のふざけたタイトルを付ける風潮やら命名者の気持ちを理解するのであった。。。
完。