物事が具体的に動く時。 全く全然違う自分と世界に飛んだら全部後付けでいい説。 | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくブログ~

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくブログ~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

・・・・・ということで、昨日の夕方に予約していた心療内科に行ってきたのです。

 

うむ、この年齢で両親同伴で心療内科に来る自分・・・/(^o^)\ナンテコッタイ

 

 

とか一部では思いながらも、そもそもの目的は一度は病院に行って見てもらいなさいと促されたことと、実際に一緒に行くことによって周りの人間に納得してもらえることが非常に多くあるだろうからと考えてのことなのです。なんと言うのでしょうか、非スピリチュアルな人々に納得してもらうためには相応の形を取らなくてはならない、みたいな事情があるのだろう

 

とか、そんなことも感じていたのでした。

 

 

 

 

それでお医者さん先生に診察というか問診?してもらって初めて気付いたことなのですが、スピリチュアルかどうかというよりも、見ず知らずの人に自分の経験だとか過去だとかを話さなきゃならないというのは、なかなかに苦痛だとか面倒だとか嫌だとか感じるものなのだなということだったのです。

私はあまり誰かとの絆だとか信頼関係だとかいうのは感じにくいというか無意識のレベルで回避的な傾向があるのでそういうことをほとんど意識したことはなかったのですが、何度もお世話になっているヒーラーの方だとか、スピリチュアルだとかどうかということよりも、自分のことをある程度理解していたり知っているということがとても貴重でありがたいご縁というものだったのだと初めて気付いたのです。

 

 

うん、だってさ、運命だとか宿命だとか自分の考えや行動がどうせ思い通りにならないと知って絶望した、とか言ってもその意味を理解してもらえるとは思えないんだもの。そう考えると、ヒーラーの人の方が圧倒的にわかってくれるというのは間違いないんだなって感じたのです。

そうやって縁があり信頼関係を結んだ(?)ヒーラーの人に定期的に見てもらっていたことは、実は自分が思っていた以上に糧となり支えになっていたのだということにまたもや初めて気付いたのです。ずーっと未来の方だけを見ている私は現状をあまり快く思ったり価値あるものとしない傾向が強かったこともあって、後々になって初めて、あれは悪くない経験だったとか、思っていた以上に自分にとって重要で意味があることだったのか、などと気付く時がやってくるのです。

 

 

 

 

とかそんなことを思いながら、非スピリチュアルな概念で自分の人生経験を説明するってのはどんな感じになるのかを体験して、一番の目的である睡眠薬を処方してもらったのです。あと、過去の状態も呼び覚まされていたのか、抗うつ薬ももらいました。昨日飲んだ感じだと、なにがしかの気持ち悪さみたいな物とか謎の眠さを感じるけど、謎のやる気みたいな物も感じられます。

 

 

 

・・・という、具体的な行動や経緯が書いてある記事なんて、いつ以来でしょうか???

(いやほんとに、このブログの97%くらいは心情的なこととか洞察的なことしか書かれてないと思うのですよ。珍しい!!)

 

 

そうして抗うつ薬と睡眠薬の力によって、朝の7時くらいには目が覚めて、食事も三食食べる(まだ予定)という生活が始まったのです。

そして三食食べようと意識して気付くことは、自分がどのくらい空腹であるのか、どのくらい身体的に食べた方がいいのかが全然わからなくなっている、ということでした。あれですね、ずっと不健全で病的な状態が続くと、自分が不健康であるという自覚=病識がなくなってしまうという話があったことを思い出しました。

 

それなのですよね。自分の状態が普通なのか、最悪なのか、不調なのか絶不調なのか、本来の状態なのか、どんな状態が本来自然な状態

なのかが思い出せなくなってしまうのですよ。そうしてエネルギーが低下した状態の悪しき波動で影っぽい状態の自分が自然な自分だと思い始めたりして・・・/(^o^)\ナンテコッタイ

 

 

 

 

 

そして非スピリチュアルで一般的な言葉で自分のことを話していくにつれてわかったのは、自分は地元で生きてゆくつもりは一切なかったということでした。だからわかりません。

 

こうなってしまったのは私の思ったものではないのです。だから私にはこの人生のことは全然わからないのです

 

・・・とは言いたくなかったです、ハイ。

っていうかそいつを言ったらおしまいよ って感じの言葉だから、絶望してる状態以外ではそれは言えないのです。全責任と自我意識を丸投げする発言なのですから、正気を失っているという自己矛盾を認めなくてはいけなくなってしまいます。というわけでそれは飽くまで最後の手段みたいなやつです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな感じで昨日は終わり、薬の力によって規則正しい時間で生活しているらしい私は、現在の自分の部屋が完全に停止している空間になっていることに気付いたのです。手詰まり、って感じですかね。動きが感じられないのですよ、エネルギーとか気配とかそういうレベルでも。

 

 

なので、元カノと別れて引っ越してきた時からずーーーっとクラフトテープで止めたままだった棚とかを使うことにしたのですが、2年近くつけっぱなしになっていたせいなのか、表面のやつ(めんざい?)が剥がれてしまったのです。それを見て私は『まぁいいや、これをちょうどいい機会として塗装とかコーティングみたいなやつも始めればいい』とか思っていたのです。

そういえば引っ越してきた時には、自分で棚を作るとか部屋の模様替えをするとか、これまでは色々な理由で試せなかったことも始めればいいんじゃないかとか考えていたことを思い出してきたのです。都合がいいことにホームセンターが徒歩圏内にあるのですよ。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・まだまだ考えなきゃいけないこと、というよりは、気付かなきゃいけないこと、というか、閃かなきゃいけないことというものが沢山ある気がするのです。そして現状では私の部屋には、以前使ったり影響力のある物として存在していたパワーストーンのクラスターだとかオラクルカードだとかは見える感じでは置かれていないのです。そんな感じで今の部屋はスピリチュアルな要素はかなり低めになってます。

 

それが一体なんの話なのか? と言えば、波動的な物を調整して、自分が望む方向性を引っ張ってこれるような部屋というものがどんなものなのかを明らかにするためには、あれこれ試行錯誤してみる必要があるということで、2月になってようやくそのような可能性が解放されたみたいなのです。

現在は自分が望むような変化や動きは全然起きない、と気付いているよりも、目の前の物だけを見てそれを普通だと感じている状態と、果たしてどちらの方が良いのでしょうか、どちらの方が幸せなのでしょうか???

 

 

 

・・・とか書いてみたのですが、残念ながら二択である時点で最善は存在しないのです( ̄ー ̄)

 

 

今自分に見える世界の中に望む現実が存在しないとしたら私はどうするだろうか?

 

 

 

 

これは、とても重要な問いです。

そして今の私はそれの答えという物をここに示したくありません。

 

いろんな方法論がある中で、何が一番自分にとって効果があるのか、

そんなことを感じながら部屋の配置換えとかをすると、ただ物を整理したり移動したりするだけでも、全く全然違う自分の部屋になるという不思議で楽しい体験ができるのです。

 

 

…いい表現ですねぇ☆

全く違う自分 の部屋 なのか

全く違う 自分の部屋 なのか

全く全然違う自分の部屋 なのか

 

 

 

 

今はここまでで十分でしょう。

部屋がとても生活しやすくなってこの記事も気楽にかけてとても良かったです。

 

 

 

・・・・・・・・誤操作によって記事が消失したかと思ったら、復元してくれました。PC版のアメブロは便利なんですねぇ。。。

※この記事のハッシュタグはオススメに出てたやつをそのまま選びました。