創造主?魔法使い?マジシャン? どれが自分には相応しいのかな? | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくブログ~

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくブログ~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

追いかけるのではなく引き寄せる


ということについて考え直す必要がある気がしています。





というのも、私はたぶん本質的に追い求めるのが大好きなのですよね(笑)
だから、少なくとも本来であれば"追い求める"という言葉でそれが表現されるのだとしても、本質的にはそれを内側に感じることによって実現していく……つまり引き寄せているという在り方が自然なのだろうと思うのです。


であれば、
私はまだ現実化していない願いや理想を追い求めることが大好きです☆

と喜んで語りながら、
本質的にはそれは既に自身の内側に存在していると実感している意識とエネルギー波動を保っていられるように訓練してマスターする必要があるということになるのです。

だって、多分法則のマスターって人はこれが血となり肉となる感じで、当然のように達成できるようになったからこそどれほど好き勝手で法則を破っているように思えるような表現をしながらも、本質的にはしっかりと法則を正しく扱うことができている魔法使いのような者であり、まさしくマスターなのでしょうから(笑)


そしてこれをマスターできたなら、無理矢理に自分の在り方を歪めなくても、表面的な見た目はどうであれ、常に本当に自分らしい状態で居続けることができるようになるのです。




……そう、そして私はその方法論を内側の感覚や導きに頼り、学び、本当に自分の物にしてゆくというプロセスそれ自体も大好きなのですが(笑)



でもだからと言って、自分が知らないと思い込みながら学んでゆく必要はもう既になくなっているのではないかとも心のどこかで感じているのですよ。
私はまさに自分がマジシャンであり魔法使いのような表現(あくまで自分の感覚から見て)をすることこそが楽しくて愉快で最高にハッピーで盛り上がる幸せで豊かな在り方のように感じられるのですが、

さてそれと同時に自らも学ぶ者であるという在り方はどのようにして両立しバランスを取り達成できるのだろうか?という疑問があることに気付いたのです。


……そう考えた時に、私がヒントと感じている言葉に"幻想を生み出す"というワードがあるのです。それはまさに魔法使いでありマジシャンでなくてはできないことなのですが、
もしかしたらそれは本質的には全く同じ意味として、自分を創造主として望む現実を創造するという言葉で表現するということなのではないかと気付き始めているのです。


……いやでも、もしそうだとするなら、
私は自分の内なる神聖な力を行使して願う現実を作り出すことを無限の豊かさという幻想を生み出すと表現することが相応しいと感じられるような気がしてくるのです。


うん、でも、マジシャンという表現を好む理由は確かにあるのです。

それは明確に種も仕掛けもある魔法でありそういう意味での現実だからなのです。これがマジシャンとして見た現実ですね☆

でも魔法使いであるなら、
それは内なる見えない心の力によって使うことができる魔法なので、それは逆に種とか仕掛けとかを必要以上に理解する必要はないのだし、魔法使いだからその種をむやみに知られるようなミスをしてはいけないのです(笑)
それが魔法使いとしての世界観ですね☆


……さてそうなってくると、別に私は創造主という表現を好まないということに気付くのです。だって、完成しない永遠に続く成長のプロセスを体験することが大好きなんだから、その自分というものは飽くまでも自分とは別の神聖な力として扱う方が相応しいのです。


うーん、
それなら、中間て言うのはどうだろうか?

だって必要以上には種を明かす必要はないと感じてはいるのだろう?
それなら、最初から種は明かさずに、それについて知りたいと言う者が現れた時にだけしっかりと教えて種も仕掛けも解説してあげればいいだけなんじゃないかな?

果たして君が持つ膨大な知識や情報を実際に自分の人生で必要とする人間がどれほど存在するのだろうかね?(笑)
もっとファンタジーちっくで楽しい表現にするのなら、自身が魔法使いである君が、自分が学んで獲得した叡知である物を教えることがどれほどの人間に必要だと思えるんだろうね?

そしてもし多くの人間が魔法使いとなるための知識を必要とするのではなく、深くは理解せずともただそれを実際に活用して人生を改善することによって、真に自分に必要な学びと喜びに集中して生きることができるようになるのだとしたら、君が知ったすべてを誰にでも教えるということは無意味だし不可能だし、
それは実際には全然自分が望んでることじゃないんじゃないかな?

……って考え方はどう思うんだい?(笑)


まぁ簡単に言ってしまえば、
君にとっては絶大な試練を越えることによって獲得された学びに関しては答えを知るだけで理解できてクリアできてしまう人間が居ることはある意味では当然の事実だと明確に理解して受け入れることが必要だってことになる。
それはなぜかと言えば、その人が絶大な試練として越えることが必要な本命となる学びは、君の物とは全く違った場所にあると考えるのはあまりにも当然なことだからなんだよ(笑)


そうだなぁ、だから君はもっと必要とする人には必要なだけ相応しい表現と形で伝えられるようになるってことを訓練して行くと、本当にその人にとって最適化されたピンポイントなことだけを教えられる存在になれるんだね。
それは本質を正しく見極められる集中力があればこそ可能になるものなんだし、魔法使いなんだからそれくらいの心の力がなかったらそもそも適正なしじゃないか(笑)

これは君が思ってるマスター像とは全然違うのかも知れないけど、むしろ必要とされる何かを教え導くマスターとして望まれる人物像ってのはそういう物なんだよ(笑)
……それは本当の自分じゃないって?

そうだね(笑)
だからこそ魔法使いであれって言ってるんだよ。

それならどうやって本当の自分として在り続けることができるのかって?
それは既に説明したように、本質を見据えていられるほどの集中力を得ることだね。だからこそ心と脳を訓練しなさいって言われてるじゃないか(笑)

それに、いくつかの姿を持ったっていいと思うのだよね?
どうせどのように振る舞った所で本質は何も変わらないという真実に気付くのなら、それを見据えたまま、いくらでも望む幻想を生み出して生きればいいじゃないか。
その中でも自分が最も相応しいと感じられる在り方と同時に、最も必要とされ歓迎される在り方を見つけ出せばいいんだよ。

君はそういうことが知りたいのだろう?


それにさ、魔法使いは秘技となる知恵を相応しい者には教えるけど、マジシャンは教えちゃダメだと思うんだよ。だってそれじゃ見ている者が純粋にマジックを楽しめないじゃないか(笑)


だからさ、君が見ていたのは逆だったんだよ。



マジシャンでも魔法使いでも見るべきは本質なんだよ。本質のレベルで自分らしく在るってことを保ち続けるんだよ。その言葉だけで理解できる人間は当然のようにそれを理解するし、もちろんそれ以上を知りたいと思う人間だって居るんだよ。

だから魔法使いでもマジシャンでもいいから、自ら幻想を生み出すって感覚で生きてみたらファンタジーちっくで愉快でハッピーな盛り上がる豊かな人生を生きられるんだろう?
ならそれを試してみればいいんだよ。
ダメならまた別の可能性が見えるんだからさ(笑)


どんな振る舞いをしてもいいけど本質から意識を外してはいけないんだよ。それが力の源なのだからね。


それだけわかってれば好きにやりなさいな。