「役割は果たさねばなるまいよ。」 / それを喜んで行うか、抵抗するかで人生は変わるのか。 | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

まだ加速中。
ヒューマンデザインの話は置いといて。




前回の記事を書き終わって昼頃に起きるとなぜか姉が家にいた。想像もしていなかったし考えても全然わからないので聞いてみると「会社の人と食事にいくことになった」というじゃないか。。。



会社の、人と、食事に、行くだって?
俺の知ってる状況なら、いや、昨日まで知ってると思ってた世界と同じならそんなこと絶対に有り得ない!!
と思った。心から。



……それも奇跡ですか?
全然わからないけれど、とにかくそれは歓迎すべき変化だとわかった。


そのあと会話へ。


働くor働かないだの、辞めるor辞めないだの、互いに分かり合えないという状況を経験。
「生き抜く日々」のテーマ分類に書いたようなことを語り、自分の(当時の)想いをぶつけることになる。。。。



………………そのやり取りをしていて気付いた。
「私たち」と姉のような世の中の人々の大きな違いというのは、自分の好きなことだけをしているとかそういう所にあるのではなく、真に自分が望まないすべてを見極めて自分と人生から一つずつ追放していった結果、本当に自分に相応しい在り方を実現した人生を体験することができるようになっていった、という所にあるのだと。



しかしそれを語っても通じない。
多分、これはいわゆる「過去の清算」なのだということがわかった。最初はわからなかったけれど何回か「それは何ですか?」を行って、本当に知ることを選んでそうだとわかった。

そういえば姉には「誰にも迷惑をかけるなと言うなら俺を殺すか幽閉することだな!!」というようなことを語る機会はなかったなと思い出した。

……なんだか、今となっては懐かしささえ感じられるこのセリフ、続きは「人生はサバイバルだ、殺るか殺られるかだ!!」と続くみたいです(笑)




これは表面的な見方をすれば「間違ってるし最悪の結果!!」に見える。コンシャスな意識を使わない限りはそうにしか見えません本当にありがとうございました、
って感じ。


でも、これは過去の清算なんだよ。
まだ解放されてない想いを、互いにぶつけ合うことによって、それを俺が正しく理解して受け止めきることができたなら、その段階は終わる。
それはもう過去になったことだし、解放されるために現れたものだから。

現実は創造のプロセスの最終段階だから。


だから、「そのやり取りそれ自体」の中には一つも真実は現れない。その「形」を見るなら必ずや欺かれ、「間違っている!」という判断を下すことになり、間違いや罪の証拠として大切に残されることになるのだ。。。

そして私はそれを望んでいない。
自我の自分にはどのように見えたとしても、本当に望んでいる結果をもたらなさいものはすべて手放し捨て去られるべきものなのだ。
なぜなら私は苦しむことを望まないから。



……ということだった。
前回姉とそういう話をした9月末頃には、これは不可能なことで可能性の一つに過ぎなかったことだったのだろう。
当時はまだ奇跡のコースのテキストを読みながら本当かどうか様子見している状況だったし、まだまだ罪も間違いも完全に手放そうとは思えていなかった時期だ。



何しろ私は、姉も自分も愚かな人間であることも貧しい者であることも無知であることも望まないし、そんなものが本物だなんて思いたくもないという結論に達しているのだから、そんなゴミみたいな無価値で冒涜的なイメージなんかとは違う、神性と神聖さの輝きに相応しい本当の姿というものを知りたいと思える。。。

その過去の自分自身を振り返るなら、この心境の変化とは本当に貴重で得難く奇跡的なものだとわかるんだよ。




だから、それが達成できたからこの件は文字通り「クリア」されたと思うよ。
喜んでいいと思うんだ俺。


すべての「弱さ」に挑んで「力」を見出だすということを私はしています。



……これは実際に「行動ではない」ので、多分それを姉や家族に言葉で伝えるのは不可能だと思うし、それにきっと不要なことなんだと感じる。


ならどうやってわかってもらうか、
だって?


多分、違う。

それを見る限り「遅々として進まない人生」ってのを見続けなきゃならんくなる。私はそれだけは絶対にイヤ!なので、少なくともそれにならないものを選びます。

それにすべての行動というものが全体の計画によって一つの意思であるものによって支えられているのなら、例外はないわけで。それはつまり神聖な計画から見て必要であるものは必ず実現し体験されることになるということで。
だとしたら、やっぱりそこ(形あるもの)には真実は存在し得ないんだよ。




さて、そこまでわかったあなたはどうする?


人間として必要な行動と経験を受け入れながらそれを判断したり抵抗したり恐れたりするという本来不必要な幻想を見ないでいられるように与えられた状況や経験を積極的に活用して癒し正し解き放っていくことを選びます。


……つまりそれが俺のやってることなわけで。
言葉で説明するには前提知識とか実際の経験とかから習得した心眼とか必須なんで、それやってない人には通じるわけない。
だとすれば、行動や形には現れない本質だけを見続けられるようにケーススタディとして活用してくことになるってわけ。

で、今回は数ヶ月前には達成できなかったクリア条件を達成できたから「これは」終わり!!



……そうやって客観的に自分と人生ってのを見られるようになって初めて、自分が本当に何をしているのかが正確に理解できるようになってきたことに気付くようになりました。
ほんと、努力の賜物ってやつだわね。

それを私は知っていたし、実際にそのプロセスを自らの意思として辿ることによってその事実は渡にとっての真実となったのです。


ここまで来たらその言葉も本物だって証明されたことになるよね!
まだ現実になっていないものを時間とか空間とかを越えて見つめていられる者がマスターなのだろうと私は思うのですよ。だから「マスターとして生きる道」ってのは、そういうことらしいよ。



この世界でそれを証明したいと願うのならそれだけを見続けて現実になるまで続けることだよ。
苦痛なら「時間をゼロに」すればいいじゃない。

それがわからない?
なら、頑張れ。そこら辺はしんどいから。
本当の自分は悩まないし苦しまないけれど、人間としての自分は考えて答えを出したり頑張ったりせにゃならん、だから頑張ろう!!(笑)





よくやってるよ俺。
これも経過点の一つに過ぎずに必要以上に執着せずに淡々と行って済ませることがその証拠。

一人の人間としてこの世界で割り振られた役割に抵抗なく取り組むことができるというのは幸福な人生の必須条件なんじゃないかな、って思うよ。


それが本当の意味で大人になるってことなんじゃないかなって思うんだ。
そしてその先には、自分に与えられるすべてを喜んで受け入れ感謝しながら生きられるっていう、到達点があるんだろうなって。



まだそこまで行ってないです(笑)
目指す所はその世界なんだけどね。



これらもそのための一つ、なんだよ。
それを淡々とこなせることが嬉しいです本当に(ノ・∀・)ノイェー




でも本当にキーボード欲しいなぁ。そしたら心に浮かぶ速さで文字を打てるようになる……打ちにくいスマホの画面とはオサラバだ!!
……いいなぁそれ。