時間が気に入らないなら瞬間を生きなさい。 | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

この時間に一日の行動を終えていることは珍しい気がしている。そして今は身体にあまり負荷をかけないように寝ることが望ましいのだろう。


毎日の瞑想というのは極めて重要なものなのかもしれない。そして自分にとっての瞑想とはこのブログを書くことだったりする。
それなら、このようにブログを書いていることは実は非常に重要なことなのかもしれない。ただやることがないから書いているだけだと思っていたけれど、いざ必要な行動が増えると瞑想や内観の時間がうまくとれなくなって、思考がごちゃごちゃしたままになって自分を見失ったり病気状態になってしまったりすることがわかった。

そして望ましくないものはすべて訂正し忘れ去ってゆくことが今は望まれている。まずは全体の98パーセントほどまで曖昧な幻想を見るたびに訂正してゆくことが基本になるのだろう。
実際には自分を幸せにしないものであれば、それが事実であるように思えていても訂正されるに値するものなのだ。それは事実ではあっても真実ではないのだから。
だとしたらやっぱりそれは訂正されるに値するに違いない。


真に求める結果を生み出さないものは、見せかけがどうであれ間違いとして認められ改められることが相応しいのだ。それが本当に間違いだと知ることで安心し癒されるのだから。


悪徳、などというものはすべて忘れ去られることが相応しいだろう。なぜなら私という存在に悪徳というものが残ってほしいとは思えないからだ。そんなもの残さなくてもユーモアを使えば見せかけと本質の違いを楽しみ讃えるということは可能なのだから。


幸福とは全的なものに違いない。
そして豊かさというものも全的なものであるに違いないのだ。そして私はそうであることを望む。


そろそろ、分離を見ることの限界に気付き始めているのだろう。切り離した都合のいい一部などというものは実際には存在しないのだ。だとすれば扱われるべき何かとは必ず全的なものであり何かを変えるということは全体を変えるということになるに違いないのだ。
だとすればその先と後では、まったく違った存在として知られることになるのだろう。だから望む結果に相応しくない概念はすべて聖なるものによって裁かれその実際を知られることが相応しいのだ。


このようにして何がしかが文字に起こされ書かれていくということは、呼吸のようなものだ。それが真に手放されるのなら、入れ替わるようにしてまた別のものが入るのだ。だとすれば今すでに形にされたものとは実質、過去でしかないのだから真に見るべきはそれではないもの、ということになるのだ。
だから目の前に現れたものが気に入らないのであれば訂正されるに値するのだ。なぜならそれは既に創造のプロセスを越えて現れた結果に過ぎないのだから。形を変えようとして結果をいじくりまわすのは実に無意味だ。無意味なのだ。

だとすればそれを理解した瞬間から別の理解と選択が必要になるだろう。役に立たないとわかったものを使い続けることほど苛立つものはないのだから。それを望まないのなら、なるべくそのことに気付いた数秒後には別の選択を自分の意思とすることが相応しいだろう。

そして私はそうすることを望む。
そのためにこれは書かれている。
知られるべきものを今知るために、これは書き出されているのだから。



まずこれは知られることになる。
そして理解していないことに気付くことになる。
それを経験を通して知られることになる。


だから、時間が役に立たない足枷のように感じられる時にはそんなものは忘れ去ってしまいなさい。そしてその瞬間には知られていないものを知ることを選びなさい。自らが知っていることを疑う暇があるのなら、知っているかどうかわからないものを疑いなさい。

したければなんでもふるいにかけて見ればいい。
それが相応しい形で尋ねられるなら、必ず相応しい形で答えが返されるのだから。


時間の力を弱め瞬間に力を戻し、そこで新たな可能性を知りなさい。時間が役に立つものでないのならその概念を訂正しなさい。
それらが訂正されて実際に残されるものを見るのならそれが何かを知ることができる。。。

そこが気に入らないのなら、まったく違う世界を選びなさい。慣れ親しんだ停滞の概念を「普通」にしていてはいけません。
すべての瞬間が選び直し生き直す機会だと知ることができたなら、時間という概念も(役に立つ=消え去ること?)になるでしょう。


時間が気に入らないなら瞬間を生きなさい。まずは時間が妨げになると感じる時だけでいい。実際に知ることが必要だから。
時間の世界が気に入らないなら瞬間を生きる者になりなさい。あなたのすべてはそこにある者として生きなさい。

この提案が実際に役に立つものかどうかは試してみればわかります。