虫歯、をきっかけに生じた肉体的な痛みを味わい、それに合わせて蘇る精神的な苦痛を味わい、そして終いとばかりに、慟哭と呼べるほどの想いが呼び覚まされることになった。
それがスーパーでブルーでブラッドな皆既月食のせいなのかはわからない。でも、無関係でもないのだろう。
痛みをきっかけに虫歯の治療を行う流れになった。もはや精神を蝕むほどの激痛は虫歯であろうとなかろうと放っておけるものではない。
しかしその実、精神的な苦痛でも同じレベルの激痛のようなものを感じていたということには驚いた。
なんにせよ、そのような存在を脅かすような痛みを放っておいてはいけないのは間違いないだろう。
歯医者にかかるために、働くなくなってからこれまで収入が途絶え滞納していた保険料を支払うことになった。もちろん収入なんてないので家族に助けてもらうことに。
その額、約10万円ほど。
……お金のことで家族を頼らずに生きることを目指していたのに、気付いたら「絶対にそうなりたくはない」と感じていた、かつて自分が「まるで社会のゴミのようだ」と感じていた境遇になってしまったのは、もはやカルマやら宿命やらと呼んでもいいだろうと思っている。
そんな人生は私が望んだものじゃない!!!!
……もはやそれらの憤りや失望、人生を嘆き呪う気持ちを隠す気さえなくなった俺に与えられたのは、ここまで限界を迎えるまで放っておいた物事に直面し人生を立て直すという道に感じられる。
はっきり言って、もうこの人生がどこに向かっても構わないと思っていた。いくら自分が抵抗し避けようとしたところで、この肉体も精神も必要な道へ突き進んでいくのだ。元より自分の思惑とはかけ離れてしまったこの人生に責任を問われても、自分でもこんな人生は望んでいなかったとしか言うことはないのだ。
どうせこの身体は必要を為す。それはキリングマシーンのように正確に、ただ行動を結果として作られてゆく人生。
なら、また「必要」に呼ばれる時まで、この肉体や精神がどうあろうと、社会のゴミのような存在だと思っていても何の問題もないのだろう。栄枯盛衰、もはやそれは自分の力の及ばないもの。
必要なのはひたすら耐えて生き抜くことだから。
収入がないからお金をもらわなきゃいけない、
でももらうのは苦痛だから最低限しかもらわない、
最低限しかもらわないから最低限しか使わない。
縮小と停滞へ向かう生き方なのは間違いない。
だがそれも一時的なものなのだろう。
もはやこの人生は私の思惑や理想とはかけ離れてしまったのだから。理想を裏切り自分にも裁かれた私にもはや罪はあるまい。
そう、あるのはただ導かれ、目の前に残っていた選択肢だけだ。それがどこに向かうのかなんて知らない。自分で考えたものではないからわからないんだよ、その先がどうなってるかなんて。
ただわかるのは、「どんな状況下になったとしても、なんとしても生き残り必要とされる時を待つ」ということだけ。。。
私を害するものが居れば抹殺する。
世界が私を害するというのなら世界を抹殺する。
そこに迷いはない。
ただそれだけが自分に残された選択肢だったから。
俺は、ただそれが流れ変わってゆく時を待つだけ。
祈るように生きる。
生きるために、殺す。
それが必要だというのなら仕方のないこと。
だから、祈るように生きるんだ。
そんな意識が表面化し呼び覚まされたのが皆既月食のとき。
いくら殺そうといくら呪おうといくら嘆こうとそれしか道はないのだから。もう既に何人も殺している自分は戻れない……ただ、終わりの時まで祈るように生きるしか、それしか道はないのだと、それを受け入れている者のように感じられた。
だから俺も同じように感じていたけれど、
ダメだ。俺には殺せない。
痛いのは嫌だし、壁を殴って拳から血が出るだけで痛いし、怒りと嘆きで拳を握りしめて爪が肌に食い込むだけで鋭い痛みを感じて怯んでしまう……俺にはどうせ誰も殺せない。
………………
まともじゃない。目も意識も完全にイッてしまっているのを感じていた。そのような、祈るような気持ちなら殺すことはそんなに難しくはないだろう。
殺す者の意識もそれを見つめる目も知っている。
だがそれは自分には必要のない経験なのだ。
それくらいの、自分も誰かも殺すという決死の覚悟がなければこの道は進んではこれないのだ。。。。。
自己矛盾とはそれほどに耐えがたいものだから。
自分一人で闘う人生は終わったのだろう。
それは宿命であり、生まれた瞬間に定められたものという意味でカルマとも言える。逆らうことは絶対に不可能である……それが結論だ。
それに抵抗するというのなら、否定し、殺し殺される世界から抜け出せない。
その意思を持つ限り否定される。うまくいかない。
社会のゴミのような人間になってしまうとは。
栄枯盛衰。それもこの人生に定められ決して避けられないものであるのなら、わかりやすく輝かしい時もまた必ず訪れるだろう。そしてそれらには少しも差はないのだと、完全に理解できる時も訪れるだろう。
今はただ生き抜けばいい。
必死に生きる必要はもはやなくなった。
ただ、どのような形でも生きていればそれでいいんだ。望むとも望まなくとも必要なものは勝手に目の前に現れてくる。それは避けられないものであり、真実としてそこには良いも悪いもありはしないのだから。
ただひたすらに与えられるものを喜び感謝できるようになったのなら、その時こそ闇も影も判断せずに受け入れられる生き方ができるのだろう。
私は生きていればいいのだ。
必死に闘い生き抜く日々は終わった。
あとは勝手に世界が人生を成してくれるだろう。
祈るように生きる。
それは変わらないのだろう。
この無茶苦茶にしか思えない人生を進まされ七転八倒させられた者として言いたいことは言いながら、まずはお手並み拝見といこうじゃないか?(笑)
これは俺が望んだ人生じゃない。だから詳しいことを聞かれても全然わからないんだ。
……他ならぬ俺だけはその言葉を語りぶつける権利があると感じている。
さぁ、人間の意思を越えた決して敵わない大きな力に怯み受け入れるがいい!!!
俺はそれを体現する存在となっている。
あとは流れてゆけ。
栄枯盛衰。時がすべてを変えてゆくだろう。
それでいい。私は全身全霊の力を使い、自らの勤めを果たしたのだから。
そしてそれらは過去の話である。