サバイブする | 転生したら教授になったおじさんのブログ

転生したら教授になったおじさんのブログ

日本で学位取得してからの、滞米14年のシングルファーザー研究者からの、異世界転生して単身教授生活がはじまり4年経ち、数年後は海外ノマドを始めるつもり

ブログの更新ができませんでした。


ここ数週間は精神的にも肉体的にも限界バリバリな感じでヒーハーです。


必死こいてやっている分、仕事は順調で論文もポツポツとでそうな流れです。データ的にも良さそうなモノが取れて、数年ぶりにエキサイトしたりしています。


そして、個人的に最近ショックだったニュースは永田洋子死刑囚が死んだことです。


いくらおっさんといっても、さすがに私は学生運動の世代とはかぶっていませんが、大学の頃、あるいは高校の時、全共闘の名残のようなものを学内で見たりはしています。また、予備校講師が学生運動経験者だったりして、そこから、歴史として、全学連と全共闘の流れについて(受験勉強もせず)自分なりに調べたりもしました(理系にもかかわらず)。


60年代、70年代の、学生運動は時代が生んだ一過的なものなのか?社会がまだ貧しかったから生じた現象なのか。おそらく違うと思います。社会、と、個、の関係について我々人類はまだ適切な解答を得ていない。個人が集団の中で生きるときに生じる矛盾や葛藤が、時代的なものを背景にして、社会現象として現れるのではないか。私は社会学者ではないので精密な考察はできませんが、連合赤軍の事件と90年代のあの事件に同じような構造を感じます。90年代のあの事件は私の世代の人たちが引き起こしました。私は同世代として、どうしてあのような事件が生じたのか、自分なりの解釈をしなければ、と考えていて、そこから、当時若かった連合赤軍のメンバーのことを考えたりもします。


機動戦士ガンダム逆襲のシャア、のラストで、アクシズを落とすことで地球を汚染しようと試みるシャアとそれを阻止しようとするアムロが対決するシーンがあります。愚かな地球人に苛立ちを隠せないシャアは自分が行おうとするテロを正当化しようとします。それにたいしてアムロは、「革命はいつも一部のインテリの夢のような理想を実現するために過激なことを起こすことによって始まるが、一度成就すると官僚や民衆によってその理想は飲み込まれてしまい、それを嫌がったインテリは世捨て人になり身を引いてしまう」と言い放ちます。社会を良いものにしたいと願ったインテリは世の中を別の混乱に導くだけで終わるのです。結果として、個人の幸せの種類は変わるけれど、質が変わるわけではない。


まあ、だからなんだ的な考察ですが(細胞生物とも関係ないし)、私がもう少し時間に余裕ができたら(いつだろうか、永遠にないのではないか)、明治維新、戦前の青年将校が起こした一連の事件、全共闘、そして90年代のあの事件、を比較した勉強をしたいと思います。