インド瞑想の旅 15日間のご紹介


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・インドに行ってみたい方

・人生の仕切り直しをしたい方

・Oshoの生家へ訪れたい方

・日本を離れ瞑想三昧してみたい方… etc



↓ こちらをご覧ください


https://www.sakshin.com/


北インドのOSHO生誕の地で瞑想三昧のようです。

 業務提携はないため、主催者へ直接お申込みください


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私がインドにはじめて行ったのは2004年頃で、目的はOSHOリゾートへ行くことでした。


※ 正式名称:OSHO インターナショナル・メディテーション・リゾート


その昔、マハラジャが別荘を構えていた高級住宅地で IT・学園都市でもあるプネーのコレガオンパークにあります。



諸外国、イギリス、フランス、イタリア… と同様に一人旅。



現地の情報を得ながら、各種手配し、一人で向かいました。



一人旅とは言っても…


どの旅も初まりから帰国まで旅先で知り合った世話人?(つき人?)が事あるごとに現れて、エスコートしてもらえます。



「そんな感じでどうやってここまで来たの?」と言われたことも…  (えっ?)



出会う人はみなそれぞれ優しく、

現地の有名なレストランへ連れて行ってくれたり、帰国時には仕事を調整し、最後まで見送ってくれました。



そんな若かりし頃の旅の数々は、

今もなつかしく、輝かしい思い出です。



… 話題を戻し、

インドは場所にもよりますが、

プネーの12月頃は過ごしやすく、日中は暑いくらいで、半袖でも十分ですが、

朝晩は少し冷えます。


北インドの気候はどうでしょう?



なにはともあれ、

瞑想の旅にご興味あれば、是非参加してみてください。


きっと、生涯忘れられない良い思い出となることでしょう。



□ 当方が開催する瞑想会はこちら ↓

毎日、一人でも簡単に出来る瞑想もお伝えします!




【注意】

当サイトの「瞑想(会)への誘い」のタイトルをすぐさま模倣した高額な瞑想会が出ています。

当サイトとは一切関係ありませんので、ご注意ください。





食べ物というのはいつも愛の代用品だ。愛のない人、どこか人生で愛が欠けている人は、今までよりもっと食べるようになる。それが愛の代用品だからだ。


子どもが生まれた時、

最初の愛と最初の食べ物は同じではないだろうか? 


つまり母親だ


それで食べ物と愛には深い関係があるのだ。

実のところ、食べ物が最初にやってきて、それから愛がついてくる。


まず子どもは母親を食べる、そうして彼はだんだんと、母親はただ食べ物というだけではなくて、自分を愛してくれてもいるのだ、ということに気づく。


もちろんそう気づくためには、

子どもはある程度成長していなくてはならない。

最初は、子どもは愛を理解することができない。


食べ物という言語なら理解できる、すべての動物にとって自然で原始的な言語だからだ。


子どもは飢餓とともに生まれてくる。

すぐに食べ物が必要だ。


愛が必要になるのはもっと後になってからだ。それはそんなに急を要することではない。

一生の間、愛なしで生きることもできるが、食べ物なしで生きられるだろうか? 

それが問題を作り出す。


だから子どもは、食べ物と愛の関係に気づくようになる。


どこかであなたは愛のある人生を恋しがっていて、それで食べ過ぎるのではないだろうか。


あなたは食べ物で自分を満たし続け、内側に隙間を残さない。


だから愛は必要ではなくなる。

どこにも隙間が残っていないからだ。


それに食べ物なら事は簡単だ、食べ物は死んだものだからだ。

好きなだけ食べ続けることができるだろう? 

食べ物はいやだとは言わない。

食べるのを止めても感情を害したなどとは言わない。


食べ物についてはあなたが主導権を握っていられるのだ。


けれども愛の中では、あなたはもう主導権を握ることはできない。



Osho


加齢とともに代謝は落ち、
ふっくらしてくることも多いですが、
必要以上の肥満は臓器、血管などに負担をかけ、健康を害します。
※薬など副作用のむくみは除く



内側を観るには
瞑想がおすすめです。


周りをあちこち見わたし、
焦りにかられ、あれこれ貪りたくなるような衝動や行動からも解放されることでしょう。


↓こちらの記事もご覧ください。



ライトランゲージ(宇宙語)を話してみたい方のリクエストも随時受付けています!



↓ こちらをどうぞ。







Renew!!

従来のエネルギーワークメニューのひとつ、

Counseling from the Heart  Intuitive Reading
ー ハートからの直感的リーディングセッション名を変更し、

新しくサイトへページを作成しました。

いまや、IT技術は一般に広く普及し、
誰でも自分の人生を多額のお金をかけることなく、クリエイトできる時代になりました。


個人事業者として、
サイト作成や運用にかかわる心配、
何からはじめてよいか迷っている方の
ご相談にも応じています!


セッション料金に変更ありません。

↓ こちらをご覧ください。







天秤座 新月に
「瞑想会へのいざない」を公開後、しばらく経ったころから、





約一日ほど、
(そこまでもいかないかな?)
サイトがダウンしておりましたが、
無事、復旧しています!


当サイトは大々的な宣伝をしていないので、切替え用のミラーサイトを持つまでは必要ないかな…

と思っておりましたが、
様子を見て、検討してみます!



本事象でご協力頂いた方々、
ありがとうございました。





 
「関係性 ーリレーションシップ」

 

 

 

関係性は構造だが、

愛は構造がない。

 

 

ゆえに愛は関りをもつが、

けっして関係性にはならない。

 

 

 

愛は、瞬間瞬間のプロセスだ。

 

それを覚えておきなさい。

 

 

愛はあなたの実存の状態であり

関係性ではない。

 

 

愛情深い人たちもいれば、

愛情深くない人たちもいる。

 

 

愛情深くない人たちは、

関係を通して愛情深いふりをする。

 

 

愛情深い人たちはどんな関係を持つ必要がない。

 

 

愛で十分だ。

 

 

愛の関係性に入るよりも

愛情深い人になりなさい

 

 

 

なぜなら関係性は、

ある日生まれて、次の日には消えるからだ。

 

 

それは花のようだ

 

――朝に咲き、夜には散る

 

 

 

 愛情深い人でありなさい

 

 

しかし人びとは、愛情深い人になるのがとても難しいと気づく。

 

 

そして彼らは関係性を作り出す

 

 

――そして

「今、私は関係性の中にいるから、愛情深い人なんだ」と自分を欺く。

 

 

 

だがその関係性は、

独占的で所有欲があり、閉鎖的なものかもしれない。

 

 

関係性は、ただ恐怖から来ているのかもしれないし、

 

 

愛とは関係がないのかもしれない。

 

 

関係性は、ある種の安全保障にすぎないかもしれない

 

 

――経済上のなにかの

 

 

 

愛がないから関係性が必要とされる。

 

関係性は代用品だ。

 

 

 

 注意深くなりなさい!

 

関係性は愛を壊す。

 

 

 

愛の誕生の可能性そのものを壊す。 

 

 

「どうしたら関係性はうまくいくでしょうか?」とあなたはたずねる。

 

 

関係性はうまくはいかない

 

 

――そしてあなたはそれをあらゆる所で見ることができる。

 

 

関係性はただのふりにすぎない。

 

 

人びとは、すべては上手くいっている、すべてが良いと言い続ける。

 

 

惨めさを見せて何になるのか?

 

 

傷を見せて何になるのか?

 

 

人はそれらを隠し続ける。

傷を見せることは恥になる。

 

 

だから人びとはすべてがうまくいっている振りをする。

 

 

彼らは微笑み続け、

涙を抑圧し続ける。

 

 

 

私は何千もの人びとの人生、

その関係性を見てきた。

 

 

それはすべて惨めだが、

惨めさを隠してすべては上手くいっているふりをする。

 

 

関係性は上手くいかない、

上手くいくはずがない。

 

 

これらは三つのステージだ。

 

 

 

 

ー Osho

 

 

 

真に愛情深くあるとは

どういうことなのだろうか。

 

 

三つのステージ…

 

 

その一つ目のステージは

 

 

「関係性」

 

 

それは一番低いもので

 

 

動物的なもの。

 

 

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プライベートセッション

「永遠という瞬間へのいざない」

↓こちらをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
「愛、そして独りあること」
 
 

これは、非常に深く理解すべきこと、

非常に重要なことだ。

 

愛はつねに単独性をもたらす。

 

単独性はつねに愛をもたらす。

 

ふたつはけっして分けられることはない。

 

人は、反対だと考える。 

 

「愛しているときに、

どうやって独りになることなどできる?」 

 

人は、孤独と単独性というふたつのことばを区別しない。

 

だから、誤解が生まれる。 


愛しているときは、孤独ではない。

 

それは正しい。

 

だが、愛しているとき、

あなたは独りになるほかはない

 

それは、さらに真実だ。

 

孤独は否定的な状態だ。

 

孤独とは、あなたが相手を探し求めていることを意味する。

 

孤独とは、

あなたが暗くよどんで

失望していることを意味する。

 

孤独とは、恐怖を意味する。

 

孤独とは、

あなたが独りとり残されていることを意味する。

 

孤独とは、

誰ひとりあなたを必要としていないことを意味する。

 

それは傷つく。

孤独は傷のようなものだ。 

 

単独性は、花のようなものだ。

 

辞書では、

孤独と単独性は同じ意味になっている。

 

それはまちがいだ。 

ふたつはまったく異なった現象だ。

 

孤独は傷であり、

癌に変性することもありえる。

 

孤独が原因で死ぬ人は、

ほかのどの病気で死ぬ人よりも多い。

 

世界は孤独な人間であふれている。

 

そして孤独ゆえに、

 

その傷

虚しさ

空虚さ

 

否定感をなんとか埋めようとして、

人はあらゆる愚かなことをつづけている。 

 

世界は非常に孤独だ。

 

だから人びとは、

ほんのしばらくでも孤独を忘れるために、

ドラッグ

セックス

そのほかどのような娯楽にでも溺れようとする。

 

傷は膿を出している。

私たちは傷をあらゆる方法で隠そうとする

 

― 偉大な財産、大きな宮殿、大金

― 新しい小道具で

― だが傷はなくならない。

 

 

小道具は傷を覆いはしない。

 

世界一大きな邸宅を持ったとしても、

小さな小屋に住んでいた頃と同じだけ孤独だ。

 

そこになんの変化もない。

財産が内面の孤独を変えることはない。 

 

そこで、

人びとは互いにかかわりを持とうとする。

 

だが、

ともに孤独な者に関係性は不可能だ。

 

関係性は必要からは生まれない。

 

関係性は

あふれるエネルギーからのみ生まれる。

 

けっして必要からではない。

 

ひとりが飢えていて、

相手も飢えているなら、 

互いに相手を搾取しようとするだろう。

 

そのような関係性は、

愛でも慈愛でもなく、

 

搾取以外のなにものでもない。

 

それは友愛ではない。

 

 

それはある種の敵意

― 非常に苦いが砂糖に覆われている。

 

そして早晩、その砂糖ははげ落ちる。

ハネムーンが終る頃には、

砂糖がなくなってすべてが苦くなる。

 

そのときは、すでに罠にはまっている。

 

最初は別々に孤独だったふたりが、

今度はともに孤独だ

 

― これは前よりももっと痛む。

 

互いに孤独な夫婦が部屋に座っているのを見るがいい。

 

表面では一緒にいるが、

奥深くでは孤独だ。

 

夫は自分の孤独のなかで迷い、

妻も自分の孤独のなかで迷っている。

 

世界中でもっとも悲しいことは、

ふたりの恋人、

カップルが互いに孤独であるのを見ることだ。

 

世界中でもっとも悲しい光景だ! 

 

単独性は、それとはまったくちがう。

 

単独性は花だ。

ハートに蓮華が開花する。 

 

単独性は肯定的だ。

 

単独性は健全だ。

 

それは自分自身になることへの喜びだ。

 

自分自身のスペースを持つことへの喜びだ。 

 

 

ー Osho

 

 

あなたはなぜ

人と関係を持ちたいのか。

 

 

何がそうさせるのだろう。

 

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健康ー 宇宙とのハーモニー
 
 

全体と調和している時、

あなたは健康だ。

 

あなたと全体のあいだには

音楽が流れている。

 

そこにはなんの障害もない。

あなたは幸福を感じる。

 

そこにはなんの雑音もなく、

すべてが調和に満ちている。

 

個人が宇宙とチューニングが合っている時、そこに健康がある。

 

 

チューニングが外れると、

多くの間違いが生じてくる。

 

それには限りがなく、

終わりがない。

 

 

あなたは、

新しい間違いを発明することもできるのだ。

 

人類は、それまでなかったような、

新しい病気を多数生み出してきた。

 

裕福な人たち、

とても裕福な人たちだけがかかる病気もあった。

 

それは王族の病気と呼ばれていた。

 

結核は『王族の』病気だった。

一般の病気ではなかった。

 

今や、全世界が王族になってしまった。

 

今や、全世界が富に、裕福さに苦しんでいる。

 

余暇が多くのことを可能にし、

多くの新しい病気を可能にしたのだ。

 

 

癌はとても新しい病気だ。

それはマインドがとても心配している時だけ、

 

心配が傷のようになった時にだけ存在することができる。

 

こころの微妙な傷のまわりに、

それに対応するように身体に病気が生じる。

 

それが癌の何たるかだ。

 

だから、癌は不治の病のように思われる。

 

身体の側から治療するすべはない。

 

マインドの側から、

初めて治すことができる。

 

というのも、

それがもともとそこに生じたものだからだ。

 

 

時代ごとに、それ特有の病気がある

 
 
ー Osho
 
 
 
 
マインドとハートは
まるで違う言語を話しているかのよう…
 
 
 
折り合いがつかない
 
 
見ている先も違うのだろう…
 
 
 
マインドは
 
 
はがねのよう、
 
 
まるで戦士のようだ。
 
 
 
 
パーソナルセッションへのお問合せは
こちらからどうぞ↓
 
 
 
 
 
 
「内なる光というメタファー」
 
 
 

私が内なる光と言ったとき、それを字面の通りに考えては駄目だ。

 

 

 

文字通りの理解はしないこと。

 

 

 

そうじゃない。

 

 

私が内なるものは光のようだというとき、それはひとつのメタファーなのだ。

 

 

何かが指し示されてはいる。

 

 

 

しかし限定されているのじゃない。

 

 

 

定義されているのじゃない。

 

 

 

メタファーにしがみついたりしないこと。

 

 

 

たくさんの人々が、

このために深い泥沼に沈んでいる。

 

 

 

彼らはメタファーにこだわっているのだ。

 

 

私が内なる光について話す。

 

 

 

と、たちまち数日後には人々がやってき出して

 

「そのうちなる光を見ました」とやる。(笑)

 

 

 

そんなものはそこにはないのにーー

 

 

 

ーー こうした隠喩的言語のせいで、多くの人々は単純に空想的になってしまうのだ。

 

 

 

 

Osho

 

出典: 存在の詩 

 

「なぜ世界のトップリーダーたちはOSHOの本を読むのか?

 

レディ・ガガ、シャーリー・マクレーン、ディーパック・チョプラなど各界の著名人に愛読される幻の講話録」より抜粋

 

※ より詳しく知りたい方は、書籍をご覧ください。

 

 

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スピリチュアル
スピリチュアルにかぶれている人は
 
 
この「内なる光」のメタファーに飛びつく。
 
 
「ほとばしるような光を内側に見た」だの
 
 
 
「黄金の光がここ (ここって身体のどこ?) にある」だのと真顔で言う。(笑)
 
 
「からっぽさ」と同じだ…
 
 
使えそうなワードだと思って飛びつく。
 
 
それらの人たちには不思議と
似通った類似点、共通要素がある。
 
 
スピリチュアル用語でいうところの、
「周波数」が同じ人たちなのだろうか…
 
 
そうやって、多くの人がスピリチュアル空想が果てしないイマジネーションの病気にかかりはじめる。
 
 
 
本家サイトへのアクセスは下記へ
 
 
 
 

 

 

 Osho, 創造性のどんな余地も残っていないように思える掃除のような仕事をしているあいだ、どうしたら創造的でいられるのですか?

 

 

 

床を掃除することはとても創造的な行為になり得る。

 

 

 

創造性はなにか特別な仕事に関係があるわけではないということを、覚えておきなさい。

 

 

 

創造性はあなたの意識の質に関係がある。

 

 

あなたがすることはなんでも創造的になり得る。

 

 

もしあなたが創造性の意味を知っていたら、あなたがすることはすべて創造的になり得る。 

 

 

 

あなたが理解すると、

あなたがなにをしようと創造的だ

 

 

 料理、掃除 

 

 

生は小さな事柄で成り立っている。

 

 

 

ただあなたのエゴだけが、これはつまらないことだと言いつづける。

 

 

あなたはなにか偉大なことをしたい――偉大な詩。

 

 

あなたはシェークスピアやカリダスやミルトンになりたい。

 

 

トラブルをつくりだしているのはあなたのエゴだ。

 

 

 

エゴを落としなさい。

 

 

すると、あらゆることが創造的だ。 

 

 

 

たくさんの人びとが私のところにやって来る。

 

 

初めてやって来ると彼らは、

「どんな仕事でも、Osho、どんな仕事でも――たとえ掃除でも!」と言う。

 

 

彼らはまさにそう言う。

 

 

「たとえ掃除でも!――あなたのための仕事でしたらうれしい」と。

 

 

それから23日後にやって来て、

「掃除? 私たちは偉大で創造的な仕事をもらいたいのです」と言う

 

 

掃除はすばらしい。

 

 

エゴ・トリップをつづけないようにしなさい。

 

 

いつであれエゴがやって来て、偉大なことに向かうようにとあなたを説得したら、ただちに気づいて、エゴを落としなさい。

 

 

そうしたら、つまらないことがやがて神聖であることがわかるだろう。

 

 

神聖を汚すものはなにもない。

 

 

あらゆるものが神聖で、聖なるものだ。 

 


そして、あらゆるものがあなたにとって聖なるものにならないかぎり、あなたの生は宗教になりえない。

 

 

 

聖なる人というのはあなたが聖者と呼ぶ人のことではない。

 

 

聖者はたんにエゴ・トリップをしているだけかもしれない。

 

 

それにその人が聖者のように見えるのは、彼は偉大な行為を成したと、あなたが思うからだ。 

 


聖なる人というのは、あたり前の生を愛するあたり前の人だ。

 

 

木を切り、井戸から水を運び、料理をし

 

 

――彼が触れるものはなんでも、聖なるものになる。

 

 

 

彼が偉大なことをしているからではなく、何をするにしろ、彼はそれをすばらしくするからだ。 

 


すばらしさは、なされることの中にあるのではない。

 

 

 

すばらしさは、それをする間、あなたがもたらすその意識の中にある。 

 

 

 

 

Osho