「愛、そして独りあること」


これは、非常に深く理解すべきこと、

非常に重要なことだ。


愛はつねに単独性をもたらす。


単独性はつねに愛をもたらす。


ふたつはけっして分けられることはない。


人は、反対だと考える。 


「愛しているときに、

どうやって独りになることなどできる?」 


人は、孤独と単独性というふたつのことばを区別しない。


だから、誤解が生まれる。 


愛しているときは、孤独ではない。


それは正しい。


だが、愛しているとき、

あなたは独りになるほかはない


それは、さらに真実だ。


孤独は否定的な状態だ。


孤独とは、あなたが相手を探し求めていることを意味する。


孤独とは、

あなたが暗くよどんで

失望していることを意味する。


孤独とは、恐怖を意味する。


孤独とは、

あなたが独りとり残されていることを意味する。


孤独とは、

誰ひとりあなたを必要としていないことを意味する。


それは傷つく。

孤独は傷のようなものだ。 


単独性は、花のようなものだ。


辞書では、

孤独と単独性は同じ意味になっている。


それはまちがいだ。 

ふたつはまったく異なった現象だ。


孤独は傷であり、

癌に変性することもありえる。


孤独が原因で死ぬ人は、

ほかのどの病気で死ぬ人よりも多い。


世界は孤独な人間であふれている。


そして孤独ゆえに、


その傷

虚しさ

空虚さ


否定感をなんとか埋めようとして、

人はあらゆる愚かなことをつづけている。 


世界は非常に孤独だ。


だから人びとは、

ほんのしばらくでも孤独を忘れるために、

ドラッグ

セックス

そのほかどのような娯楽にでも溺れようとする。


傷は膿を出している。

私たちは傷をあらゆる方法で隠そうとする


― 偉大な財産、大きな宮殿、大金

― 新しい小道具で

― だが傷はなくならない。



小道具は傷を覆いはしない。


世界一大きな邸宅を持ったとしても、

小さな小屋に住んでいた頃と同じだけ孤独だ。


そこになんの変化もない。

財産が内面の孤独を変えることはない。 

 

そこで、

人びとは互いにかかわりを持とうとする。


だが、

ともに孤独な者に関係性は不可能だ。


関係性は必要からは生まれない。


関係性は

あふれるエネルギーからのみ生まれる。


けっして必要からではない。


ひとりが飢えていて、

相手も飢えているなら、 

互いに相手を搾取しようとするだろう。


そのような関係性は、

愛でも慈愛でもなく、


搾取以外のなにものでもない。


それは友愛ではない。



それはある種の敵意

― 非常に苦いが砂糖に覆われている。


そして早晩、その砂糖ははげ落ちる。

ハネムーンが終る頃には、

砂糖がなくなってすべてが苦くなる。


そのときは、すでに罠にはまっている。


最初は別々に孤独だったふたりが、

今度はともに孤独だ


― これは前よりももっと痛む。


互いに孤独な夫婦が部屋に座っているのを見るがいい。


表面では一緒にいるが、

奥深くでは孤独だ。


夫は自分の孤独のなかで迷い、

妻も自分の孤独のなかで迷っている。


世界中でもっとも悲しいことは、

ふたりの恋人、

カップルが互いに孤独であるのを見ることだ。


世界中でもっとも悲しい光景だ! 


単独性は、それとはまったくちがう。


単独性は花だ。

ハートに蓮華が開花する。 


単独性は肯定的だ。


単独性は健全だ。


それは自分自身になることへの喜びだ。


自分自身のスペースを持つことへの喜びだ。 



ー Osho



あなたはなぜ

人と関係を持ちたいのか。



何がそうさせるのだろう。


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