正しい食生活と少しの肉体労働が必要不可欠だ。


またそれは他人のためになすべきことではない。


貧しい人に奉仕して貧しい人の助けになり、村に行って畑を耕して農民の役に立ち、なにかの労働をして社会に大いに貢献する、といったことではない。


そういったことはすべて欺瞞的だ。


それはあなた自身のためであり、ほかのだれのためでもない。


それはだれかの役に立つことではまったくない。


だれかがそれで助かるかもしれないが、基本的に、それはあなた自身のためなのだ


チャーチルが引退したとき、私の友人のひとりが彼の自宅へ、彼に会いに行った。

✴︎チャーチル (ウインストン・チャーチル)元イギリスの首相


老齢だったが、チャーチルは畑を耕し、いくつか植物を植えていた。


私の友人は彼に政治のことをいくつか尋ねた。


チャーチルは言った、

「忘れなさい! もう終わったことだ。


私になにかを尋ねたいなら、ふたつのことだけはお答えしよう。


聖書については尋ねてもいい。


私は家で聖書を読んでいるからね。


それから畑仕事についても尋ねていい。


ここで畑仕事をやっているからね。


今はもう私は政治にはまったく関心がない。


競争は終わった。今では労働と祈りの日々なんだ」



帰ってきた友人は私に言った、「チャーチルという人がわからなくなったよ。


なにか答えをくれると思ったんだが。


ところが彼ときたら、労働と祈りの日々だなんて言うんだ」



私は彼に言った、

「労働と祈りは同じ言葉のくり返しだ。

労働と仕事は同じこと、同義語だよ。


そして労働が祈りになり、祈りが労働になった日、正しい労働が実現するんだ」


いくらかの労働は必要不可欠のものだが、私たちはそれにまったく注意を払ってこなかった。


インドの伝統的なサニヤシンですら労働にまったく注意を向けなかった。

✴︎Oshoの意図するサニヤシンとはまた別の意


彼らは労働を断ってしまった。彼らが労働することはありえない。


彼らは逆方向へ行ってしまった。


金持ちが労働しないのは、彼らは金を持っていて、それをまかなうことができるからだ。


サニヤシンが労働しないのは、彼らが世間との関係を断っているからだ。


彼らはなにかをつくらなくてもいいし、金を稼がなくてもいいのに、労働してなんになる?


結果的に、このふたつの社会的に尊敬される階級が労働から遠ざかった。


このため労働を一手に引き受けた人びとは、だんだんと蔑まれるようになった。


探求者にとって、労働はとても大事なもの、役に立つものだ……


なぜなら、それでなにかを生産するのではないが、なにかの労働に深くかかわるほど、いっそうあなたの意識は中心が据わるようになるからだ。


それは頭脳から下に降りてくる。


労働は生産的なものでなくてもいい。


それは非生産的なものでもいいし、単純なエクササイズのようなものでもいい。


しかし、肉体の機敏さ、心の十分な注意力、存在の完全な目覚めのために、いくらかの労働がなくてはならない。



Osho


だから…

人々への貢献に至るひとはごく僅か。


多くのスピリチュアルな活動は

人への貢献ではなく、全て自分のため。


ー 経済上かなにかの


空想だらけ

デタラメなことだらけ

浮ついた言葉ばかりが派手になる


エスカレートしてゆくスピリチュアル。


だから

「怪しい」ものと言われる。


ー 頭は天に足は地に


「祈り」は日常にあるもの。


宇宙のあれこれを

わざわざ複雑にしなくてもよいし、


それらは肉体を離れてからでいい…



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