311の時に生きてた者として | ねじまき鳥

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つれづれ日記

311




私は
その頃

約1年半くらいかな
ブログを休んでいたんです




理由は

なんとなく書けなくて

書かずにいるうちに
いよいよ書けなくなって

書かずにいたら1年半
という

イマイチ盛り上がりにかけるカップルが
自然消滅するよな感じのフェイドアウトでした




それがね
あの地震をキッカケに
もう一度書き始めたのです




シンプルに
また書きたいな、と思って




その時の記事はこちら




昨日の夜

日めくりカレンダーをめくる
息子・チビ寅氏にね

震災のことを少し話したのだけど

あの時の
怖さとか
不安とか
焦りとか

メルトダウンした福島原発の上から
ヘリコプターが雀の涙みたいな水をちょろっとかけた時の絶望とか

スーパーに品物がないことはおろか
電気も来なくて
信号もつかなくて

それなのに

ここが被災地ではなくて

この何倍もしんどい思いをしてる人が把握しきれないほど沢山いて

収束の目処すらつかない

という状況に

テレビを見ては
涙と震えが止まらなかったあの感じは

言葉だけでは
とてもとてもとても伝わらないな、、





戦争も
もしかしたら
そうかも知れないね




語り継がねばならぬけれども
その怖さの核のようなものは

やっぱり
当事者だけが抱え続けるものなのかも知れない




全身で引っ被った恐怖のその塊が
宿主を捨てて布教の旅に出ることはない




でも
それでも

知るもの
として

伝えていかねばならぬ
とも思う




被災地ではなかった場所ですら
この有様だったのよ





大切な人を亡くして
家を無くして
学校も職場も街も

生まれ育った場所にあった何もかもを無くして
それでも生きた人がいるのよ





あの中で

子供を産んだり
育てたりしたおかあさんがいるのよ





それを思ったらさ
コロナなんてなんでもなくない?




家でおとなしくしててください
That's all、よ




あの震災や
ここ最近の天変地異で

色んなものを失って
それでようやく取り戻しつつある日常に

このコロナでまたやられる
って絶望するのはさ

そりゃそうだよねぇ、、
ってもう、胸がえぐられるけどさ

何も失ってない私のような立場の者がね
これしきのことで騒ぐのは
ちょっと違うような気がするんだよ




だから
私の仕事が休みな今日は

息子・チビ寅氏も保育園お休みにして
おとなしく

・・・必要以上におとなしく
ふたりしてソファからほぼ動いておりません

あは




晴耕雨読




晴れたら耕して
雨なら書を読んで




やれる人が
やれる時に
やれることを




一日のうちに
1回でも

お腹の底から笑える瞬間が
みんなに

どうか
ありますように




今日のままでいるのも
明日が来ることも

何もかもが
怖くて怖くて震えていたとしても

それでも




完璧な絶望というのは存在しないと
村上春樹は言っていて

私も、そう思うから




3.11
14時46分

黙祷