指導者が目指すべきなのは、生徒たちが生徒たち自身で成長できる人間性を育てることだと思っています。
ここでの「人間性」とは、自主的に学習に対して楽しさを持ち、自身のレベルアップに対して常に考えてはトライアンドエラーを繰り返し、少しずつ成長していくという意味です。
ただ、生徒も年頃の子が多いものですから、まあなかなかそう上手くはいきません。
上記の成長プロセスを自主的に行える生徒は、高いレベルでの自律性と成長意欲を持っている子が多いです。しかし、これが一律に全員同じレベルを持っているわけではありませんから、このレベルと同じ、もしくは近いレベル感を持ってもらうために、言葉を変えながらも何回も何回も伝えているわけです。
そうなったときに、1番大変なのが「注意する」ことになったとき。
生徒が明らかに間違った方法を利用しているときや、方向・目的に向かっているときにどのように注意するかという問題です。
今の時代、いろいろとハラスメントとかもありますから、大学生でバイトの身でもかなり考えます。
いろいろと考えた末、ある程度の冷たさを持って注意するという結論に至りました。
前のブログでも書いたのですが、私はかなり直接的に強い言葉かけをする場面が多いです。
理由はいくつかありますが、1番の理由としては、遠回りした優しい言葉かけは、時に生徒を甘えさせてしまう恐れがあるからです。
生徒は「甘え」を覚えてしまうと、その快楽から抜け出すことが難しくなり、頑張れなくなってしまいます。それが結果的に「〇〇先生のときは緩くていいや」と、先生たちを差別化します(ここでの「差別」は楽な先生・それ以外の先生などと、単純に分けるという意味です)。
また、こちらの注意の目的・意図が生徒とずれる恐れもあります。
一言で言えば、良い指導者であるためには時に冷たくなる必要があるということ。
これは、前回のブログでも紹介した、マーケターの森岡さんが「to be nice, to be cool」という言葉で説明していました。
正しい道を示す、共に歩くためには冷たくなるときが必要です。
それは、もちろん生徒自身のためのものでもありますが、指導者のためのものでもあります。
お互いが良い信頼関係を持ちながらレベルアップするためには、こうした冷たい側面も持っていた方がいいのかもしれません。