ここまでDS(ディープ・ステート)という言葉しか使ってこなかったが、
では一体 DSとは何ものなのか? どんな人たちなのか?
そう言えば ユダヤ人という言葉も使ってきたので、DSとはユダヤ人のことだと思われたかも知れない。
そういう見方も 確かに存在する。
他には 世界の金融を支配する人たちなので国際金融資本家(ウォール街・シティ)と呼ばれることもあるし、
世界を一つにしようとしている人たちなのでグローバリストと呼ばれることもある。
だいたい、DS・国際金融資本家・グローバリスト・ユダヤ人などと呼ばれるのが普通だろう。
そして 前の記事で述べたように、彼らは共産主義者でもある。
資本家は 当然資本主義者なので、資本主義者であり かつ共産主義者でもあるなんて どういうことなんだ? と 奇異に感じるだろう。
その奇異さこそ彼らの真骨頂であり、その正体を不可解なものにしている。
資本主義か共産主義か? 善か悪か? などという二元的な単純な思考方法で彼らを理解することはできない。
善でもあり悪でもある、もしくは善悪を超越した存在として彼らを捉えるベキだろう。
「偉大なもの」 のために「良いもの」 を諦めることを恐れてはならない とは、初代ロックフェラーの ジョン・D・ロックフェラーの言葉である。
ではまず ユダヤ人とは、一体どんな人々なのか?
当たり前のように 知っているつもりかも知れないが、この定義が 実は案外難しい。
ユダヤ人とは、人種(血統)なのか 民族(文化・慣習)なのか?
広く受け入れられている考え方は、イスラエルの帰還法に定義された、
つまり イスラエルがユダヤ人を国内に受け入れるときの定義として採用された、
① ユダヤ教を信じるものか
② ユダヤ人の母親から生まれたものである。
では、ユダヤ教とは何か?
言わずと知れた 一神教を初めて採用した最古の宗教であり、二大世界宗教であるキリスト教とイスラム教の元になったものである。
その経典は キリスト教徒から旧約聖書と呼ばれているものであり、特にその最初の5章から成るモーセ5書のことである。
古くは、そこに書かれた戒律を厳格に守る人々がユダヤ教の信者であった。
しかし時代を経るにつれてその解釈が難しくなり、モーセ5書の解説書としてタルムードという注釈書が生まれた。
このタルムードは 当初ただの解説書に過ぎなかったが、次第にモーセ5書の注釈に留まらず、人間や社会に関するありとあらゆる事象を多方面の視点から議論するようになり、議論しつくし、その議論の内容がユダヤ人の人生の指針となる 智慧の書物へと変化していった。
今でもモーセ5書が正式な聖典であることに変わりないが、その裏の聖典とも言えるタルムードの影響力の方が強くなり、このタルムードこそがユダヤ教の真の経典と見なされるようになっている(*)
したがってユダヤ人をユダヤ教を信じる人と定義するなら、人生で遭遇しそうなあらゆる事柄を理知的に考え抜いている人々がユダヤ人であるということになる。
これは普通の宗教の感覚とちょっと違うものだろう。
ユダヤ人の賢さに異論をとなえる人はいないだろう。何せ 世界の人口の0.2%しかいないのに ノーベル賞受賞者の実に20%がユダヤ人なのだから、その比率は他の人たちより100倍も高い。
ユダヤ人の母親から生まれた人がユダヤ人という定義もある。
父系でなく母系を基準に置くのは、数々の修羅場を体験せざるを得なかったユダヤ人の場合、父親を特定できないことがあったからと言われているが、
母親は小さな時期の子どもの教育を担当するのであるから、ユダヤ人的な考え方が母系で継承され、ユダヤ教の信者になっていくと考えてもいい。
ユダヤ人が家庭教育を重んじることは、つとに有名である。
さらに タルムードを読んでいるかいないかに関わらず、ユダヤ的な考え方をする人たちをユダヤ人と呼ぶ広義の定義も存在する。
この定義によれば、いわゆるユダヤ人ではないロックフェラー一族などもユダヤ人と呼ぶことができる。
世界を支配しているのはユダヤ人であるという言い方をするなら、そのユダヤ人とはこの広義のユダヤ人のことと考えると辻褄が合う。
では、そのユダヤ的な考え方とは一体どんなものか?
私の想像では、個別の共同体の価値観に従ったり 共同体への帰属意識に基づく人間関係に付随する感情に縛られる ことなく、冷静に・理知的にものごとのバランスを考えながら全体を観る態度であると思われる。
それ故に、彼らは他者の感情を理解できない冷たい人間と思われるかも知れない。
なお、ユダヤ教には強烈な選民(エリート)思想が見られる。
ユダヤ人は 他の人々を指導すべく神によって選ばれた民であるという考え方である。
上記のように感情を排した判断ができる彼らにしてみれば、感情に流されて正しい判断ができていないように見える他の人々に この地球と人類の未来を任せてはおけないという気持ちなのかも知れない。
それは ときに優越感のように見られ、実際に優越感に変わることもあり、そのことも 彼らが迫害される大きな理由になったのであろう。
このエリート意識は、単一性からくるタテ社会という共同体の中で暮らす日本人には理解しにくい ヨコ社会から発生する感覚である。
日本以外のほとんどの地域の人々は、このヨコ社会の中で暮らしている(#)
# 中根千枝氏のタテ社会関連の書籍を参照
では、国際金融資本家という言葉を使う場合はどうか?
ユダヤ人は祖国を失ってディアスポラとなった後 ヨーロッパ各地に散らばっていったが、決してその地の慣習に同化して その土地の人間になろうとはしなかった。
逆に言えば、他国に同化して溶け込もうとしない程 強烈なアイデンティティを持った人々が ユダヤ人として生き残ったとも言える。
ユダヤ人というヨコ社会を決して放棄しようとしなかった、と言い換えることも可能。
それ故に彼らはいつもよそ者の少数派であり、多数派から差別・迫害され続けた。
居住地は制限され、ゲットーと呼ばれる地域に閉じ込められていた。
土地を所有することを認められなかったので 農業という当時の主流産業に携たずさわることができず、他の人が嫌がる職業につくしかなかった。
それは商業関係の仕事であり、典型的には金貸しという金融業であった。今の日本でもそうだが、当時の価値観では利子を取ることは穢れた行為であり、お金を貸して金利を受け取ることは不労所得とみなされた。
ユダヤ人であることを捨てきれなかった人々は、賢さという自分の才覚だけを頼りに生きていく他なかった。
それ故に各地の発展に大いに寄与したが、その度に それに伴い裕福になったユダヤ人は嫉妬され、財産を取り上げられ、ときには虐殺されてしまうという歴史を繰り返してきた。
多数派の国民からしてみれば、決して自分たちのアイデンティティを捨てず その国に同化しようとせず、それでいて優秀で金持ちが多い、かつ選民思想を持ったユダヤ人は、憎悪の対象になりやすかった。
さらにキリスト教徒は、主キリストを磔刑に処した裏切りものの子孫であるという理由で徹底的に差別した。
この歴史を知れば、平等を求めて世界を統一しようとする 彼らの気持ちも分かるだろう。
また 話がそれてしまったが、金融業を生業なりわいとした彼らは利子の持つ力の偉大さに気づき、それを元に通貨発行システムと近代資本主義経済を築きあげ(##) テクノロジーを発展させ、人類の物質的繁栄(飢えや貧困からの脱出)に大いに貢献することができた。
## この後の 「資本主義経済システム:その1」 のブログ記事を参照
その仕組みを熟知している彼らが その繁栄によって増大した富を独占することになったのは、当然の結果と言えるだろう。
こうして大金融資本家(超大金持ち)となった彼らは お金のシステム(金融)を支配するだけでなく、株式市場を整備して資本の力で株式を持つことによって、経済の実践部隊である モノやサービスを生みだす産業部門(企業)をも支配した。
金融と産業を支配すれば、さらに とんでもない規模のお金を手に入れることができる。
そのお金の力を使って優秀な人々を買収することで メディア(情報)や学界や学校教育をも支配して、人々の心の中をコントロールすることまでも可能になった。
さらに、司法・立法・行政に携わる人々をコントロールすることによって 政治もコントロールできるようになった。
お金のかかる選挙を必要とする民主主義体制は 彼らの支配構造に好都合にできている。
現在 先進国といわれる日欧米の国々は 民主主義と資本主義がもっとも発展している地域であり、したがって これらの国ではDSが計り知れないほどの力を持つことができた。
おそらく これらの国の政治は、ほぼ完全にコントロールされていると考えるベキだろう。
これらの国では 政治家達は彼らの操り人形に過ぎないので、国民の代表であると自称している政治家に何を言ってもムダなのだ。
政治家の裁量は、DSの基本戦略を犯さない程度の小さな範囲に限定されている。
お金の力は、このように恐ろしい程 強大なものである。
これ程のものだと想像していただろうか?
ただし 買収だけで優秀な仲間を増やすことはできない。その理念に共感させることなしに、強力な協力体制を築くことはできないハズだ。
前に人類の物質的大繁栄と記したが、正確には これは上記の先進国に限ったことであり、先進国と呼ばれた国々はDSに支配されると同時に DSの力によって繁栄を享受してきたとも言える。
その世界の在り方が 今大きく変わろうとしているのである。
では最後に、グローバリストという言葉を使うときの彼らの在り方はどうか?
人類の繁栄の基礎は分業による協力にある。
これをもっとも大きな単位で見れば、各国がその優位性を発揮する国際分業という形になる。そのためには、モノ・ヒト・資本が国境の壁を超えて自由に行き来できることが求められる。
資本主義経済はこの分業システムに則のっとっているのであるから、彼らがグローバリストとしてこの体制を促進しようとするのは当然のことだろう。
グローバリズムの進展によって、資本主義の効率は最大限に発揮される。
同時に、それを放置すれば格差も最大限になる。そして この格差は国家の再分配機能によってのみ補正される。
したがって、DSは国家のこの機能は温存し 上手く使おうとするだろう。
モノの移動は、無関税をも視野に入れた関税引き下げによってなされ、
ヒトの移動は、パスポートやビザの取得の容易さや移民の増大によってなされる。
資本の移動は、会計システムの共通化や企業に対する参入障壁の撤廃によってなされるであろう。
しかし同時に これらの(国境の壁を低くしようとする)政策は、国家という共同体の重要性を低下させ、国家への帰属意識を薄め、愛国心をなくす方向に作用する。
これは、世界統一政府の樹立という目標にとっては好都合であり、その意味でもDSはグローバリズムの推進に励む。
しかし 国家への帰属意識の高い愛国主義者にとっては、憎むべきものとして捉えられる。
この中でも近年の特徴的な動きは移民の促進であろう。
アメリカではメキシコ国境を超えて大量の不法移民が流入しているし、ヨーロッパではイスラム系の移民・難民の流入や旧植民地のアジア・アフリカからの移住労働者の増加が 社会不安を引き起こすまでになっている。
しかし 今は社会の軋轢となっているこの移民たちも、自分たちの文化的なコミュニティを維持しようとし続ける一方で、長い何月の後には次第に社会に溶け込み 同時に元々の国民も移民の存在に慣れていくことだろう。
これらの移民の存在により いま各国の一体性は損なわれつつあり、まさにDSの望む状況に近づきつつある。
ユダヤ人たちは イスラエルの建国までは自分たちの国家を持たず、これらの移民たちと同様な状況に置かれていた。
それ故に 自分たちと同じような人々(少数派)を大量に生みだすことで多数派の力を削ぎ落とし、共同体としての国家の力を弱めようとしている。
この移民の増大が欧米で大きな問題となり、それが反DS運動を盛り上げている。
日本でも移民が増えつつあり、5〜10年の間に 大きな問題になるだろう。
[参考図書:西洋の自死]
国家を持たないディアスポラという存在として2000年間過ごしてきたユダヤ人は、いつも国家を超えたものを視野に入れていたのであろう。
その人たちがグローバリストとなった(である)ことは当然だと言える。
[その4:DSの真の目的とは? に続く]